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       大津波後の八戸市・蕪島周辺


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蕪島神社より見たウミネコ達の生息地、菜の花のないところが津波が到達した場所とのことでした。

娘夫婦と孫が八戸市に住んでいることから、ウミネコの生息地である蕪島には何回となく訪れています。産卵期、そして孵化した幼鳥を育てる愛情たっぷりの親ウミネコたち、何時訪れてもウミネコ達は私を楽しませてくれます。もちろんですが、何万羽といるウミネコ達は周辺を自由に飛び回りますので、注意しないと空中から「うんこ爆弾」を遠慮無く落とします。

3月11日の大津波は、ここ八戸港でも6.2mの波高があり、停泊中の船舶を堤防や埠頭に押し上げる被害が出ています。蕪島を訪れたのが5月22日のことでもあり、岩手県の大津波被災地とは違いがれきの撤去や整理がなわれていました。もちろん八戸市でも他の場所には訪れていませんので、正確な情報ではないと思います。

トップの画像をご覧になり、蕪島全体にウミネコがほぼ等間隔(互いの生活バリア)に見えていますが、島全体を覆っている菜の花の分布がまばらであることに気づかれると思います。監視員の方の説明ですと、そこまで津波に洗われたということでした。この地を襲った大津波は三陸海岸とは違い、海水面が脹れあがり堤防を越えてきた状況だったのかなあと思われます。詳細は分かりませんので間違っているのかも知れません。

ここでは、蕪島周辺の津波被害の様子、元気なウミネコ達、鮫漁港に係留されていた宮城県で火災にあった大型漁船の様子を紹介いたします。


手前の岸壁から蕪島を遠望、傾いたトイレが見えています。 手前の岸壁から蕪島を望む・・・


蕪島が見えてきた所で道路脇により、彼方に見える蕪島と小型漁船をあげる須賀(すか)を見たところです。蕪島の下の方は菜の花が見えませんが、南側はきれいに咲き誇る菜の花が一杯です。

画面中央左寄りに、傾いている建物が見えていますが公衆トイレです。
この場所に作業小屋があったと思いました。 小型漁船をあげる須賀(すか)です。被災前は上の方には小屋があったと記憶しています。沖合から押し寄せた大津波は、正面の堤防を乗り越えて手前の方に流れ込みました。

下の画像は蕪島入り口にあった観光案内所です。残っていたのは鉄骨の骨組みだけで、正面奥から手前に津波が流れたことになります。現場はロープが張られ立ち入り禁止でした。
観光案内所 1 観光案内所 2
お土産店等があった場所。 蕪島手前のお土産店等があった場所、全部流されて何もありません。道路が大きくえぐられて車は入ることが出来ません。
破壊されたアスファルト歩道の部分。 津波で洗われて破壊したアスファルトの舗装、津波の流れは手前から奥の切れ目に集中し、反対側の海に流れ込んだと思われます。
流された公衆トイレ 1 公衆トイレが流されて大きく位置がずれていました。ずれて落ち込んだ場所は、アスファルトが削られ大きな窪みになっています。

下の画像左正面はトイレの基礎の部分であり、そこから向かって左側に流され倒れていました。それにしても、基礎を破壊し窪地にした大津波の破壊力に驚きます。
流された公衆トイレ 2 流された公衆トイレ 3
破壊された堤防 1 蕪島の入り口から東側の海辺に出てみました。この場所は、左側の海から流れ込み道路脇の堤防を一部分ですが破壊し、反対側の道路まで押し出していました。

堤防下はアスファルトの歩道でしたが、何故かこの部分の舗装が全部流されていました。
破壊された堤防 2 破壊された堤防 3
破壊された堤防 4 大きく破壊された堤防部分、ここに津波が集中し一気に堤防を破壊したと思われます。破壊された堤防は反対側の道路まで転がっていました。
破壊された堤防 5 破壊された堤防 6
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