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        八幡平後生掛温泉・泥火山


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大湯沼の干上がったところにある無数の泥火山です。バックが白いのは湯沼から上がる湯気です。なんか別世界の雰囲気になります。

八幡平とのつき合いは学生時代からですから、およそ半世紀以上前のことになります。今でこそ車で直接目的地まで行けますが、当時は西根町大更からバスに乗り松尾鉱山口まで行き、ここからは徒歩で向かうしか方法が無かったのです。アスピーテ火山の名の通り頂上付近はなだらかな場所ですが、そこまで行くのが大変であり登山コースそのものでした。

学生時代に興味を持ったのが、岩手側よりも頂上から西に降りた秋田側にありました。ふけの湯か御生掛で一泊し、御生掛から噴気活動を見ながら「オナメ・モトメ」「泥火山」「大湯沼」を経て、見晴らしの良いもうせん峠(?)を過ぎ坂を下りながら、「焼山」の小さな噴火口を見て尾根伝いに一気に玉川温泉まで下るのが一般的なコースでした。

大好きな八幡平には、夏や秋に時期に毎年訪れていますが後生掛温泉にある泥火山の撮影は三十年ぶりぐらいになります。ここでは噴気活動の凄さと泥火山、大湯沼の様子を紹介いたします。



後生掛温泉の様子です。資料から由来等について紹介いたします。

海抜1,000mの十和田八幡平国立公園に後生掛温泉があります。四季を通じて自然の地熱と湯煙りに包まれ、温泉療養(湯治)には最適の条件を満たしています。特にも一年中地熱で床が温まっているオンドル宿舎は、リウマチや神経痛に効くと言われ後生掛温泉の箱蒸し風呂とともに有名です。開湯以来「湯治の後生掛」と言われた湯治場を、全5棟(収容人数200名)の規模とし「湯治村」として10年を迎えました。

後生掛温泉由来・・・
300年前、三陸生れの若者九兵衛が地獄谷の尻に牛を飼って住み着いていたが、三年目の夏に生死をさまよう重病に冒された。その時恐山に向かう若い巡礼が通りかかり佛心を込めて看病したので、九兵衛は全快し、同情と敬慕に結ばれた二人は幸福な三年を過ごした。

然し九兵衛には三陸久慈に許嫁があった。出発後生まれた子は七才になっていた。子供のため、夫を迎えに妻は故郷を後にした。やっとたどりついた地獄谷で見合う三人の夜が夫々の苦悩と鶏鳴に明けると巡礼の姿が無かった。妻は予感をたどり、地獄谷大石の側に草鞋を見つけた。女として女を知る妻は号泣した。そして妻も又夫の声を後に聞きながら、後生を掛けて地獄谷に身を投じていた。その後地獄谷を訪れる人はオナメ(妾)モトメ(本妻)と呼びこの地を後生掛と呼ぶようになった。(※ネット資料等から)

「オナメ・モトメ」現場で立て看板の文字を読み、物凄い熱湯の噴気を見ている時はそれほど心に迫らないのですが、こうやって活字をタイプしていると当時の悲劇が浮かんできます。悲しい伝説とはいえ、じーんと来るものがあります。
十月中旬のことでしたが、紅葉が最高の時でした。平日でしたが駐車場が満車で、かなり遠くに置いてきました。

後生掛温泉前にて 1・・・ホテルの玄関口です。 後生掛温泉前にて 2・・・自然研究路入り口です。ここには案内図と諸注意が書かれてありました。
後生掛温泉前にて 3・・・看板の中にある現場全体の配置図です。ちょっと古くなっていますが拡大すると分かります。 後生掛温泉前にて 4・・・ホテル前の駐車場から見た今が盛りの紅葉です。


自然研究路に入りしばらく進むと、のどかな雰囲気からがらりと様相が変化します。谷間が熱気で赤茶色に焼けただれ、もうもうと水蒸気が舞い上がり、谷底には小さな熱湯湯沼が沢山見えます。案配板の注意ではないのですが、この場所は絶対に通路から出てはいけません。本当に命の保証がないのです。

圧倒される風景 1・・・目の前に広がる噴気活動が見えてきます。 圧倒される風景 2・・・オナメ、モトメが見える小高い丘。舞い上がる水蒸気が凄いのです。 圧倒される風景 3・・・風の吹き方によっては通路が水蒸気で覆われます。

