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           羽黒堂と羽黒岩


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入り口にある巨大な石の下駄です。鼻緒の色が薄くなっていました。
羽黒堂と羽黒岩・・・

羽黒堂の創建は平安時代にまで遡るといわれる。本尊は金銅聖観音座像懸仏である。堂の後ろにある羽黒岩は、松の木と背比べをしたという伝説がある。伝統的な風習を伝える場ともなっており、夜篭もりなどが行われている。

以前のことですが、遠野市綾織地区にある続石を撮影に訪れました。その後でしたが、続石からほぼ4km東に羽黒岩という巨石があることを知りました。しかし、なかなか訪れる機会がないまま今日に至っておりました。4月初旬でしたが、遠野市道の駅「遠野風の丘」に新型の風車を撮影した帰りに思い出して現地を訪れました。道の駅からは道路を隔てて少し西に行ったところに入り口がありました。

2m以上あるのでしょうか、巨大な一枚岩造りの下駄が立てられ紅白の鼻緒が付けられています。

この部分は、以前に紹介した巨石文化アラカルトから転記した内容です。


道路脇の入り口・・・

以前のことですが羽黒岩の存在を知ったとき、入り口に巨大な石造りの下駄が写真入りで説明がありました。この入り口道路は、道の駅前のR283から分かれて綾織地区に行く近道(以前の本道)の側にそばにあります。

下駄の脇には、「遠野遺産第78号 羽黒堂と羽黒岩」と書かれた案内板が立っています。
入り口道路脇の様子 1・・・ここが入り口になります。
入り口道路脇の様子 2・・・羽黒岩の説明文が書かれています。 下駄の脇にある「羽黒岩」説明文です。

この上に高さ約9メートルの巨石があります。矢立松と、おがり(丈)くらべをしたところ、石の分際で樹木と争うなどけしからんと天狗に下駄でけられ、上の部分が欠けた岩の話は『遠野物語拾遺』第10話ににのっています。

矢立松は、坂上田村麻呂がエゾの宮武を射った矢の鏃がくいこんでいるといわれた松です。

羽黒権現を祀っていたこのあたりは、羽黒山伏の先達たちが矢立の行事をおこなっていた祭場だろうと推測されます。

入り口道路脇の様子 3・・・下駄の裏側にある石碑群。 下駄の裏側と後ろに建つ石碑です。巨大な下駄の歯は一本ですが、天狗の履いた下駄となると一本歯になります。一本歯の下には鼻緒が結ばれています。

石碑にははっきりした文字で「金毘羅台権現」と刻まれてあります。いつ頃造られたのか確認はしていません。湯殿山、百万遍修行と刻まれた石碑もありました。
入り口道路脇の様子 4・・・傾けて造られた鳥居です。ここから上に上ります。 羽黒岩まで上る通路入り口に立つ赤鳥居です。この鳥居は右肩が落ち込んでいますが、古い鳥居のために傾いているのではないようです。しかし、何となく趣を感じる鳥居です。

鳥居の側には、羽黒岩 400mと書かれた標識が立っています。ここから400mの山道を上ってみました。


山に登る道・・・

この道路の両側には民家があり、道路脇には栗の木が植えられていました。ほどなくして杉木立の暗い通路になりました。

暗くて撮影するのが困難なのでストロボを使用しました。鳥居の前で左右に道が分かれていましたが、私は鳥居をくぐり真っ直ぐ進みます。しかし杉の葉がびっしりと積もり道路が杉の葉だらけでした。滑るし下にある根っこが見えないため、カメラを持ったままずっこけた私です。
山に登る道 1
山に登る道 2・・・ここで右側を進みます。 山に登る道 3・・・暗い上に杉の葉だらけで歩きにくいのです。
山に登る道 4・・・登り道脇にあった古い石碑。 途中の道路脇に大きな石が転がっています。杉の葉を除けてみたら、何となく文字が見えてきましたがはっきりとは読めませんでした。
山に登る道 5・・・頂上が見えてきました。 前方の杉木立の中に階段があり、その向こうにお堂の屋根が見えてきました。あちこちに杉の葉と枯れ枝が転がっています。注意して歩かないとつまずいて転びます。


