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      棚田百選・一関市大東町山吹棚田


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昔ながらの地形を活かした田んぼ、稲刈り前の様子です。
棚田百選とは・・・

日本の棚田百選、1999年7月26日農林水産省プレスリリース

趣旨・・・
棚田は、洪水防止、水源のかん養、多様な動植物や貴重な植物の生息空間や美しい景観の提供などの様々な役割を果たしている。そこで、わが国における代表的な棚田を「日本の棚田百選」として認定し、その維持・保全の取組を積極的に評価し、農業・農村の発展を図るとともに、国民的な理解を深める。

「日本の棚田百選」選定について・・
都道府県から推薦された棚田から選定することとして、選定にあたって「日本の棚田百選」選定委員会を設けた。本委員会で、棚田の評価方法についての意見を得たうえ、さらに、7 月16 日に開催した委員会で都道府県から推薦された149地区・131市町村の棚田について審議し、134地区・117市町村を「日本の棚田百選」として選定した。

今後の予定・・・
農林水産省は、選定委員会により選定された地区を、本日26日「日本の棚田百選」として認定した。なお、8月3日中川農林水産大臣より、代表の市町村長に認定書の交付を行う予定。(※農林水産省HPより)



棚田(たなだ)とは・・・

傾斜地にある稲作地のこと。傾斜がきつく耕作単位が狭い状態において、水平に保たれた田が規則的に集積し、それらが一望の下にある場合は千枚田とも呼ばれる。また、田んぼが段となって作られていることから、段々畑とも呼ばれている。

概要・・・
日本の稲作の適地は、水はけが良く、水利が良い土地である。土地には元々傾斜があるが、傾斜が少な過ぎる土地や排水しづらい土地は湿地となるため水田不適地となる。また、灌漑をする場合はある程度の傾斜が必要であり、傾斜が少ない河川下流域の沖積平野は、江戸時代以前は稲作をするのに不適当であった。

すなわち、近世以前の稲作適地は、地形で言えば洪積台地や河岸段丘の上、平地の分類で言えば盆地や河岸中流域など傾斜がある土地となり、集団化した農民が灌漑設備をつくって棚田をつくるのが一般的である。

江戸時代の西日本は、藩の規模が小さく、沖積平野も狭いところが多かったため、藩経済の基盤の石高を増やすために山間地にまで田圃がつくられ、現在でいう(急傾斜)棚田が多くつくられた。その際、少しでも収量を増やすため、棚田の畔や土手の部分(土坡、どは)は、極限まで収量を上げるために急な傾斜に耐えられる石垣でつくられた。

一方、東日本は藩の規模が大きかったため、(急傾斜)棚田はあまりつくられないか、つくられた場合でも畔や土手は傾斜が緩やかな土盛りとなり、西日本とは対照的な棚田風景となった。東北地方・北陸地方などでは雪融け水が利用できるため、夏季の気温要件が充分なら可耕地が更に広く出来た。

戦後は稲作の大規模化・機械化が推し進められ、傾斜に合わせて様々な形をしていた圃場は、農業機械が導入し易い大型の長方形に統一されて整備された。(急傾斜)棚田ではこのような圃場整備や機械化は難しかったが、土木技術の進歩で大規模化に成功した山間地の棚田も多い。ただし、西日本の(急傾斜)棚田では、大規模化をしようとすると斜面を大きく削らなくてはならず、のり面の土砂崩れ対策など付帯工事の費用が莫大となるため、大規模化されなかったり、営農放棄されたりして荒廃していくところも多く見られた。   (※ウイキペディアより)


トップの画像は、一関市大東町山吹地区にある「山吹棚田」の様子です。今回で二回目の訪れになりますが、前回は2006年9月の末のことでした。稲刈りが終わり、自然乾燥するために「稲はせ」で乾されていました。

すでに10月に入っていますので、現地では稲刈りが終わり稲はせに乾されていることと思います。

作成日:2011年10月 6日



秋晴れの9月15日のことでしたが、稲刈り前の山吹棚田を撮影するために出かけてきました。家から50分ほどで行ける大東町山吹地区です。たわわに実った田んぼは、稲の倒伏等もなくきれいな形で姿を見せていました。

前回訪れたのが2006年9月末の事ですから、丁度5年ぶりに訪れたことになります。前回は無かったのですが、棚田の北側(見下ろす場所)に東屋が整備され付近の遊歩道案内の看板が設置されていました。現地には私達だけでしたので、前回とは違い見下ろす場所を色々探してみました。

