岩手の一本桜あれこれに戻る


         奥州市伊手・出居の妻櫻


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 ほっづぎある記 心のオアシス  

location:uchinome.jpトップ>自然の表情>植物の表情岩手の一本桜あれこれ>奥州市伊手・出居の妻櫻

 サイトマップ


奥州市江刺区にある阿原山の麓に伊手地区があります。蘇民祭が行われる熊野神社から200m程南に行った伊手川のほとりに、樹齢450年以上と推定される巨大な桜の古木が立っています。名前が「出居の妻」櫻と表示されてありました。今年で三回目の撮影になりますが、HPで紹介するのは今回が初めてのことになります。

品種 エドヒガン桜
樹齢 推定450年以上
幹周り611cm
県内三位の樹齢古木と推定

南に阿原山を望む伊手地区のほぼ中央部に位置し、この地に古来より語り継がれた「田中長者」の伝説がある。その広大な屋敷跡にあった桜と言われ、出居とは接客・礼儀等の用途の奥座敷を意味し、妻(褄)とは端を表すことから屋敷の座敷から眺める場所にあったと推側され、以来この名称で呼ばれてきた。又、昔は開花期が水稲の種を播く時期と重なることから「種まき桜」の別名もあり、自然暦の役割も果たしてきた。

田中長者は放蕩のかぎりつくし間もなく没落したが、伝説にこの地を開田したときに金の壺が九つ掘り出され、同時に数多くの蛇が生息していたことから、近くに九頭龍権現の社を建立し長者を祭った。又、屋敷のかまど跡と伝わる場所も残る。

いずれにしてもこの地に生ける者全ての最高齢古木であり、地域のシンボルツリーとして大切に保存すべき財産である。  ・・いにしえの樹齢をつむぎて四世紀余、いのちはぐくみ 花桜傘下・・
(※現場に立つ案内板から)


今までは開花の時期を見て川の畔だけの撮影でしたが、今回は周辺を廻りながら変化を付けて撮影してみました。川から離れた南側の牧草地(以前は田んぼで今は休耕田)を歩いていたら、片隅に寄り添った墓碑を見つけました。片方にははっきりと戒名が刻まれており、文政年間の墓石でした。ここに転がっていると言うことは、今は無縁墓碑なのか、ここが墓地なのかは分かりません。気になりましたが、昔を偲ぶ意味で墓碑と桜の木を配置してみました。

出居の妻櫻 1・・・伊手川の流れのそばにひっそりとあります。 出居の妻櫻 2
出居の妻櫻 3・・・寄り添うような古い墓碑でした。 出居の妻櫻 4・・・小高いところから見下ろしてみました。


桜の木に近寄り、根元の太さと枝の広がりを表現してみました。案内板には、根元の周囲が6mほどあると書かれています。昨年この場所に来たとき、近くにいた年配の女性から「昔は上の方にもっと伸びていたが、枯れてきて危ないので切ったのす・・」と教えられました。

枝の伸び具合や張り具合を見ると、確かに切りつめて管理されてきたことが分かります。
出居の妻櫻 5・・・根元の様子ですが直径が2mほどあります。 出居の妻櫻 6
出居の妻櫻 7・・・以前はもっと上まで枝があったと言います。 出居の妻櫻 8・・・中央の主幹がが切られ脇芽からの枝のようです。


推定樹齢450年以上の昔から、地域の水稲の種蒔き桜として人々に親しまれ大切にされてきた桜です。今でこそハウスの中で稲の苗が生長し、機械の力で短時間に植えられますが、かつての田植えは農家一軒だけでなく地域あげての共同作業が中心でした。

田んぼの近くに苗代と言われる区画を造り、そこに発芽しかけた籾を播いて苗を生長させました。ですから、当時の農家の人々にとっては籾を蒔くタイミングが重要な要素であり、その指標になったのが種蒔き桜の開花でした。種蒔き桜について調べてみると、全国各地に通称「種蒔き桜」として名所なっている桜の古木を見ることが出来ます。

この「出居の妻桜」の周辺は、かつての水田ではなく休耕田の牧草地になっていました。しかし、毎年その時期になると満開の花が咲き誇り、往時を偲ばせてくれる伊手地区の名所でもあります。
出居の妻櫻 9・・・右下は民家の小屋で、その後ろを通って現地に入ります。 出居の妻櫻 10・・・450年前から地域を見守ってきた古木・出居の妻櫻です。