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           盛岡市三石神社


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正面に見えるしめ縄と鉄の鎖を巻かれた巨岩。 神社の鳥居をくぐると、しめ縄と太い鎖の巻かれた大きな石が二つ見えてきます。資料によると、高さ6m、周囲約9m位の大きさだと言います。三つ目の石は、右側の石の後ろにあります。

6mの巨岩が立っているのですから、倒れないためには地下にも2m近く埋まっていると思われます。

この鉄の鎖は何を意味するのでしょうか?。鬼を縛りつけたという伝説に由来するのかと思いますが・・。
横の方に回ると三つの巨岩が見えてきます。 正面から後ろに回ると、三つ目の石が見えてきます。


三ッ石と鬼の手形(現場の案内板から)

伝説によると、昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の住民をなやまし旅人をおどしていました。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい、境内にある巨大な三ッ石に縛り付けました。鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方にはやって来ないことを誓ったので、約束のしるしとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやりました。

社務所側から見た様子。三つ並んでいるのが分かります。

この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又、鬼が再び来ないことを誓ったので、この地方を「不来方(こずかた)」と呼ぶようになったと伝えられています。

鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も踊り、神様に感謝のまごころを捧げました。この踊りが「さんさ踊り」の起源ともいわれています。

後ろに回ってみると、三つあるのがはっきりします。二つ目の後ろにも大きな石が転がっていました。
この岩に手形があるのだそうですが、私には見えませんでした。

中央の石の後ろですが、ここに鬼の手形があるのだそうです。社務所の壁に説明の図面がありましたが、私にははっきりとはしませんでした。

しかし、伝説によると手形の部分には苔が生えないと言います。中央部分の色が変わっていますので、ここかなとも思われます。

お参りに来る皆さんが、みんなで触るので色が変わっているのかも知れませんね・・。

櫻山神社の烏帽子岩、三ッ石神社の巨岩、どうやら巨岩の魅力に引かれている今の私です。まだまだ県内には巨岩がありますので、あちこちほっづぎ歩かなくてはなりませんね・・。



三ッ石神社由来・・・現場にあった石碑からの文章です。

岩手の呼び名について大和物語りによれば、「平城天皇の御代に、みちのくの国から鷹が献上され、帝はこれを岩手と名付けた」とある。俗説では、「三ッ石と鬼の手形」の物語が岩手の地名や不来方の起源や地名であるといわれている。

伝説によると、むかしこの地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の人々をなやまし、旅人をおどしていた。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ッ石に縛りつけた。鬼は二度と悪事をしないし、また二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので、約束のしるしとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやり、それからこの手形のあとには苔が生えないといわれたいる。

しかし、長い年月がたっているので今ははっきりしません。この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源だといわれる。また鬼が再び来ないことを誓ったことから、この地方を不来方と呼ぶようになったと伝えられている。

鬼の退散を喜んだ住民達は、幾日も幾日も踊り神様に感謝のまごころを捧げた。この踊りが名物「さんさ踊り」の起源だといわれている。「さんさ踊り」の名まえは、「さしあげ踊り」、つまりお供え物をして踊るというのが短くなったとか、三十三も踊りの種類があるので「さんさ」というのだとか、いろいろの説がある。

三ッ石はもと一個の大きな岩であったが、長い年月の間に三ッに割れて現在の三ッ石になったのである。
(以下省略)

昭和47年八月二十七日 社殿落成日 三ッ石神社奉賛会