2011年ほっづぎある記に戻る


         遠野遺産・山崎の金勢様


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 ほっづぎある記 心のオアシス  

location:uchinome.jpトップ>ほっづぎある記2011年ほっづぎある記>遠野遺産・山崎の金勢様

 サイトマップ


HPを作成するようになって、金勢様を祀った神社をお訪れるのは今回で二度目になります。神社ではないのですが、千厩町にある夫婦と岩も花崗岩の巨大な金精様と言えます。森口多里著「日本の民族 岩手編」によると、金勢様は道祖神に分類されます。

記述から紹介しますと、旧伊達領では石・木・鋳鉄製の男根そのものが多い。男根は南部領にはいると金精様と呼ばれる。精力あふれて緊張した形姿の金精様の霊力は子授けの神であり、腰痛みを直すと信ぜられていた。ここ遠野市にも何カ所かあるようですが、代表的な場所がこの地になるようです。


金精神・・・

金精神は、金精大明神、金精様などとも呼ばれ、男根の形をした御神体を祀った神の一柱である。「金精」以外に、金勢、金清、金生、魂生、根性、根精などさまざまな当て字がされている。同じく男根の形をした御神体を祀った道祖神と混同されることが多いが、基本的に男根形の道祖神(塞の神)と金精神は異なる神である。しかし、栃木県などの一部の地域では金精神と道祖神が習合してしまっている例が多い。

金精神を祀った神社は全国各地にあるが、特に東日本の東北地方から関東地方にかけての地域に多くみられる。

金精神は、豊穣や生産に結びつく性器崇拝の信仰によるものから始まったとされている。子宝、安産、縁結び、下の病や性病などに霊験があるとされるが、他に豊穣や生産に結びつくことから商売繁盛にも霊験があるとされている。祈願者は石や木や金属製の御神体(男根)と同じものを奉納して祈願する。

金精神を祀る神社としては、金属製の男根を御神体としていた岩手県盛岡市巻堀の巻堀神社や、巨根として知られる道鏡の男根を御神体として祀ったのが始まりとされる、栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境の金精峠に鎮座する金精神社などが有名である。(※ウィキペディアより)



入り口の様子ですが雪が深いのです。 夏の時期ですと、ここまでは快適なドライブコースになりますが、雪が多く車一台がやっと通られる狭い道路になっていました。

ここまで来るときに見た遠野市の観光地、厳冬期の真冬のに、大型バス二台が近くの伝承園に止まっていました。厳冬の遠野路ツアーだと思われますが、カッパ淵までの通路は夏と同じでした。

遠野遺産第46号「山崎の金勢様」と書かれた標識がありますが、周囲は深い雪の中です。
神社正面の様子。中には自由に入られます。 金勢神社正面の様子です。左側には巨大な自然石の金勢様、右奥には「山崎地震観測所」東北大学大学院理学研究科遠野地震観測点とか書かれたあります。

何時訪れるか分からない観光客のために、進入路と駐車場がきれいに整備されてあります。季節を問わず「もてなしの心」で迎えているのかと思ったら、思わずご苦労様と声が出ましたし嬉しくもなりました。

私自身、何で雪の時に来たのだろうと自問しながらの訪問でした。
立派な御神体です。

入り口のガラス戸を開けて中に入りびっくりです。ガラスの破片と鳥の羽が散らばっていました。多分、野鳥が間違って飛び込んだのだろうと思います。死がいがなかったので、脱出したのでしょう。

中には巨大な金勢様が鎮座しています。案内板の記述によると巨大な自然石で、高さ1メートル25センチ、周囲は最大1メートル97センチあります。

赤い小枕を探しましたが、見つけることが出来ません。御神体の周りには、名前の書かれたタスキでしょうか、かなりの数が吊されてあります。隣にはガラス戸がありましたが、開けてはいませんので詳細は不明です。解説不用ですね・・・。

神社左にある巨大な石です。自然の造形物でしょうか、うまくできています。 神社左側にある自然石の巨大な金勢様、雪に埋もれておりますので周囲の様子は分かりません。皆様のHPを拝見しますと、大小様々な金勢様があるようですが雪の下です。

ガラス窓が投石で壊されたように見えますが、鳥がぶつかっての破損です。まさかここまで来て石を投げるとは、と一瞬ですが思いました。

やっぱり春先になったらまた来ないと・・・、そんなことを思っての今回の訪問でした。

山崎コンセイサマ・・・

遠野地方には、民間信仰そして多くのコンセイサマが祀られています。この山崎のコンセイサマは、巨大な自然石で、高さ1メートル25センチ、周囲は最大1メートル97センチもある、まさに逸物です。

このコンセイサマは、昔からこの地に祀られていたとの「伝え」だけが残り実物は久しく見当たりませんでした。

ところが、昭和四十七年の災害修復工事のときに下流の土砂の中から発見され、地域の人々が祠を建てて再びここに祀りました。それからは、毎年五月五日に盛大にお祭りをするようになりました。

(※通路入り口の看板から)



コンセイサマ・・・

コンセイサマは、金勢様又は金精様と書きます。子宝を願う婦女子が、ここに奉納されている赤い小枕一つ借りてきて腰元に置き、願いが叶えられれば二つにしてお返しするならわしです。

御神体は、男性の象徴を現し、全ての物事を神に結びつけた民間信仰に由来するもので、これは駒形信仰と混同されるようになりましたが、本来は生産の神として信仰されたもののようです。(遠野物語第十六話参照)

(※境内の案内板から)