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第35回江刺甚句まつり・江刺鹿踊百鹿大群舞
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江刺甚句まつり最後の紹介になりますが、江刺区内15団体の皆さんによる百鹿大群舞です。実際には各団体8名ぐらいの構成で演じられますので、総勢百名を超える団体の演舞になります。交通規制された道路上で4列縦隊になり、一斉に太鼓を鳴らして演じられる勇壮な場面は、何回見ても迫力があり感動します。 この江刺鹿踊百鹿大群舞は、春の江刺甚句まつりと夏祭りのお盆の頃しか見ることが出来ません。ここ何年かはそのたびに出かけて撮影していましたが、鹿踊り集団の前に出て撮影するファイトもなく人混みの中から撮影する程度でした。今年は一大決心をし行列の前に出て撮影することと、撮影する角度も普段の目線より高い場面と低い場面を撮影しました。 江刺百鹿大群舞・・・ 昭和60年水沢江刺駅の落成に際して、江刺の鹿踊りが一体になって祝いたいという事から、試行錯誤しながら作った踊りです。歌謡曲とかなんかと違いまして、振り付けがどうのこうというのはなかなか出来ません。ですから、各流派の良いところを取ってくつけたという踊りです。ですから当初は、太鼓と踊りが合わなかったりしたことがありました。 色々ありましたがようやく完成をしまして、新幹線の開通の時にお披露目をしたと言う歴史があります。今では踊り方も二通りありまして、江刺でやるものですから江刺甚句祭りで踊る「甚句方式という勇壮な百人の舞」を皆様にご披露したいと思います。 なお、みな同じように見えるかと思いますが、よく見て頂きますと団体によりまして衣装の模様、袴の形、後ろの絵が違います。そう言うところを見て頂ければ有りがたいなと思います。 |
おまつり広場脇の道路で演じられた百鹿大群舞の様子です。道路の両側をぎっしりと人垣が出来、皆さんの熱い視線が百鹿群舞に注がれます。さすがの私も、この場では百鹿の先頭に出て撮影するファイトはありません。この場所での撮影は歩道から脚立を使用しています。 参加した江刺区内の鹿踊り団体は次のようになります。(※資料記載順序より) 奥山行山流鴨沢鹿踊、梁川金津流鹿踊、奥山行山流内ノ目鹿踊、行山流久田鹿踊、金津流伊手獅子踊、 行山流角懸鹿踊、金津流石関鹿踊、奥山行山流増沢鹿踊、金津流梁川獅子踊、奥山行上流餅田鹿踊、 金津流軽石獅子踊、奥山行山流地ノ神鹿踊、岩農金津流鹿踊、奥山行山流歌書獅子踊、金津流鶴羽衣鹿踊。 鹿踊(ししおどり)の特徴と由来・・・ 江刺に伝わる鹿踊は、「太鼓系鹿踊」に属するものです。主として、宮城県北部から岩手県南にかけての旧仙台藩領と、旧南部藩領の一部に伝わる鹿踊です。 前腰に太鼓をつけ、背に一対のササラを立て、鹿角のついた頭(カシラ)をかぶり、馬の黒毛をザイとして用い、頭から胸にかけて黒の幕垂れをさげ、自ら太鼓を叩き、歌を歌って踊るもので、これが大きな特徴となっております。通常八人で踊るもので、大別して行山(ぎょうざん)流と金津(かなつ)流の二つの流派があります。 その由来については、「村々に悪魔降伏のため御神楽を教え給えしを夫より始まるとの事なり」としており、神楽にその起源を求めるものが主流とされております。鹿踊は、お盆の頃には祖霊供養・悪魔追放のために、秋には五穀豊穣を祈願し踊られ、江刺を代表する郷土芸能として伝承されて来ました。(※2006年藤原の郷夏祭り会場で頂いた資料から) |
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おまつり広場では三団体の演舞があり、他の団体は広場脇の道路で舞われます。その後町内を一巡してこの場所に戻ってきます。私はコースを見ながら追っかけをして、高いアングルで撮影する場所、低いアングルで撮影する場所を決めて先回りして場所を確保しました。(もちろん人混みの少ない場所を選んでですが・・・) 町内を一巡しながら五カ所で百鹿大群舞が披露されますが、その都度四列縦隊で太鼓を打ち鳴らし移動します。ここではその様子を紹介いたします。最後の画像で大きな幟と各団体の旗を持った責任者(庭元さん?)の方が一緒に行進します。 実際の移動では、先頭が幟と団体の旗が先頭になります。獅子頭の下の前垂れは網目状になっていて、気をつけてみると中にいる舞手が分かります。 |
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