2007岩手水沢黒石寺蘇民祭に戻る


location:uchinome.jpトップ>岩手の蘇民祭奥州市水沢区・黒石寺蘇民祭岩手水沢黒石寺蘇民祭その2                >その3>その4

 サイトマップ


別当(住職)登り・・・午前2時

肝心の別当(住職)の姿を見つけられないまま、行列がどんどん進んでいきます。

檀家衆と世話人の方が、手木と称する木の枝を持ち、地面を叩きながら庫裏の方から登ってきます。時には刀を合わせるように、木と木をぶつけ合う(たちきりと言う)。すごい気合いが入っています。人混みが多くなり、行列の中に蘇民袋が見えたので慌てて撮影する。後ほど祭壇を見たら、三宝の上にしっかりと蘇民袋が乗っていました。


蘇民袋・・・蘇民袋は数人の女性たちによって、麻をつむぎ、よるなどの工程を経て、一日で織りあげる。作業に携わる女性は、三日前から精進し、当日も朝湯に入り塩で身を浄めて取りかかる。

小間木はぬるでの若枝を径2センチ強、長さ約3.5センチの五角形に削り、各一面に蘇民、将来、子孫、門戸、也と書く。現在は黒点で省略されている。小間木は、山盛りにして約五升分が袋に入れられる。

別当登りのタチキリ 1 別当登りのタチキリ 2 別当登りのタチキリ 3
別当登りのタチキリ 4 三宝に乗せられた主役の蘇民袋 祭壇に安置された蘇民袋。静かに争奪の時を待ちます。


鬼子登り・・午前4時

この頃から、下帯姿の男衆が参道をのぼり拝殿にどんどん入ってきます。男衆は正面の格子戸に登り、「ジャッソー」のかけ声を出しています。いよいよ始まるのかあ・・、周囲の雰囲気が一気に高まっていきます。もちろん人混みも多くなり、押し合いの状態が続いています。

鬼子登りだったが、もの凄い人混みで肝心の鬼子を見つけることが出来なかった。「ジャッソー、ジャッソー」の掛け声が一時間近く続いたような気がします。しかし残念でしたが、あまりの人混みで拝殿入り口付近にいた私は外に押し出されてしまいました。ですから拝殿内の松明の火や、その儀式の様子は撮影することが出来ません。もの凄い松明の火が、拝殿内で燃え上がったのが見えただけでした。

鬼子登り・・・午前四時、いよいよ鬼子登りが始まる。七歳になる男の子どもが二人、それぞれ麻衣を着せられ、その上に「鬼面」を逆さにつけて、大人に背負われる。子どもは手に木槌や小斧を持たされる。

内陣では松明儀式の後、点火された松明が「タチキリ」に先導されて外陣に出る。ここでも定められた通りの作法にのっとり、鬼子が拝殿に設えた護摩台を右回りに三周して、内陣へ逃げ込む。この間に護摩餅が焼かれ、水掛け役が火を消す。

続々と拝殿に来る男衆達。 鬼子登りの時のタチキリ 1 鬼子登りの時のタチキリ 2・・拝殿の格子戸に登っている男衆が見えています。
法螺貝を吹きながら来る堂守。 内陣で燃やす松明、半分に割られくさびが入っています。 やっと見つけて撮影できた背中だけの鬼子、黒い部分が逆さの鬼面ですが・・。
松明が回る軸となる切り棒を支える世話人と、確かめる(?)人。 焼かれた護摩餅を男衆に向けて投げる僧侶。右手上の方に白い小さなものが見えています。私も偶然でしたが、下に落ちた護摩餅のかけらを拾えました。 気合いの入る男衆です。中央に一人、外国人の参加が目立ちました。


蘇民袋争奪戦・・・午前4時:40分頃

わーっと言う歓声と共に、蘇民袋争奪戦になった。ほどなくして蘇民袋が開かれ小間木が飛び散ったようでした。すごい人混みでよく見えないし、カメラを持ってあらためて人混みの中に入るのは無謀過ぎるからです。