後生掛温泉の名称由来になる「オナメ・モトメ」の熱湯池です。もうもうと湯気が舞い上がり、レンズを向けてもピントが合いません。全体が一つの池のように見えますが左側が「オナメ(妻妾)」で、その右隣で熱湯を拭きだしている小さな方が「モトメ(本妻)」と言うことになります。たまたまでしたが、戻ってきたら風の吹きようでモトメの噴気がはっきりと見えました。

オナメ・モトメ・・・
下の方をのぞくと、勢いよく噴出している蒸気孔や湯だまりがいくつか見られます。その中でも、右手前直径2m程の熱湯の噴出口が「モトメ(この地方の方言で本妻の意)」と呼ばれ、その右に寄り添うようにして激しく水蒸気を出している小さな孔が「オナメ(同じく妻妾の意」と呼ばれています。(※現場の案内板から)

「オナメ・モトメ」の熱湯池 1・・・左がオナメで右がモトメです一つの池のように見えます。 「オナメ・モトメ」の熱湯池 2・・・熱湯が噴出するモトメですが、たまたま撮影できました。

周辺には大小色々な熱湯湯沼が噴気活動をしています。その中から比較的大きな湯沼を撮影しました。95℃前後の熱湯がもりもりと湧き出ている様子に驚きます。

下段の右画像を拡大すると、水面が波打っているのが分かると思います。本当に怖いくらいで、間違って落下したらと思うと身震いがしてきます。

熱湯湯沼 1
熱湯湯沼 2・・・左側の拡大です。あまり湯量が多くはないようです。 熱湯湯沼 3・・・右側の拡大ですが、ぐらぐらと沸騰しているのが分かります。

「オナメ・モトメ」の熱湯池から少し進むと、ちょっと大きめの熱湯湯沼からもうもうと水蒸気が上がっているのが見えてきます。この場所は本当に泥の池というような感じで、立て札には「紺屋地獄」と書かれてありました。

紺屋地獄(湯沼)
泥湯の泥は天然蒸気の成分であるイオウや、それが地表に出る際出来た硫化鉄が沈殿したものと、岩石の変質物との混合物です。この沈殿物を蒸気がときどき押上げているさまをごらん下さい。紺屋というのは染物屋のことで、この池がちょうど染料を煮ているようなところから、この名前がつけられました。温度は94℃です。

紺屋地獄案内板 紺屋地獄の湯沼で、中央から湧き出しています。それにしても泥の湯です。

先ほどの「オナメ・モトメ」の熱湯池の見える丘から下流の方を見ると、何本ものパイプの列が延々と下まで言っているのが見えます。後生掛温泉の源泉にあたる湯沼から温泉宿までのパイプラインになります。かなり赤く変色していますので、強酸性の湯だと思われます。

そう言えば登山で皮膚が傷ついていると、痛いくらいしみた記憶があります。不思議なもので、これが良く効きました。
湯沼(源泉)からパイプで引きます。 湯沼(源泉)からパイプで引きます。下流に旅館が見えています。


「紺屋地獄」を見下ろしながら坂道を登っていくと平坦路に入ります。ここからは二手に分かれていて、右手の大湯沼方面と左の泥火山へと分岐します。また分岐点には、ちょっとした茶屋があり色々なものが販売されていました。

分岐点の看板から・・・
ここから歩道は二手に別れ、右側のコースをたどると240mで大湯沼に着きます。左側のコースは大泥火山、中坊主地獄を経て大湯沼の手前で右側の道路と合流し一周できます。大泥火山まで440m、一周すると1340m、ゆっくり歩いて約30分かかります。

歩道沿いには、噴気、噴湯、噴泥、泥火山などの珍しい火山現象を観察することができます。これらの箇所は熱湯や有毒な硫化水素が噴出し、陥没の恐れもあり、近づくと非常に危険ですので、絶対に歩道の外に出ないでください。

散策路分岐点 1・・・左は泥火山、右は大湯沼でぐるりと廻ることが出来ます。 散策路分岐点 2・・・茶屋がありました。自家発電の音が気になるくらい大きかったのです・・。 散策路分岐点 3・・・詳しい現地の配置図。
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