広瀬地区は住まいするお隣の地域なのですが、ほとんど知らない場所でもあり新しい発見でした。それにしても素晴らしい音色のする石です。カーンカーンと澄み切った金属音がするのです。石と言ってもかなり大きなものであり、重機等のなかった昔の人力ではこの場所からの移動はほぼ不可能に近かったと思われました。
広瀬の昔あれこれより・・・
音石神社(青谷観世音)と音石権現社(鳴石神社)
何とも煩わしいことだ。同じ音石で神社と権現社が歴然としておわしているからで、軽石以外の方々には分別のつかない人もあるのではないかと思うからだ。
音石神社は字平で弘仁二年(811)慈覚大師の開基と伝えられ、その後寛文四年(1664)僧恵泉が再興、後藤市左衛門が同十二年通路を切り開いたと通路入り口の岩に彫りつけてある。天保十五年(1844)聖観音堂再建(江刺七観音札所、江刺三十三観音五番札所、奥州三十三観音二十番札所)である。享保年間(1716〜35)伊達綱宗(雄山公)の菩堤のため供養仰せつけられ、竹に雀の紋幕を許され大切に保管してある。
本尊聖観音・不動・毘沙門天・十王があったとされるが、今は菩薩像二体・十王・木造狛犬等あり。室内の角天井は草花の彩色絵がある。
音石権現社は字七日市にあり、本地は阿弥陀如来で嘉祥年中(848〜50)開基といわれる。境内に七ツの石あり、打つと金属音がでるので音石神社の称あり。男石を佐藤秀衡が館の庭石にしようと一丁ほど引き出し、その後どうしても動かなかった。しきりに女石、枕石を慕って鳴り止まず捨て置いた所、その後貞春という座頭が来て男石を軽々と元のところに引き戻したので、この地を軽石村と名付けた。男石は延文六年(1361)の銘あり。
(※Kさんから頂いた資料より) |