早池峰神社の奉納神楽・岳神楽と大償神社の奉納神楽・大償神楽の二つの神楽座の総称を早池峰神楽といい、昭和五十一年五月四碑、国の重要無形民俗文化財に指定された。 両神楽は、東根嶽(早池峰山の古名)の神を祭る田中神社の田中神楽を源流とする兄弟神楽といわれており、早池峰を霊場とする修験山伏によって伝承されてきたといわれているため、山伏神楽とも呼ばれる。伝承由来は古記録等を焼失しており不明であるが、岳神楽では、下閉伊郡の小国から常楽なる法印が伝えたとも、宮古の釜津田左京なる法印が伝えたともいわれている。岳の早池峰神社には、文禄四年(1595)銘の権現頭がある。 大償神楽では、早池峰山開祖田中兵部の創立した田中明神の神主によって大償に伝えられたといい、長享二年(1488)の神楽伝授書がある。いずれにしても、その初源は南北朝時代まで遡るものと考えられ、五百年以上の伝統を持つ非常に古い神楽であるといわれている。 岳神楽と大償神楽とは、表裏一体をなしているとも言われ、演目はどちらも呼称の違いが多少あるもののほぼ同じであり、約四十番ずつ伝承している。岳神楽は勇壮で激しく活発な「荒舞」を得意としているのに対し、大償神楽では、ゆるやかで繊細な芸風に特徴があり、「女舞」を得意としているなどと評されるが、得意演目に差があるとは思えず、双方とも「荒舞」、「女舞」のそれぞれに味わいを持っている。 (※頂いた早池峰神楽資料から) 舞初めでは延々五時間ほど、演目にして十一ありました。演目全てを撮影していますので、時間をかけて整理し後日紹介いたします。神楽の館を埋めた多くのフアンの皆様が、二間四方の注連縄の張られた結界の中での舞に、時間を忘れて見とれてました。お昼には休憩があり、全員におにぎりの弁当が配られるなど心配りがあり感謝しています。
機織(はたおり)・・・ 昔、若狭の国に仲睦しい夫婦があった。夫は修業のため京に上ったまま、三年経っても戻らない。そこで土地の者は、夫は京で女をもってもう帰らないと手を替え品を替えて言い寄ったこれを真にうけた機織の女は、ついに池に身を投じた。 女が死んで七日後夫は京から戻ったが、女は亡霊となって池に現われ或いは悲しく、また激しく機を織った。夫はその自責を深く感じて、妻のために菩提を弔うという語りである。 今回始めてみた演目です。画像では止まって見えていますが、機を織る仕草を素早い動作で扇子を持ち替えていました。