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location:uchinome.jpトップ>自然の表情>植物の表情>岩手の一本桜あれこれ>奥州市梁川・種蒔桜 |
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家から遠野や釜石に行くとき必ず通る梁川地区です。今まで知らなかった一本桜がこの地にありました。きっかけは、今年から道路脇に立てられた入り口の案内看板でした。現地について驚いたのは、満開に咲き誇る「種蒔桜」と共にそこにあった「支石墓」を見つけたことでした。また、桜の木の南側にはかなりの数の石碑群がありました。 特にも、「支石墓」の説明には「古代朝鮮人の巨石墳墓」とかかれてあることでした。この由来について知りたくなり、知人にお願いして「小林自然に親しむ会」の代表であるOさんを紹介していただき、現地で色々なお話をお聞きし資料等も戴いてきました。 <栗生沢・塔頭 種蒔桜> 「種蒔桜」は、宿(宿場)地点の塔頭(たっちゅう)にある。寺屋敷は寺の跡地であり、塔頭は小寺院(わきでら)で、その境内に植樹されたものと推測される。 昭和63年10月梁川文化財保存会の調査によれば、樹高:13.0m、根回り:6.75m、目通り:4.7m、枝張り:26m、推定樹齢400年となっており天正年間に植えられたものと推測される。爾来、栗生沢村の美観のシンボルとして、農事の季節桜として人々に親しまれてきた。 尚、塔頭は墓地でもあり、種蒔桜の下には「支石墓」(古代朝鮮の帰化人の墓)があり、墓地からは数本の「石棒」が発掘されているのも興味深い。因みに、領主、栗生沢氏は天正18年(1590)主家江刺氏の没落とと者に南部氏の家臣となり、その墓地は現花巻市東和町にある。 (※頂いた資料から) |
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最初の2コマは、咲き誇る桜の様子を一杯に配置してみました。右側に道路脇に支えの柱がありますが、現地でお聞きしたOさんのお話ですと、主幹から出た枝が道路にかかり折れそうなので補強したとのことでした。 下の画像は初めて見て驚いた「支石墓」と言う古代の墳墓になります。案内立て札には、「支石墓 古代朝鮮人の巨石墳墓」とかかれてあり、裏には、「漆万杯 黄金億々」の口伝あるも 決して掘ってはならぬの申し送りあり・・と書かれてありました。大きな上にある石は2m程あり、その下に台(軸)になる石が置かれてあります。詳しく観察して居ませんので詳細は不明です。 Oさんのお話ですと、この場所は墓地であり支石墓に眠る古代朝鮮の帰化人は漆職人であったらしいとのことです。口伝が残されている所有者の小沢さんかお聞きすれが詳しいことが分かるかも知れませんが、周辺には立ち入り禁止のロープが張られ、 置かれてある墓石にはご夫婦の戒名が書かれてあります。現在は寺の墓地が使用されていますが、以前は家の周辺に墓地を造り亡くなった方の冥福を祈るのが家人の務めでした。我が家にも畑の後ろに古墓があり、お盆の時は墓掃除をし拝んだことを思い出しました。 支石墓と知って驚いてネット検索で調べると、古代朝鮮で埋葬された墓が支石墓であり「ドルメン」と知ってまたまた驚いたのですが、どう考えても弥生時代に造られたドルメンがこの地にあるとは思えませんでした。 |
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桜が生えている支石墓から少し離れた田んぼ脇に、様々な文字が刻まれた石碑群がありました。最初は良く分からなかったのですが、Oさんの説明でこの場所は塔頭(たっちゅう)の跡ですと言うことが心に残り、塔頭について調べてみました。Oさんの説明にもありましたが、この場所は天正年間(500年ほど前)は小寺院(わきてら)の境内であり、石碑が建っている道路は交通要所の交差点であったと言います。 |
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