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         一戸町・浪打峠の交叉層


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浪打峠にある砂岩の地層です。この一帯に国の天然記念物に指定されている交叉層(クロスラミナ)があります。
一戸町にある浪打峠の交叉層(クロスラミナ)・・、この所在を知ったのは通院している盛岡市のT眼科医院で見た冊子の表紙でした。院長であるT先生は、忙しい診察の傍ら県内はおろか学会等でヨーロッパまで出かけている眼科の専門医です。診察を待つ間に見ているのが医院の広報誌ですが、表紙を飾る見事な地層の写真に惹き付けられていました。

忙しい診察業務の中で、個人的な興味からのお話等は無理なのですが、たまたまですがお聞きする機会がありました。T先生は「車で行けますよ・・」と話しておられました。そのお話をお聞きして、国の天然記念物でもある地層の様子を撮影したくなり出かけたのが10月の末でした。


国指定天然記念物 浪打峠の交叉層 指定年月日 昭和16年8月1日

交叉層とは、普通「偽層」(クロスラミナ)と呼ばれ、地層が斜めに交叉する小規模な地層のことで、流動している水中または空気中で、砂や細礫がなどが堆積するときに生ずるものといわれています。

ここ浪打峠の交叉層は海水の中で堆積したもので、砂や軽石の粒や火山岩の粒が主な堆積物で、美しい縞模様を造りながら積もり、明瞭な交叉の様子を見せています。この交叉層は、その外観が美しく、規模も大きいことから、国の天然記念物として指定されました。

この地層は「末の松山層」といわれ、海底火山の噴出が盛んであった時代に、海水の中で、堆積した「末の松山層」の、上位の部分の地層で、今から1500万年前に堆積したものと考えられています。

浪打峠は別名「末の松山」ともいい、昔一戸から福岡(二戸市)へ抜ける「奥州街道」となった場所です。

(※現場にある案内板から)


昔の奥州街道の峠なのですが、今はほとんど通る人もなく、木の葉が道路や周囲の地層にうずたかく積もっていました。ここでは峠に登る途中の清水や、峠の様子、地層に含まれる化石、そして天然記念物になっている交叉層(クロスラミナ)の様子を紹介します。



昔の奥州街道は、現在は車が一台やっと通れるくらいの急斜面の山道になっています。私は八戸道・一戸ICから降りて末の松山トンネルを抜け、二戸市側の旧道入り口まで行きました。 旧奥州街道入り口 1
旧奥州街道入り口 2・・・案内標識があります。 奥州街道入り口には立て札の拡大です。左は九戸城址まで(2.8km)、右は末の松山(0.7km)と書かれてあります。

末の松山トンネル口(二戸側)が見えていますが、ここから手前の方向にしばらく走ると九戸城址に向かいます。

山道の旧奥州街道に入るのですが、車が一台通れる狭い道です。入り口は舗装してありますが、すぐ舗装がなくなります。
旧奥州街道入り口 3・・・左側が旧奥州街道で右側が新しく作られた道路です。トンネルが見えますが末の松山トンネルと言います。 旧奥州街道入り口 4・・・ここから登ります。


山下水・・・

明治9年(1876年)明治天皇が東北御巡幸の折り、浪打峠で行われた野立てにこの山下水が用いられ大変喜ばれた。その後、この山下水は御膳水と呼ばれる名水となった。その水樋に添えて差し出された和歌が石碑に刻まれている。「足曳の山下水をくみあげてわが大君にお茶をたてまつる」(※現地にある説明板より)

飲料水としてご利用の方へ・・・
水質検査の結果、この水は一度沸かしてからお飲み下さることをおすすめいたします。


この山下水は浪打峠の二戸市側にあり、坂道を上りながら撮影したものです。

山下水 1・・・山下水の記念碑があり、歌が刻まれています。 山下水記念碑・・・

「足曳の山下水をくみあげてわが大君にお茶をたてまつる」・・・と刻まれていますが、詳しいところは読み取れません。

山下水 2・・・清水の様子ですが落ち葉に埋まっています。水飲みようの柄杓がありました。 記念碑下側の落ち葉の中に小さな清水溜まりがあり、水飲みに使用する柄杓が置かれてありました。

しかし、すごい落ち葉が積もっていて良く分かりません。落ち葉を取り除いて、清水の出口とたまり場をきれいにしてみました。

コンクリートの溜めますと細い水路が造られてあり、崖の斜面からわずかですが、きれいな水が流れ出ています。

しかし、飲んでみるかという気にはなれません。
山下水 3・・・落ち葉を除けてみました。 山下水 4・・・ちょろちょろですが崖の方から水が流れ出ています。


浪打峠・・・

浪打峠へは二戸市側から山道を走って来ました。落ち葉がびっしりと積もっていますので、雨上がりですとスリップして登られないと思います。幸いでしたがすれ違う車もないので、一気に峠を目指します。


浪打峠は、『ちぎりきな かたみにそでをしぼりつつ末の松山 波こさじとは』 という古歌で有名な末の松山とも呼ばれ、その昔一戸から福岡へぬける奥州街道となっていた場所です。交叉層とは、現在では一般的に「偽層」(クロスラミナ)と呼ばれています。

クロスラミナは、もともと地層が斜めに交差する小規模な層の事で、流動している水、または空気の中で砂などが堆する際に生ずるものと言われており、特に末の松山のクロスラミナは、その規模が大きく、しかも外見が美しい事から国の指定となっています。

層は粗い砂岩で、中にはホタテ貝などの化石の砕屑物が層になって点在しており、美しい縞模様となっています。この浪打峠の地層は、末の松山層と呼ばれ、今から700万年前のものと言われています。(※ネット資料から)
浪打峠の様子 1・・・二戸側から峠頂上に出た時に見える様子。 車で登ってくるとすぐ頂上に着きますが、昔の旅人は曲がりくねった険しい山道を苦労してここまで歩いて来ました。

峠という時をよく見ると、山の上下となります。山登りやハイキング等で峠にかかると辛いのですが、峠の境に立つと気分爽快になるから不思議です。車ではそんな気分すら出ないのですが・・。

しかも、山道の両側には砂岩の地層ときれいな模様が見えますので、きっと旅人もここでは一服休憩したものと思われます。
浪打峠の様子 2・・・峠を下りると記念碑と案内板がありました。 石碑が二つと、浪打峠交叉層の案内板が立てられています。以前の現場写真を見ると、この場所一帯は立ち入り禁止の柵が設けられていましたが、現在は柵等が一切なく側まで行って見ることが出来ます。
浪打峠の様子 3・・・東屋があり、ここは末の松山浪打峠と書かれてあります。 きれいな東屋があり案内表示があります。表示には、ここは末の松山浪打峠と記されてあります。
浪打峠の様子 4・・・砂岩の地層を正面に見ます。 浪打峠の様子 5・・・地層と峠道。
浪打峠の様子 6・・・峠道両側の地層を入れてみました。 上の三枚の画像は、東屋の場所から峠の方向を見た様子です。一面の落ち葉に覆われていますが、山道の左側には堆積した地層がはっきりと分かります。

山道の右側には、峠の頂上付近にある切り通し状の地層が見えています。

ここまでは、浪打峠の様子を風景の一コマとして紹介しました。次のページでは、私なりに分析した地質学的に見た浪打峠として紹介いたします。しかし、専門家ではありませんので、ネット資料や今までの体験的事実からの分析であることをご承知置き下さい。
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