来年の課題ですが、上から見下ろすアングルを工夫しないと対処できない。それと、自分が陣取る場所をどうするかです。何しろ人混みに押され、カメラがもぎ取られそうになるのですから・・。

ちょっとしたハプニングがあり、争奪戦が中断してしまいました。何でも、蘇民袋の行方が分からないと言います。ぼろぼろに裂けて行方が分からなくなった様です。係や周囲の人も必死になって探していましたが・・。本来ならば、これから蘇民袋争奪は拝殿から出て、外での争奪戦になるとのことでした。私はここで撮影を断念し、蘇民袋が見つかることを願いながら黒石寺に別れを告げました。

蘇民袋争奪・・午前四時半を過ぎた頃、蘇民袋が出され、堂内で約一時間もみ合う中、親方の一人、袋の上に飛び降り、小刀をもって麻袋を裂く。中の小間木を一同で奪い合い、時満つれば拝殿の外になだれ出て、蘇民袋の争奪となり、最後まで袋を離さなかった者が「取主」となる。

つぶやきです・・・
拝殿内での争奪戦の様子は、争奪の場所に居ても限りなく難しい。考えられる方法は、一脚の上にカメラを固定し高いアングルから撮影するしか方法がありません。皆さん思いは同じでして、ビデオ撮影の方はファインダーを下向きにしていました。しかし大きくて重いビデオでは限界があります。カメラでも同じ方法をとっている方がありましたが、レンズ交換一眼ではこの方法が出来ません。

拝殿内の両側に、報道関係者用の絶好の場所があります。 この場所に報道関係の方が四時前から登りました。一般の方でしょうか、どうしても登りたいと係りに交渉していました。どうやら同年代のカメラマンでした。かなりしつこく粘っていましたが、「あなたを登らせれば、皆さんを登らせないとダメなのです・・」ときっぱりと断った係の方でした。

争奪戦の様子 1 争奪戦の様子 2 争奪戦の様子 3


蘇民祭が終わって感じたこと。

黒石寺の蘇民祭(水と炎の浄界)は、一千年の伝統を守り続けてきたと云われるが、その発祥については詳らかではない。この祭りの準備には、門前檀徒たちなどの確たる薬師信仰によって粛々と進められる。十二月十三日、黒石寺所有の山林などから、「お立木」用の柴木が切り出される。

本堂や庫裏などの「御煤掃き」が、十二月二十三日に行われ、大晦日の前日に、魚料理で「年取り」をする。そして大晦日からは「御精進」に入る。元旦の朝、門前の代表が「水垢離」をとって、身を浄め「曼荼羅米」を搗く。曼荼羅米の一生の内、半分はシン粉餅にして、十に神將に供える十二支の形に作られる。

同時に「薬湯」の竃場が塩で浄められ、胡麻殻に焚きつけられた火は、年男たちによって七日七夜燃やし続けられ、
「蘇民祭執行」の高札が立てられる。・・・以下省略・・・

一千年もの間、門前檀徒衆の薬師信仰によって伝統が継承されて来たことに、敬意と驚きに近いものを感じます。私にとって初めての見学でしたが、11時間近くに及ぶ深夜の長丁場は大変でした。とにかく寒いのです。しかし、最後まで人混みは減りませんでしたから、皆さんも同じ思いでじっと待っていたはずです。

その間、柴燈木の火がもの凄い勢いで燃えていました。燃え上がる火柱と火の粉。上を見ると西の木立に隠れそうな月、そして星空、気温はマイナス6度。火の粉が散らばり、ムード溢れる雰囲気になっています。寒いので、皆さんは巨大な火にあたり暖をとっていました。

燃え上がる柴燈木の火です。
← 前のページに戻る           2007岩手水沢黒石寺蘇民祭に戻る →