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          奥州市梁川・種蒔桜


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家から遠野や釜石に行くとき必ず通る梁川地区です。今まで知らなかった一本桜がこの地にありました。きっかけは、今年から道路脇に立てられた入り口の案内看板でした。現地について驚いたのは、満開に咲き誇る「種蒔桜」と共にそこにあった「支石墓」を見つけたことでした。また、桜の木の南側にはかなりの数の石碑群がありました。

特にも、「支石墓」の説明には「古代朝鮮人の巨石墳墓」とかかれてあることでした。この由来について知りたくなり、知人にお願いして「小林自然に親しむ会」の代表であるOさんを紹介していただき、現地で色々なお話をお聞きし資料等も戴いてきました。


<栗生沢・塔頭 種蒔桜>

樹 種:桜
名 称:「種蒔桜」
所在地:奥州市江刺区梁川市道3番地
所有者:小沢公悦

種蒔桜と領主栗生沢記・・・
栗生沢集落(旧栗生沢村)は、天正年間(1573-1591)葛西氏の一族、江刺氏の家臣であった栗生沢内記が「鶴ケ館城(栗生沢館)」を築き居城した。宿(宿場)、的場、弓匿、寺屋敷、馬繋長根、市道、塔頭などの地名が残り往時をしのばせる。

「種蒔桜」は、宿(宿場)地点の塔頭(たっちゅう)にある。寺屋敷は寺の跡地であり、塔頭は小寺院(わきでら)で、その境内に植樹されたものと推測される。

昭和63年10月梁川文化財保存会の調査によれば、樹高:13.0m、根回り:6.75m、目通り:4.7m、枝張り:26m、推定樹齢400年となっており天正年間に植えられたものと推測される。爾来、栗生沢村の美観のシンボルとして、農事の季節桜として人々に親しまれてきた。

尚、塔頭は墓地でもあり、種蒔桜の下には「支石墓」(古代朝鮮の帰化人の墓)があり、墓地からは数本の「石棒」が発掘されているのも興味深い。因みに、領主、栗生沢氏は天正18年(1590)主家江刺氏の没落とと者に南部氏の家臣となり、その墓地は現花巻市東和町にある。  (※頂いた資料から)

最初の4コマは、咲き誇る桜を周囲から眺めてみた様子で、意図的に石碑群を配置してみました。無数の石碑群と樹齢400年と推定される古木の枝振りが素晴らしいなと見とれました。

梁川・種蒔桜 1 梁川・種蒔桜 2・・・南側にある石碑を組み合わせてみました。
梁川・種蒔桜 3・・・フェンスの下は灌漑用水路です。 梁川・種蒔桜 4・・・離れた場所にある二基の石碑です。


最初の2コマは、咲き誇る桜の様子を一杯に配置してみました。右側に道路脇に支えの柱がありますが、現地でお聞きしたOさんのお話ですと、主幹から出た枝が道路にかかり折れそうなので補強したとのことでした。

下の画像は初めて見て驚いた「支石墓」と言う古代の墳墓になります。案内立て札には、「支石墓 古代朝鮮人の巨石墳墓」とかかれてあり、裏には、「漆万杯 黄金億々」の口伝あるも 決して掘ってはならぬの申し送りあり・・と書かれてありました。大きな上にある石は2m程あり、その下に台(軸)になる石が置かれてあります。詳しく観察して居ませんので詳細は不明です。

Oさんのお話ですと、この場所は墓地であり支石墓に眠る古代朝鮮の帰化人は漆職人であったらしいとのことです。口伝が残されている所有者の小沢さんかお聞きすれが詳しいことが分かるかも知れませんが、周辺には立ち入り禁止のロープが張られ、 置かれてある墓石にはご夫婦の戒名が書かれてあります。現在は寺の墓地が使用されていますが、以前は家の周辺に墓地を造り亡くなった方の冥福を祈るのが家人の務めでした。我が家にも畑の後ろに古墓があり、お盆の時は墓掃除をし拝んだことを思い出しました。

支石墓と知って驚いてネット検索で調べると、古代朝鮮で埋葬された墓が支石墓であり「ドルメン」と知ってまたまた驚いたのですが、どう考えても弥生時代に造られたドルメンがこの地にあるとは思えませんでした。
梁川・種蒔桜 5 梁川・種蒔桜 6・・・道路に枝が張りだした場所には支えの杭柱があります。
梁川・種蒔桜 7・・・桜の東側にある2m程の石です。 梁川・種蒔桜 8・・・枝のまがい具合と支石墓、周辺に普通の墓石がかなりあります。


桜が生えている支石墓から少し離れた田んぼ脇に、様々な文字が刻まれた石碑群がありました。最初は良く分からなかったのですが、Oさんの説明でこの場所は塔頭(たっちゅう)の跡ですと言うことが心に残り、塔頭について調べてみました。Oさんの説明にもありましたが、この場所は天正年間(500年ほど前)は小寺院(わきてら)の境内であり、石碑が建っている道路は交通要所の交差点であったと言います。

従って、往時の先人達はこの地に各種の石碑を建立し、信仰の対象にして大切にしてきたと言えそうです。私に読めたのは、出羽三山、岩手山、早池峰山、鳥海山、金華山、南無阿弥陀仏、七庚申、そして、金津流獅子踊り供養碑でした。読めなかった碑文には、飢饉や災害等で亡くなった方への供養塔ななどもあると思われます。

頂いた資料にも記載されていますが、種蒔桜として地域の方から大切にされてきている樹齢500年近くになる桜の古木です。根回りや枝振りから見て「エドヒガン」なのかなあと思いました。

※Oさんにお会いする前に二回ほど現場を訪れて撮影しました。説明の文章は、Oさんのお話を参考に作成しました
  ので思い違い等があると思われますがご容赦下さい。

梁川・種蒔桜 9・・・見た瞬間、石碑との配置が気に入りました。 梁川・種蒔桜 10・・・鮮やかに咲き誇る満開の桜です。