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       三沢市・ミスビードル号記念広場


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広場にある説明看板から

三沢市にある県立航空科学館を訪れるのは今回で三度目になります。2008年11月24日、八戸市まで出かけたときに訪れたのが最初になります。三沢基地に隣接し広大な基地の東側にある航空科学館です。建物の外にある大空ひろばには日米の軍用機11機がずらりと並び、航空機撮影マニアであった息子(ブラカメ)と驚きながら側に寄って触れたりしました。

科学館の内部にも実機が展示されており、嬉しかったのはすべての撮影は制限がなかったことでした。暗い場所になりますのでストロボ使用をしなければなりませんが、歴史的な飛行機の原点とも言える復元機が天井から吊されています。

三度目の今回訪れたのは、零戦の実物大復元機が展示され、実際にエンジンを始動するというイベントがあることを知ったからでした。しかし、本当に残だったのは、11月29日から12月5日までミス・ビードル号受け入れのために公開中止となっていたことでした。ここまで来たのに・・と思いましたが、これだけはどうにもなりません。

頂いた資料によると、零戦実物大復元機は映画「人間の翼」の製作にあたって映画撮影にセット用として製作され、後に主人公の郷里である佐賀県神崎市に展示されている復元機であると言います。

科学館の見学を中止して帰るとき思い出したのが、太平洋無着陸横断飛行発進地のことでした。初めての場所でもあり詳細な場所が分かりません。三沢市から六ヶ所村に向かう海岸道路(R338)から海辺に向かって入ったところにありました。

タイトル画像は、記念広場に設置されたレプリカ機体(ミス・ビードル号)の側にあった説明板からのものです。「太平洋を翔けた人々」のタイトルが気に入りました。


海岸に行く手前にある記念碑

太平洋横断無着陸飛行記念碑

この地は、アメリカ青年ヒューハンドン、クライドバングボーン両氏がミスビードル号で太平洋横断飛行に成功した記念の地であります。

昭和6年10月4日午前7時1分淋代海岸発、6日午前零時14分ウエナッチ飛行場着陸。飛行時間41時間13分 飛行距離7,847km、淋代〜ワシントン州ウエナッチ。

出発にあたり同機は荷重軽減のため車輪を投下して、その成功を期し、目的地ウエナッチでは、胴体着陸を決行しました。

これに先だち昭和5年9月アメリカ青年ハロルド・ゲッティー、ハロルド・グロムリーの両氏が「タコマ市号」で同じ試みを行いましたが、パイプの故障でカムチャッカ方面より引き返して失敗しています。また、昭和6年5月と9月に同じくアメリカ人によって横断飛行を試みられましたが、失敗しています。

なお、日本人では昭和7年9月24日機長予備役海軍中佐本間清氏外2名にて「第3報知日米号」により離陸したが千島沖で連絡を絶ち、行方不明になりました。

悲運の勇者の慰霊碑は浜三沢公園に、昭和37年10月に建立されました。(※現地にある案内板より)

ミス・ビードル号記念広場入り口 やっと見つけたミス・ビードル号記念広場です。

R338から海岸線に向かう途中に、「太平洋無着陸横断飛行記念之地」と書かれた記念碑を見つけました。側には日本語と英語で書かれた説明板がありました。

ここから更に海岸線に向かったところに、「三沢海岸 青い海はみんなの家」と書かれた木柱があり、その下に「」太平洋無着陸横断飛行 ミス・ビードル号記念広場」と書かれた看板がありました。
ミス・ビードル号記念広場入り口から見たレプリカ機体と展望櫓。 周辺は起伏に富んだ広い砂浜ですが、正面には五層の展望櫓(23m)が建てられ、その前にミス・ビードル号のレプリカが置かれてありました。

ミス・ビードル号太平洋無着陸横断飛行・・・

1931年(昭和6年)10月、米国人飛行家クライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンの二人は、単発エンジンで単葉機であるミス・ビードル号によって現在の 三沢市にある淋代海岸を離陸、太平洋上を無着陸で横断飛行し、米国ワシントン州ウェナッチ地区に着陸しました。彼らの飛行は世界初の成功を収めることとなりました。

彼らはもともと、1931年の6月にウィリー・ポストとハロルド・ゲッティという別のパイロットたちが記録した、8日間15時間51分の世界一周早回りを打破する目的で世界を飛行していました。しかし、彼らの当初の試みは様々な事情により成功に至ることができませんでした。そこでパングボーンらは、最後の挑戦として、太平洋を無着陸で横断する飛行を決行したのでした。

太平洋上で彼らは、機体重量を軽減し、少しでも飛行距離を延ばすため、車輪を機体から切り離しました。また、小さなコンパスを頼りに方向を確認し、夜は北極星を目印に進みました。そしてついに、現在の東ウェナッチ市である泥地に胴体着陸しました。

三沢市の淋代海岸を飛び立ち、41時間10分後、距離にして約4,900マイル(7,847km)の区間を、パングボーンとハーンドンは飛び続け、ウェナッチ地区での着陸に成功しました。彼らはこの時、世界で初めての記録を樹立し、その名を永遠に航空史に残すこととなりました。

この成功の裏には、地元三沢の人々が平らな砂地の滑走路の上に厚い杉の板を敷き並べて飛行機が滑走しやすくしたり、ガソリンの輸送と機体への積込や機体の整備、宿泊の世話など成功を祈って協力を惜しまなかったというエピソードがありました。

淋代海岸には、この快挙をたたえる『太平洋無着陸横断飛行記念碑』が、小川原湖畔(市民の森)には飛行40周年記念碑『翔翼の碑』が立てられています。(※三沢市HPより)


ここでは、展示されてあるミス・ビードル号(レプリカ)について色々な方向から撮影した様子を紹介します。設置されてからの年月経過と、海辺であることなどから塩害があり腐食している部分も見られました。


ミス・ビードル号概要・・・

翼 長:14.8m
長 さ:8.3m
高 さ:2.5m
最高速度:240km/時
全重量:4,050kg
航続距離:1,120km
自 重:1,176kg
エンジン:空冷9気筒425馬力

(※レプリカ機体の説明から)

ミス・ビードル号 1 ミス・ビードル号 2
ミス・ビードル号 3 ミス・ビードル号 4
ミス・ビードル号 5 ミス・ビードル号 6

櫓の上から 1・・・ラジコン飛行場です。 五階の櫓から下を見ていたら、どこからと無くエンジン音が聞こえてきました。どうやらラジコン機のようです。何度も回転数の調節をしていましたが、風上向かって一機が発進しました。

鉄骨櫓がぐらぐらするほどの強風です。翼をきしませながらすごいスピードで飛び回っています。どうやらここの場所はミス・ビードル号にちなんだラジコン飛行場のようです。
ラジコン機が二機見えていましたから・・。

記念広場付近は海水浴場なのでしょうか、12月の初めはほとんど人影が見えません。夏のシーズンには賑わうのかなあと思いました。
櫓の上から 2・・・天気が良くないのですが、この水平線の向こうまで飛んで行ったと思うと夢が拡がります。 櫓の上から 2・・・テトラポットの堤防が造られていました。
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