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          岩手町・北上川源泉


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岩手の母なる大河・北上川は、岩手町御堂付近に源泉があります。この地から河口になる石巻市まで延々249kmを流れ、恵みの川として流域の田畑を潤し、また交通の要所として船運が活発に行われていました。九月上旬の台風と集中豪雨では甚大な被害をもたらした川でもあります。子どもの頃から知っていた五大ダムの完成で、以前に比べたら治水計画のおかげで安心して暮らせる流域でもあります。

以前から一度訪れてみたいと思っていた源泉です。一戸町奥中山にほど近いR4号から東に少し入った所に、きれいに整備された「いわてまち川の駅」がありました。

岩手町は、北緯40度に位置する東北一の大河・北上川の源泉の町です。伝説のロマンにいろどられたこの泉は、「弓弭(ゆはず)の泉」と称され、古来この地方の人々に愛されて来ました。

北上川源泉「いわてまち川の駅」は、源泉から河口まで北上川の恩恵を受けて暮らす人々の交流と連携のシンボルとなるよう、願いを込めてつくられたいこいの場所です。北上川の長さ249km。(※現地の案内板から)

「かわの駅」の上に御堂観音があります。山門をくぐり石段を登った所に鎮座する御堂観音は、案内板を読んでびっくりしたのは、後三年の役に関わる源頼義・義家父子の建立になるとありました。観音様の御本尊は、源頼義が戦勝を祝って寄進した黄金の千手観音像です。この黄金の千手観音像が、羽柴秀吉、蜂須賀家と関わることを知り、歴史の事実の重みと言いますか、歴史上の出来事がより身近に感じたことが沢山ありました。

この場所は、木々の葉が落ちた冬か春先にまた訪れたいと思います。今度は御堂観音の様子をがっちりと撮影したいなと思いました。

※弓弭・・・弓の両端の弦を刈る部分のこと。


御堂観音の入り口と奥に見える山門。 御堂観音の入り口と奥に見える山門です。石段を登りますが、樹木が密生し直射日光があたりません。うっそうとした木立の中に、御堂観音と言われる「天台宗北上山新通法寺正覚院」がひっそりとありました。
杉の木の根元から出てくる水が弓弭の泉になります。 天喜五年(1057年)六月、安倍頼時征伐の為、源頼義・義家親子が馬を進めた折、打ち続く炎暑に苦しみ賊徒平定もはかどらず本国を伏拝み救世断念、義家が弓弭(ゆはず)をもって岩をうがち泉を得たと言われ、今尚清水が湧き出て北上川の源泉をなしている。

正面の杉の木の根元から滴り落ちる水が、右側にある池(清水)に貯まっています。弓弭の泉の石柱が立ち、ここから流れる清水が沢水になって道路まで下っていきます。

この場所はすごく静寂であり、木漏れ日もなく身が引き締まる思いがしてきます。
水のしみでる根元の拡大。 清水の落ちる場所の拡大撮影ですが、はっきり写ってはいません。ほんの少しの水が、根元の空洞の地面からしみ出てくるように思いました。

その水は隣にある池(清水)に貯められます。清水のある場所の上に、巨大な杉の枯れ木がありました。案内板によると、樹齢千二百余年の風雪を生き抜いた県下有数の老木であると書かれていますが、現在はすっかり枯れて途中から折れています。しかも、中は空洞であり、上の方には焼けこげた跡がはっきりと残っていました。平成五年三月の看板ですから、その後に落雷があり火災になったものと思われます。
弓弭(ゆはず)の清水、中に硬貨が見えています。 弓弭(ゆはず)の清水です。直径が2mほど、深さは1m位と思います。清水の中にはお賽銭にあげたのでしょうか、硬貨がキラキラと光っています。

清水を撮影していたら、子ども達がお参りに来ました。硬貨を見つけて喜んでいました。光って見えるのはアルミの一円硬貨ですが、その他の硬貨はよく見えません。

この清水からあふれた水が、ここから下に流れて北上川の源流になるのですから感無量です。