案内表示板・・・

国道343号線で大東・猿沢地区から陸前高田市に向かう途中、大原商業高校の北側に位置する山吹地区の奥まったところに棚田があります。

棚田入り口の交差点に表示があり、かつての古い標識と新しい標識が対照的に並んでいます。

朽ちかけた古い標識の上には、赤とんぼが留まっており風情がありました。
案内表示板 1
案内表示板 2 案内表示板 3

棚田を見下ろす東屋周辺・・・

5年前に訪れたときは何もなかったのですが、山吹棚田と早麻山遊歩道案内の看板がありました。また、棚田を高いところから一望できる場所に東屋が建てられ、眼下に広がる棚田や山吹集落や室根山が目に入ります。
案内看板
東屋 1 東屋 2・・・遠くに見えているのが室根山です。
東屋からの眺め 1 東屋はどちらかと言えば棚田最上部西側にあり、松林の中から見下ろすことが出来ます。

田んぼを注意してみると、稲の生長に場所による差があり少々青い部分もありました。前回は9月末に訪れていましたが、今回は二週間ほど早い時期になります。

間もなくきれいな黄金色になった頃、皆さん総出で稲刈りが始まると思われます。
東屋からの眺め 2 棚田最上部から真っ直ぐ下まで見下ろしてみました。棚田特有の田んぼの区切りが見えませんので、この場所は適切ではなかったようでした。

田植え前の水が張られた頃ならば、区画がはっきりとして分かるのかも知れません。

東側からの眺め・・・

真横から見ると、傾斜を効率的に利用した段々畑構造になっています。上の方は比較的形が整っていますが、下の方の田んぼは、それぞれがいろんな形をしており、昔からの田んぼの姿そのままだと思われます。

所々に減反政策による休耕田が見られます。ほとんどが放置された荒れ地になっていますが、この場所での休耕田作物の植え付けは困難であろうと思います。
東側上からの眺め 1
東側上からの眺め 2 東側上からの眺め 3

西側からの眺め・・・

平坦地の恵まれた立地条件とは違い、水利はもちろんのこと、農作業の困難さを思うとき、当地の皆さんの苦労が偲ばれます。

稲作と水利の関係は重要です。安定した水利がなければ耕作等は無理に近くなります。そのための池でしょうか、ため池があり塩ビパイプで水が運ばれているのかなと思います。

西側には水路とコンクリート溜めますが見えていますが、はっきりとは分かりません。

西側上からの眺め 1
西側上からの眺め 2 西側上からの眺め 3
西側上からの眺め 4 傾斜がきついので、田んぼの法面(のりめん)が長くなります。そのため、一つ一つの田んぼが隣の田んぼと距離をおき、独特の模様と言いますか棚田特有の形を見せています。

中央からの眺め 1 中央からの眺め・・・

現場には立派な石碑があり、日本の棚田百選・北限の棚田「山吹」とあります。棚田と言いますと、石川県能登半島輪島市にある「白米の千枚田」が有名です。

かなり以前に能登半島巡りをしたときに、現場を訪れ見た記憶がまだ残っています。山すそが海に落ち込む急斜面に二千枚以上の棚田がつくられ、目の前の日本海との対比がもの凄く印象的でした。
中央からの眺め 2

花崗岩を削った石碑には、日本の棚田百選・北限の棚田山吹と刻まれていました。

家の近くでも、圃場整備された場所から山間に入ると、斜面にある田んぼは棚田の様相を見せています。

しかし、家の近くに日本の棚田百選・北限の山吹棚田があったとは、うかつにも知りませんでした。

石碑が建っている場所からの眺めが、それぞれの田んぼの様子がはっきりとし撮影ポイントであると思いました。

中央からの眺め 3 中央からの眺め 4
中央からの眺め 5・・・木柱にはこの地の標高が250mあると書かれています。 棚田地区を含めた通称「山吹区域」は、旧大原地域を統治した中世の大原千葉氏の居城である山城「山吹城」に近接し、眼下に大原市街地、眼前に秀峰「室根山」の山並みを望むなどその景観は素晴らしく、山吹・室根山ともに、小中学校の校歌に詠われているとのことでした。

田んぼ50枚、水源は渓流とため池、面積は5ha。

(※ネット資料から)