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    一関市・室根神社特別大祭マツリバ行事


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マツリバ行事の最大の見せ場、二基の神輿先陣争いの場面です。

10月22日から24日にかけて、一関市室根山に鎮座する室根神社の特別大祭が開催されました。今まで室根神社については知っては居ましたが、三年に一度の特別大祭・マツリバ行事については分かりませんでした。家から一時間と少しの距離にある室根山ですが、ツツジの名所、ハンググライダーの飛行基地があり何度も訪れています。

祭りの詳細をネットで検索したら、1300年ほど前から古式に則り開催されており、しかも、祭りに関わる人は世襲で伝承されている方々と知り驚きました。しかし、三日間の見学は無理ですので、23日の深夜から24日の早朝に行われる一番の見所になる「マツリバ行事」に限定しました。


室根神社特別大祭とは・・・

室根神社特別大祭は、室根神社の創建と深く関わっています。奈良時代、陸奥国(現在の東北地方)の軍事をつかさどる鎮守府将軍だった大野東人(おおのあずまんど)は、反乱を起こした蝦夷の征伐で苦戦したことから、神の加護を得ようと、霊験あらたなことで知られた紀州本宮村の熊野神を、東北の地に迎えることを元正天皇に願い出て、許された。

そこで熊野神の御神霊は、和歌山の港から船で北を目指し、5ヶ月間もかかって宮城県唐桑町の港に到着しました。大野東人は地元の諸郷主を招集し、白馬17騎で御神霊の乗った神輿を出迎え、勅使から天皇の勅書を受けた後、御神霊は安置場所としてご託宣が告げた室根山の八合目に祀られ、室根神社が建立されました。

それが養老2年(718)の9月18日です。その約10年後の天平元年(729)に祭りが始まり、現在まで続けられています。(※ダイドードリンコ 日本の祭り 2010より)


室根神社・・・

室根神社特別大祭を紹介する前に、昨年訪れて撮影した室根山八合目に鎮座する室根神社を紹介いたします。たまたまでしたが、6月1日に全山燃えるようなツツジを撮影しての帰りのことでした。入り口にある案内看板を見ると、神社は二つあり「本宮」「新宮」となっていました。境内に入ったのが正午頃でしたが、当日は快晴でもあり、うっそうとした木々の間に静かに鎮座する神社境内は肉眼ではともかく、画像で見ると緑色のフィルターを掛けたように写ります。画像処理で修正はしましたが、完全には出来ていないことをお断りいたします。


室根神社本宮の由来・・・
養老二年(718)元正天皇の勅命を受けた鎮守府将軍大野東人(あずまんど)が、蝦夷降伏の祈願所として、紀州(和歌山県本宮町)から熊野大社の御神霊を迎えまつったものである。


室根神社新宮の由来
正和二年(1313)陸奥の守護職葛西清信が、奥七郡(磐井、江刺、胆沢、気仙、本吉、登米、牡鹿)の鎮守として、紀州(和歌山県新宮市)から熊野速玉大社神霊を迎えまつったものである。


室根神社特別大祭(国指定重要無形民俗文化財)・・・
奈良潮時代の遠い昔から古式を守り、継承されてきた室根神社の特別大祭は、東北三大荒祭の一つとして名高く旧暦閏年の翌年九月十七、十八、十九日の三日間、近隣二市五町村にまたがる神役の子孫外、村民総出で行われている。境内にある案内板から (※室根村教育委員会)


室根神社入り口看板 室根山から室根町中心地へ向かって降りて来ると、道路右側に大きな看板が見えてきます。看板には「岩手縣一級社 室根神社」と書かれてあり、右側の看板には「金と銀の鈴」二つ揃った日本一の鈴の説明が書かれてありました。

神社境内へは、ここに車を置いて右側の小道を下るか、少し下がったところから車で入ると境内になります。何回も現地を通っていますが、今回初めて神社を訪れてみました。
一段目境内にある鐘楼 境内が二段あり、一番下の通路には立派な鐘楼がありました。この右から上まで石段が続き、多分ですが本宮へとつながっています。
二段目の境内の様子 二段目の境内通路になります。石段の左側には神社の案内板と手洗い浄めの場所があります。

下の画像右の石段が本宮(?)への石段で、左側が新宮への石段かと思います。確かめたわけではないので、間違っているかも知れません。後日確認してみたいと思います。

最下段画像は鐘楼内部と手洗い場内部の様子です。
新宮と思われる入り口石段。 本宮と思われる入り口石段。
鐘楼内部の様子 手洗い場
千年杉と根元にある大黒様。 左側の石段脇には千年杉と書かれた札があり、側には大黒様が置かれてありました。この画像だけでは大きさ等が分かりませんが、離れた場所から見上げるとかなりの高さがありました。
本宮と思われる神社正面

「金と銀の鈴」二つ揃った日本一の鈴・・・
本宮に「金の鈴」新宮に「銀の鈴」(いずれも高さ35cm、直径31cm)の大きい「金と銀の鈴」二つ揃っているところは、二本でここ一ヵ所だけである。

もともと蝦夷平定の祈願所として知られ、その昔、源義経や弁慶も戦勝祈願に、平泉から馬を飛ばして二度参詣に来ている。代々伊達藩戦勝三大祈願所の一つとなっており、合格(入学、進学、就職)祈願、必勝(スポーツ、各種競技など)祈願の参詣が多い。 在京室根ふるさと会

多分、こちらが本宮だろうとと思われますがはっきりとはしません。

吊されてある大きな鈴です。 本宮で「金の鈴」を鳴らして願をかけ、新宮で「銀の鈴」を鳴らして願をかけると願が叶うと言われ、「ヤル気」が出てくるという有難い神社である。

扁額が見あたりませんので、本宮か新宮かは不明です。吊されている鈴を下から見上げてみました。赤っぽく見えるのは「金の鈴」なのでしょうか・・。
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