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           盛岡市桜山神社


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正面斜めから見た、櫻山神社のご神体になる烏帽子岩です。 神社境内の右側から階段を登ったところに、しめ縄を下げた巨大な岩石があります。この巨石の形が烏帽子状をしているので、「烏帽子岩」と呼ばれる所以です。

現場にある説明板には、次のように書かれています。

烏帽子岩(兜岩)のいわれ
盛岡城築城時・・・慶長2年(1597年)頃・・・、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈(6.66m)ばかり突出した大石が出てきました。 この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆ののシンボルとして広く信仰され、災害や疫病があった時など、この岩の前で平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。

烏帽子岩は、櫻山神社のご神体と言うことになります。
そばの立て札には、烏帽子岩と同じような小石をみつけ持つと病気にならない・・・と書かれていました。足下には砕石状の小石が敷かれてありますが、探すと結構同じ形の石がありました。



公園側から見た烏帽子岩の後ろ。 烏帽子岩を公園側から見た様子です。こちらからは、先端部の烏帽子状が見えません。烏帽子岩の周辺には、花崗岩の巨大な岩石がごろごろしています。

築城当時は、この場所が北上川と中津川の合流点に位置した丘陵地だったと言います。それにしても、このような巨大な岩石が、いつの時代に、どのようにしてこの場に作られたのでしょうか・・。

そう言えば、盛岡市内には巨大な石・・巨大な石を割って成長した石割さくら、岩手の名称になったと言われる三石神社の巨石・・がありますね。
烏帽子岩の由来説明看板。

櫻山神社の御祭神・・・宝大石・烏帽子岩

現在の櫻山神社の場所には、もと八幡社が鎮座しており、その傍らに三角状の岩がありました。この場所の高さが二ノとほぼ同じであったので、利直公は地形を削るよう命じられ三角岩の周囲も削られました。

しかし、岩の根は深くやがて烏帽子に似た巨大な岩石が出現しました。古代以来、人々は岩石に神が宿ると信じ崇敬していました。

利直公は、これを瑞兆と慶び「八幡社の重宝」として崇められたのです。(※看板案内文章より)

神社境内にあった年代物の「おもかげ地蔵尊」、水をかけて拝んで下さいとありました。 神社境内にひっそりとあったお地蔵さんです。かなりの年代物のようで、離れて見ないとないとよく分かりません。そばにあった説明を読んでみて納得でした。

おもかげ地蔵尊

この地蔵尊は南部家の江戸屋敷に祀られ、「おもかげ地蔵尊」と呼ばれていました。

7000人以上の犠牲者を出した安政の江戸大地震の時、盛岡藩江戸屋敷も全壊したにもかかわらず、地蔵さまのおかげで死者・けが人も少なく、特に子ども達を守り災難から逃れたと、それ以後も大切になれてきました。

いつの頃からか不明ですが、盛岡市北山の南部家菩提所聖寿禅寺の境内に移され、本堂の入り口に静かに祀られてきました。(※案内説明板から)