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         初詣・北上市諏訪神社


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新しい神社建物の中で光る昔からの扁額と彫刻。
遅ればせながら初詣に出かけてきたほっづぎ家族です。中学一年生から北上市(当時は黒沢尻町)で育った私は、お諏訪さん界隈はおなじみの場所でもあります。今では面影等がないのですが、中学生(昭和25年頃)当時は神社境内や下の道路に、今で言う終戦直後のバラック店が沢山あり、その中に私をとりこにしたラジオ屋さんがありました。下校時には必ず遊びに行き、使えなくなった真空管やラジオの部品を貰うのが最大の楽しみでもありました。この頃からの習癖が自作ラジオでの短波受信、そしてアマチュア無線へと発展し今に至っております。

諏訪神社と我が家の関わりは、息子の突然の失明により新たに心のよりどころの神様になってからのことです。江刺の我が家は先祖代々地域の氏神様に守られており、現在私が居住している築百二十年を越す母屋には先祖が礼拝してきた古い神棚もあります。したがって、古くからの神様には申し訳ないのですが、我が家は二つの神様に守られているとも言えます。

平成10年11月のことでしたが、息子の神棚を購入し諏訪神社で魂入れをして貰いました。失明のショックから立ち直る決意として神前に誓った息子であり、これから支えていくことを決意した私達両親でした。その時の宮司さんから「頑張ってください」と励まされたことが、ものすごく嬉しく感じたことを思い出します。

二度目は平成20年の6月でした。中途失明した息子でしたが、42才の年祝いに「お囃子・三味線」担当として参加したときのことです。神棚を新しくし、無事に厄年祝いを終えたことを報告し、新たなるこれからの門出を決意しました。そんなこともあり、諏訪神社は我が家(特にも息子)にとって身近な神様でもあるわけです。


諏訪神社・・・

江戸時代から今日まで、本地方で広く信仰を集めている代表的神社で、近代の社格は郷社。祭っている神は開発の守護神である建御名方神(たけみおなかたのかみ)で、坂上田村麻呂将軍によって勧請されたと伝えられる。

享保9年(1734)本宮の地(市内幸町)から現在地に移り、南部藩から領地を与えられ近郷の総鎮守となった。川岸剣舞(廃絶)は諏訪大明神のお告げによって、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任(まさとう)の亡魂を鎮めるために踊ったのを始まりとする悪魔退散の民俗芸能で、この神社の神事芸能であった。

境内に、芭蕉の句風を受け継ぐ黒沢尻の俳人たちが天明元年(1781)建てた芭蕉の句碑がある。境内は昭和31年都市計画道路の貫通によって三分の一が失われた。(※境内の案内板より)


諏訪神社本殿 境内正面から見た本殿の様子です。正月も五日目となりますと参詣客もまばらでした。子どもの頃ですが、元朝参りにお小遣いを貰い4人の兄弟姉妹で参拝に来たことを思い出します。

平成19年御鎮座千二百年を迎え、奉祝記念大祭を厳粛に壮大に執り行われました。記念事業の一端として、社殿・社務所・参集殿増改築工事をしました。
(※岩手の神社より)

拡大画面で見ると、欄間の彫り物と柱に飾られた彫り物が、改築前の神社からの物だと分かります。
慶田にある五つの末社。 広い境内にある四つの末社があります。向かって正面から秋葉神社(火災予防の神様)、八坂神社(疫病消除・身体健康の神様)と金比羅神社(水上安全・雨乞い、金銭の融通を司る神様)、金勢社(夫婦和合・子孫繁栄・縁結び・出産に効験あらたかな神様)になります。そして赤い鳥居の稲荷神社と並びます。

本殿を参拝のあと、一番奥の稲荷神社から次々と末社周りをするのが一般的です。
稲荷神社

稲荷神社・・・

稲生りが語源とされ農耕をし、殖産商業を守護する神にして、日頃欠かすことの出来ぬ衣食住を司る神である。
(※末社入り口の案内板から)

お稲荷さんと言うとキツネが出てきますが、ここにはその説明等がありませんでした。それにしても一番立派な赤い鳥居があり、稲荷大明神の幟が目立っていました。

秋葉神社 秋葉神社・・・

祭神:迦具土神(かぐつちのかみ)
迦具土神はいざなぎの神、いざなみの神二柱神の最後の子にして、日常生活に欠かすことの出来ぬ火を司る神である。防火の神としても著名であり、火災はこの神の荒ぶる時に起こると言われている。
(※末社入り口の案内板から)

一番南側にある大きな末社です。