出羽神社・・・

お堂の真下に来たら、巨大な石が二個見えてきました。また、羽黒堂の屋根も見えています。入り口からここまでそれほど大変ではないのですが、時間にして15分ほどかかりました。
山頂にある大きな石が見えてきました。
下から見たお堂の屋根です。 お堂の屋根が見えてきました。この場所の通路は右の方に折れてお堂の前に出るようになります。

お堂には羽黒堂と書かれてあると思いましたが、出羽神社と書かれた扁額が掲げられてあります。神社の前にはかなり大きな石があり、側に標識が立っていますが大きな文字はともかく小さな字が読めません。
羽黒神社と思いましたが、何故か出羽神社でした。 神社前の大きな石と、古くなって読めない案内標識です。


羽黒岩と周辺・・・

神社の左側に巨大な岩(羽黒岩)立っています。向かって右側の石が大きく、高さが9mあると言います。左側の石の前には石碑があり文字が刻まれていましたが、詳細は分かりません。

天狗に蹴られて低くなったと言いますが、元来は大きな一個の岩であったと思われます。右側の岩にも割れ目(節理)がありますし、中央の隙間も節理が大きく割れたものと思われます。
お堂左側にあるメインの羽黒岩です。右側が9mあります。
羽黒岩の後ろ側です。 メインになる岩の周辺を廻って見ると、それぞれの岩が独立して突き立っているのが分かります。やっと一人が通られる隙間でしたが歩いてみました。

どの岩にも共通していますが、大きな割れ目(節理)が見られます。
山頂にある羽黒岩の南側の部分は、西側に大きな割れ目があり隙間を通ることが出来ました。それそれの岩にはかなりのひび割れ(節理)が見られます。いつに日にかここから割れていくものと思われます。 羽黒岩南側の後ろの部分 1
羽黒岩南側の後ろの部分 2・・・通り抜けられる隙間があります。 羽黒岩南側の後ろの部分 3・・・隙間の様子。
岩の隙間から上を見た様子。 どの岩かはっきりしませんが、隙間から上を見上げてみました。


羽黒岩のほぼ全景です。石碑がありましたが読めませんでした。 9mの巨石、中央に大きな割れ目があります。
羽黒岩を観察した様子を私なりに書いてみました。

頂上には大きな花崗岩の岩が四個あり、地面に突き立っている。それぞれの間は繋がってないので独立した岩と思われる。メインになる山頂の巨石だが、南側に二個(上の画面の左側)、北側(上の画面の右側)に大きいのが一個あり高さが9mになる細長い岩である。

9mある北側の岩にもかなり大きな割れ目(節理)があり、いつの日にかここから二つになりそうです。

南側の岩は二個あり割れていて隙間がある。天狗に蹴られて背が低くなっているという伝説がある。岩の上にはサクラの木(?)が芽生えていた。この隙間は通ることが出来る。この場所から下を見ると、かなり大きな岩がごろごろあり大きめの岩だけでも12〜3個ぐらいあるようだ。

ここから4km程西に以前に見た続石の山がありますが、ここ羽黒岩はそれほどの急坂でもなく15分位で上まで行けます。この巨石が出来た遙か太古の時代には、この地域は巨大な河川敷か浅い海洋の中にあり、地下深くで造られた花崗岩が隆起し、流水の力で浸食され、丸みのある岩石になったと予想されます。やがて岩石の周囲の土砂が流出し、巨大な岩石が山頂部に取り残されたと思われます。そんなことを思うと、あちこちで見られる山の上にある花崗岩の成因が分かるような気がします。

※現場を訪れたのが午後3時を過ぎていました。晴れてはいたものの光線状況がかなり西側にあり、ストロボを使用
  して撮影したコマもあります。いつも思うのですが、木立の中での撮影は落葉樹の芽生えの芽の前、太陽が頭の上
  にあり高曇りの時が最良のようにも思います。羽黒岩はかなり厳しい条件でした。