多聞院伊澤家について・・・
多聞院伊澤家はかつて、山伏修験から里に住み着いた修験者で、仙人権現・明治以後は久那斗(くなと)神社となったが、その別当として江戸時代中期以降、この地域で勢力をもつようになった。多聞院は宝永5年(1708)、仙人権現として下宮の再建にあたって、和賀・稗貫両郡に教えを広めた。
そして18世紀後半から19世紀の秀慶の時代が最盛期であった。しかし、天保14年(1848)に西和賀霞処を没収されて衰退した。その後、明治維新の神仏分離・修験禁止によって還俗し、神職となった。
伊澤家の主屋の建築年代は明らかではないが、文久元年(1843)の家相図に描かれているので、それ以前の18世紀初期に建てられたと考えられている。住宅の間取りは、この付近の農家の造りと変わりなく、修験者の住宅としての特徴は、上手(かみて)の座敷と道場の境に円い柱を建てて、虹梁(こうりょう)を掛け渡し、お堂の手法を用いて両方の部屋を一室として使用できるようにしている。
虹梁の上の壁や道場の内部の壁には漆喰(しっくい)彫刻を用いていることも注目される。江戸時代におけるこの地方の一般民家の典型的様式「内うまや式すご屋」と上手座敷に社寺建築を取り入れた修験道場を備えた住宅は、建築史上文化史上貴重な遺構として、平成2年国の重要文化財に指定を受けた。(※頂いた資料から)
中尊寺ハスについて・・・
和賀町から秋田県山内村にかけて、歴史の道として名をとどめている秀衡街道は、平安時代末期に東北地方を治めていた藤原秀衡と、その平泉文化に関わって名付けられたとされている。
多聞院伊澤家は秀衡街道沿いにあって、仙人権現(久那斗神社奥宮)の別当であった。仙人権現は、仁平(にんぴょう)年間(1151〜53)に秀衡公が先祖の霊を久那斗神社に祀ったと伝えられている。秀衡街道にゆかりのある多聞院伊澤家に、平成14年5月に中尊寺から株分けして頂いたものです。
頂いた資料によると、公開日は4月から11月までの毎週金、土、日及び祝日。時間は午前9時から午後4時30分までです。なお、見学料は無料ですが、火災防止のために敷地内は禁煙になります。住宅に行くためには駐車場から北上線の線路を横断しますが、踏切等でもなく全くの線路横断になります。現場には、線路に入らないでくださいと書かれた看板と列車の通過時刻表がありました。列車が来ないと分かりつつも、もろに線路を乗り越えますのでかなり不安にもなりました。
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