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location:uchinome.jpトップ>自然の表情>風景の表情>三沢市・ミスビードル号記念広場 |
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三沢市にある県立航空科学館を訪れるのは今回で三度目になります。2008年11月24日、八戸市まで出かけたときに訪れたのが最初になります。三沢基地に隣接し広大な基地の東側にある航空科学館です。建物の外にある大空ひろばには日米の軍用機11機がずらりと並び、航空機撮影マニアであった息子(ブラカメ)と驚きながら側に寄って触れたりしました。 |
ミス・ビードル号太平洋無着陸横断飛行・・・ 彼らはもともと、1931年の6月にウィリー・ポストとハロルド・ゲッティという別のパイロットたちが記録した、8日間15時間51分の世界一周早回りを打破する目的で世界を飛行していました。しかし、彼らの当初の試みは様々な事情により成功に至ることができませんでした。そこでパングボーンらは、最後の挑戦として、太平洋を無着陸で横断する飛行を決行したのでした。 太平洋上で彼らは、機体重量を軽減し、少しでも飛行距離を延ばすため、車輪を機体から切り離しました。また、小さなコンパスを頼りに方向を確認し、夜は北極星を目印に進みました。そしてついに、現在の東ウェナッチ市である泥地に胴体着陸しました。 三沢市の淋代海岸を飛び立ち、41時間10分後、距離にして約4,900マイル(7,847km)の区間を、パングボーンとハーンドンは飛び続け、ウェナッチ地区での着陸に成功しました。彼らはこの時、世界で初めての記録を樹立し、その名を永遠に航空史に残すこととなりました。 この成功の裏には、地元三沢の人々が平らな砂地の滑走路の上に厚い杉の板を敷き並べて飛行機が滑走しやすくしたり、ガソリンの輸送と機体への積込や機体の整備、宿泊の世話など成功を祈って協力を惜しまなかったというエピソードがありました。 淋代海岸には、この快挙をたたえる『太平洋無着陸横断飛行記念碑』が、小川原湖畔(市民の森)には飛行40周年記念碑『翔翼の碑』が立てられています。(※三沢市HPより)
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