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          奥州市伊手・源休館



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私の住む奥州市江刺区(旧江刺市)は、江刺鹿踊りを始めとして神楽などの団体が多くあり郷土芸能の故郷でもあります。家の近くにはNHK大河ドラマのために設営された藤原の郷もあり、多くの人出で賑わっております。また、平泉文化の祖とも言える藤原三代の初代清衡と、父・藤原経清の居館跡とされる豊田館跡も近くにあります。豊田館跡の近くには、経清一族の墓とされる五位塚古墳群があり藤原文化に関連する遺跡が数多く発見されています。

今回紹介する源休館は、平泉文化悲劇の英雄「源義経」が北行して蝦夷地に逃れたとされる「義経北行伝説」の一つの場所でもあります。源義経が平泉・高舘で自刃した史実とは別に、北行して蝦夷地に逃れたとされる伝説とその跡が江刺には多く残されています。

平泉から北上川を越え大東町猿沢、江刺の田原・・ここには弁慶屋敷がある・・、そして岩谷堂多聞寺(たもんじ)、玉里の玉崎神社・・義経主従が奉納した槍が神社の宝になっている・・、伊手の源休館・・巨石の祠で逗留したとされる場所・・、そして米里の五輪峠、姥石峠を経由して住田町、遠野の笛吹峠を下って海岸に出て北に逃れたと言います。史実は史実ですし、伝説は、悲劇の英雄である源義経主従を想う当時の人々の心の中に置きたいと思います。


心のオアシスのページを創り、その中に巨石文化を一つのカテゴリーに位置づけました。巨石文化のサイトを調べてみると、当地江刺には源休館という場所があり大きな岩の祠があると書かれてあります。義経北行伝説に出てくる源休館が、巨石文化と関わりがあると知り早速訪れたのが四月の始めでした。

R397から伊手小学校裏に出ますが、標識もはっきりせず目的地にはたどり着けません。こことおぼしきところに民家があり訪ねたところ、「ここから入って上に行きなさい。団体の方がきますよ・・」とのことですが、入るべく道路には伐採した松の木が置かれ迷ったくらいです。道路脇の標識の柱も、現地の案内板も古くなり字がかすれていました。

伝説義経北行コース   源休館
悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は、兄の頼朝に追われ、文治五年(1,189)四月、平泉の高舘において三十一歳を一期として自刃したが、短くも華麗だったその生涯を想い、「義経はその一年前にひそかに平泉を脱し、北をめざして旅に出た」という伝説を作りあげたのである。世にいう「判官びいき」であろう。

その伝説の一つに、「平泉を脱した義経主従が、その途中しばしこの地に滞留した。このため「源休館」の名が生まれた・・と伝えられている。・・岩手県観光連盟・・(※現地にある案内板から)

源休館 1・・伊手小学校の校庭の下を通るとこの標識が見えます。現場は左の奥になります。 源休館 2・・民家の側の道を進むと、ほどなくj広々とした草原と旗が見えてきます。 源休館 3・・みちのく岩手義経伝説の地、と書かれた幟と案内看板あります。


源休館 4・・側に来るとはっきりと三個の巨石(狐石)が分かります。 三つの巨石で囲まれたところに祠があります。現地にある説明によると、この巨石は狐石と呼ばれているようです。それぞれ一個の巨大な花崗岩であり、向かい合った石と石の間に屋根をかけ、その下にお稲荷さんが祀られています。

遠くから見たとき、屋根石があるドルメンかなと思いましたが、屋根の下には石がありません。偶然出来た巨石の間に屋根をかけたものです。
源休館 5・・岩の間に鎮座する祠。 高さ約3.6mの石の間にかけた屋根と、祀られている祠です。源休館の名のいわれによると、ここで義経主従が休んだことになります。当時は屋根がありませんから、風よけぐらいにしかなりませんが・・。
源休館 6・・祠の中の祭神と可愛いキツネ。 祠の中です。阿吽の可愛い狐ですが、お稲荷さんとして無言の護りをしてます。祠そのものはまだ新しいようです。
源休館 7・・祠を左前から見た様子。 正面左側から見た様子です。遠目には、左の岩の上に屋根石が乗っているように見えます。
源休館 8・・左側の巨石の摂理面、乗っかったものではありません。 しかし接合面を見ると、乗せたものでなく出っ張りから下が欠け落ちたように見えます。岩石表面に節理と言いますか割れ目がはっきり見えています。
源休館 9・・風土記と書かれた柱があり、この場所についての事が書かれてあります。

地神坊 稲荷神社と書かれた柱が立っています。柱の四方には、色々なことが書かれてありました。

風土記・・正面の文字。
三尺四面南向、社内に大杉あり古木也。廻り四丈(約12m)程、狐石と云う石三つあり。弐つは宮の左右に立ち、高さ壱丈弐尺(約3.6m)程、長さは七間(13m)程。壱つは宮前にあり、高さは五尺(約1.5m)長さ弐間(3.6m)程。

大杉古木跡・・左脇に書かれてあります。
明治43年の正月に浮浪者が、大杉の洞穴の中で焚き火した残り火で七日七晩燃えたという。残燃木は伐採して高値で売却。今でも黒く焦げた焼け跡を確認できる。



狐石と呼ばれる巨石の周囲を探してみました。しかし、狐石より大きな石は地面上からは見あたりません。確かに巨大は花崗岩が数多くありますが、ほとんど人の手が入らず枯れた朽ち木や根が密集し、人目を忍んで義経主従が隠れ潜んだという伝説の舞台にはぴったりの場所です。

林の中や落葉樹の茂った場所に巨石が多いのですが、訪れるのは秋口から春先までが良いようです。何しろそれでなくてもうっそうとした場所ですから、木の葉が茂ると昼なお暗き樹海の中で撮影が大変です。私の周囲には伝説がらみの場所が結構あり、出かけてみたいな・・、撮影しなくては・・の心をそそられます。
源休館 10・・右側の狐石の後ろ部分 源休館 11・・左側の狐石横の様子、長さが13mあると言います。 源休館 12・・木の根と絡み合う巨石、びっしりと苔が生えています。