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         盛岡市千手院・撫でベコ



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盛岡市三十三観音第五番目の霊場である千手院(せんじゅいん)は、盛岡市鉈屋町にある市内唯一の天台宗の寺院です。私はよく分からなかったので、ネットで色々調べてみました。

現在の盛岡市鉈屋町にある千手院は、廃寺となった法輪院広福寺に伝わる仏像、絵など約三十点を引き継いでいるといわれる。千手院は盛岡市にある寺院のうち唯一の天台宗寺院である。

境内にある案内には、本尊・先手観音、右・不動明王、左・毘沙門天と書かれています。
右三尊は寺伝によると春日の作にして、当院開山寛智円秀法印元禄年中念願により王城清水の尊体を?座され、南部三十代藩主行信公の信仰厚く元禄十年堂宇を建立され、その後歴代藩主を初め四民の尊信厚く、至心信仰の人々に幾多の不思議な霊験を与え今日に至っている。(※境内入り口の案内板から)

また、秋が深まると二度目のサクラが開花すると言われる「シキザクラ」が有名ですし、近くには盛岡三清水の一つである「青龍水」があると言われます。残念ですが、この名物の二つは初めて知りました。秋が深まり初冬を迎える頃、サクラの花を見て撮影したいと思います。

千手院入り口、山門に大きな提灯が下がっていました。 千手院本堂前の様子。
天台宗千手院と書かれた扁額、天台宗の寺院は盛岡唯一だと言います。 盛岡三十三観音第五番目千手観音が祀られています。


撫でベコの実態が分からないまま、千手院を訪れて境内を探しましたが見つかりません。ひょいと建物を見たら、南蛮鉄 撫でベコさん 重量十二貫 本堂に安置・・・往昔野田塩を内陸部にもたらした物語を伝えている。交通安全・身体堅固に御利益があります・・・盛岡市寺の下 千手院執事と書かれた案内を見つけました。

早速庫裏を訪れ、住職さんに撫でベコのことをお聞きしました。「本堂にあります、どうぞ」と案内されて本堂に入りました。撫でベコは、本堂正面の左端の暗いところにありました。見た瞬間、「えーこんなに小さいの・・」とつぶやいた私です。大きさはネコぐらいありますか、長さ尺五寸(45センチぐらい)重量が十二貫(45kg)あると言います。

撫でベコの由来については、下の記事をご覧下さい。また、野田撫でベコの原文は、特定非営利活動法人野田塩ベコの道のサイトからご覧下さい。

二百年ほど前、盛岡千手院の境内に背赤の牛が気息えんえんとして倒れ込んだ。牛は塩の道から来たらしく、塩の空かますをつけたまますっかり弱り果てていた。そこへ、血相を変えた野田の牛方、清右ェ門が「この野郎のために塩が全部、中津川で溶けてしまった、ぶっ殺してやる」とどなりながら駆け込んできた。牛の首根は、低く垂れて土に着いたままであったし、口籠をつけたままの背赤の目は閉じたきりであった。

なだめに入った寓円和尚(千手院五代)は、「畜生でも仏門を頼って助けを求めてきたのだ」と諭し、「牛には何の罪もない、どんな牛方でも時には追い方の誤りがあるのではないか」と説教した。目を閉じたままの背赤は、思い出したように荒い息をする。生きてはいるが、あまりの弱りようだ。

寓円和尚の説教を聞いている牛方清右ェ門の頭は、次第に垂れに垂れていった。「もう駄目だ、お許し下さい」と主人に頼み込んでいる背赤の姿態が、清右ェ門の潤んだおぼろ涙の中に確かに見てくる。清右ェ門は自分の非を悟り、牛の背をなんどもなんども撫でてあやまったが、牛は再び生き返らなかった。

たいへん悲しんだ清右ェ門は、牛の姿を当時の名工(藤田善九郎)に頼み、尺五寸、南蛮鉄十二貫の重量を持つ撫でベコを千手院に寄進したのである。

二百年もの間、このベコを撫でることによって、健やかなる子育てへの願いと、牛方道中ならぬ交通安全の願いを叶えてくれると言う。今、この撫でベコは多くの人に撫で愛され親しまれ、二百年の渋い黒光りの肌合いを見せている。頭を地にすりつけ、憐れみを乞うもの悲しげな肢体に引かれて、千手院に詣でる人が後を絶たない。

心願が叶うと、撫でベコの布団は新しくなる。美しいものが寄進されて、数多くの布団があったという。
(※道の駅で頂いた資料と購入した「野田鹽 ベゴの道」から)


本堂の薄暗いところに安置されている撫でベコでした。照明等もなく、詳しい様子がはっきりはしません。もちろん早速でしたが身体をあちこち撫でました。鉄の表面に焼きを入れたように見える部分、背中の上や角の端が長年の皆さんの願いにより皮膜が取れかかっていました。

撮影はストロボを使用し、いろいろな角度から撮影しました。家で画像処理をしながら気がついたことがあります。その場では気がつかなかったのですが、撮影する角度により私に訴えてくる感じの違いにびっくりです。上から見下ろした撮影では、ゆったりと寝ているように見える撫でベコですが、カメラの角度を下げ撫でベコの目線と同じにすると、ジーと私を見つめる大きな二つの目が色々なことを話しかけてきました。

撫でベコ 1・・上から見下ろした全身像。のっびりと寝ているように見えます。 撫でベコ 2・・上から撮影した顔のアップです。黒光りする身体が撫でられてつるつるしていました。

撫でベコ 3・・ほぼ真横からの様子です。座布団に顔を埋めて休んでいるように見えます。 ほぼ真横からの表情です。語り継がれた撫でベコの文章を読み、じっくりとこの大きな目を見つめていると、二百年後の私でも牛の心が伝わるように思え、切なくなる気持ちになります。

カメラの目線をほぼ同じにした正面からの画像です。疲れ切って息絶え絶えの背赤ベコの様子を、名人が心を込めて鋳造したものと言います。もの悲しげな表情が感じられ、大きな画像にプリントしたくなっている私です。座布団が四枚ありますが、願いの叶った皆さんの贈り物なのでしょう。住職さんもそのように話しておられました。

撫でベゴの撮影に気をとられ、肝心の由来についてのお話を住職さんからお聞きするのを失念していた私です。シキザクラの開花を見に行ったとき、改めてお話をお聞きしたいと思います。

二百年前、背赤の牛が倒れ込んだ千手院の阿弥陀堂は、現在の場所から離れた山岸地区にありました。現在は墓地になっていて、この墓地の片隅に道標があると言います。「右米内道、左野田道」と文字が刻まれ、左はそのまま小本街道に続く塩の道です。千手院を再度訪れて、盛岡に残る藩政時代の「塩の道」を検証したくなって居る私です。
撫でベコ 4・・四枚の布団の上に横たわり、私を見つめる表情が何とも言われない雰囲気です。 撫でベコ 5・・正面からのアップ、じっと見つめていると、撫でベコの文章の様子が浮かび切なくなってきます。今回のお気に入りの画像です。