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       平泉町・水を張った無量光院跡


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特別史跡 無量光院跡・・・

無量光院は平安時代末期に奥州藤原氏三代秀衡が建立した寺院です。仏堂と広い苑地を設けた浄土庭園として知られ、特別史跡の指定を受けています(大正11年に国史跡、昭和30年に特別史跡)。

鎌倉幕府が編纂(へんさん)した歴史書『吾妻鏡』には、「宇治の平等院をもして、三代秀衡が建立した」と記録されています。実際に、昭和27年の発掘調査で、平等院の鳳凰堂に似ていることが確認されています。

本堂と東中島の建物の中軸線上には、金鶏山(きんけいさん)の頂上が位置しており、4月中旬と8月末頃には本堂の正面側から金鶏山の頂上に夕日が沈む光景を見ることが出来ます。平泉町教育委員会
  (※現場で頂いた資料より)

今まで現地を通ることがあっても、案内板をちらりと見るだけの無量光院跡でした。何故ならば、当時の池に相当する部分は原野同然の湿地でもあり、付近にある高舘(義経最後の場所と言われる場所)の義経堂や柳之御所遺跡を訪れことがあっても、無量光院跡には入ったことがなかったからです。

試験的に水が張られてある状態は4月25日までと言います。めったに見られない光景ですから、21日の午後に早速訪れてみました。あいにくの強風でもあり空模様も曇り気味、私以外にも数人の方が散策している程度でした。ゴールデンウイーク中にも水が張られていれば、かなりの人出が予想されますが仕方ありません。

私が散策したコースは、南側から入り西側から本堂跡、東中島、そして、一番奥の土塁に登り全体の様子を後ろから眺めてみました。広大な範囲ですので、ほっづぎページでは限界がありますので後日詳細を紹介する予定です。

駐車場から見た正面の様子 駐車場から見た正面の様子です。ここには説明図と復元された想像図が看板になっていました。

向かって左側が東中島であり、その奥が本堂跡になります。背景の一番奥にある山が、金の鶏を埋めて造った山と言われる金鶏山です。

いつもは水は張られていませんが、水路があり土嚢で仕切られていました。新聞で記事では水深20センチとありましたが、私が見た感じとしてそれ以上ありますね。あと10センチ深ければ、南側もすっかり池状態になります。
絵になる風景の東中島です。通路があり中まで行くことが出来ます。 本堂跡前にある東中島です。ここへは畦道状の通路があり、汚れることなく行けました。

資料によると、昭和27年の調査で3棟の建物跡が見つかっています。島の端には池の汀(みぎわ)・・・水際の意味・・・に置かれた大きい庭石(景石)が残っています。

画面では右端の松の木の下に見えています。大きな画面ですと分かります。

復元画像ではこの場所に太鼓橋が架けられています。
本堂跡の礎石です。 この場所が本堂跡になります。大きく広い島(西島)の上に、「平等院鳳凰堂」を模したと言われる本堂がありました。現在も礎石が残り、建物の位置や大きさが分かります。

大きな石がごろんとあるように思いますが、側に行ってみるときちんと区画された様子になっています。この場所から正面奥まで、きちんとした間取りで礎石が置かれたあります。
西側奥の土塁の上から眺め、松と杉の木の生えている場所が本堂跡になります。 西側奥の土塁の上から眺めてみました。土塁の高さは7〜8m位だと思いましたが、本堂跡地が一望できますし、池であった場所が区画されているのが分かります。

ここまでは水が張られてはいませんが、長靴を履かないと入ることが出来ません。

あいにくの寒さでサクラが咲いていませんが、土塁の上にある梅は満開状態でした。最初にも触れましたが、詳細内容は後ほどまとめてみる予定です。