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7月19日に入港し、21年ぶりに華麗な帆船の姿を私達に見せてくれた日本丸です。20日の総帆展帆訓練・セイルドリルでは、めったに見ることの出来ない事とあって多くの観光客が訪れました。この時期特有のやませの影響でかなりの曇天でしたが、ていねいな解説があり私達の目を楽しませてくれました。

7月23日は日本丸の出航の日です。帆船が出航する時には実習生が全ての帆げた(ヤード)に登り、見送ってくれた皆さんに「ごきげんよう」と一斉に呼びかける伝統的な儀式があります。これを登檣礼(とうしょうれい)と言います。この登檣礼を撮影するため再度大船渡を訪れました。

今回は海フェスタ記念事業として、釜石市の観光船はまゆりが企画した「陸中海岸絶景スポット探訪クルーズ」に予約をし、約2時間かけて海から茶屋前埠頭まで移動しました。前にも書きましたが、当日は最悪の天候状態になりかなりの予約キャンセルがあったと言います。双胴艇のはまゆりは時速20ノット(時速36キロ)でかなり速いのですが、濃霧と雷雨の大揺れの中を走るためかなりの皆さんがダウンしていました。

幸いなことに、大船渡湾内に来ると内海のせいもあり波一つ無い穏やかな状態でした。湾内の航路の周辺には、名物であるカキ養殖イカダが無数にあります。観光船はまゆりは、鏡のような湾内を滑るように走り、大型客船飛鳥Uの側を通り、日本丸の正面反対側の埠頭に停泊しました。

出航時の記念儀式は対岸から見ていましたので、現場での解説や登檣礼の解説等については知ることが出来ませんでした。ここでは観光船はまゆりの二階デッキから日本丸を見て撮影しました。


日本丸の出航は14時なのですが、13時過ぎから日本丸を見送るための郷土芸能演舞があり、多くの皆さんが会場になっている埠頭に出ていました。

後ろに停泊中の船は、岩手県共同実習船である「りあす丸」です。りあす丸のマストには沢山の旗が掲げられています。私は分からないのですが、「安航(安全航海)を祈る」と言う意味の旗があるよ・・、とはまゆりの船員が教えてくれました。
見送りイベントで賑わう埠頭。後ろの船舶は実習船りあす丸です。

日本丸の船首部分の画像です。ちょっと見ただけでは気がつきませんが、船首部分に大きな違いがあります。私も気がつかなかったのですが、船員の方が教えてくれました。いつもはきちんと収まっている二個の錨(アンカー)ですが、片方が少し下に落ちかかっています。

これは、船舶が相手の船舶に対して敬意を表す敬礼の印なのだと言います。初めて知ったことでした。日本丸はやがて出航し湾口を通り外洋に出て行きますが、湾口を抜けるあたりまではこの状態だったようです。

普通の錨の状態 左側の錨が少し下がっています。船舶の敬礼の意味だと言います。


登檣礼(とうしょうれい)・・・、かなり難しい漢字です。檣(しょう)は、ほばしらとも読めます。文字通り帆柱に登り礼をすると言うことになります。現場での解説があったのかもしれませんが、私には正確なことが分かりません。ネット資料等で調べてみました。

登檣礼の起源・・・
登檣礼(とうしょうれい)のはっきりとした起源は明らかではありませんが、16世紀イギリス海軍の記録に見られると言うことなので、かなり古い歴史があるということになります。皇族らの送迎、司令官や艦長の交代の際や、出征、遠洋航海など、壮途に就く船に敬意を表する礼式だったそうです。

日本人がはじめて見た登檣礼は、1860年(万延元年)遣米使節として、正使・新見豊前守正興、副使 村垣淡路守範正、 目付・小栗豊後守忠順らが米国軍艦ポウハタン号でアメリカに渡る途中、ハワイに寄港 した時のようです。王様が来訪した際の様子を、村垣淡路守範正の「遣米使日記」では、 「船中奇麗にして胡楽を奏し、水夫は帆桁毎に数百人立ち並て 祝砲二十一発二度打たり・・と記録しています。

日本で最初に登檣礼が採用されたのは昭和28年日本丸が帆装復帰し、はじめての遠洋航海が企画されたとき日本丸船内で規律のあり方が問題となりました。何せ戦後はじめての遠洋航海だったからです。結局、各国の海軍礼式令や国際的慣習を調べ、これに準拠して再編成され、このときはじめて登檣礼も採用され、そのまま日本丸、海王丸での慣例となったということです。安全を考えて、やり方を少し変え、ヤード上に立つ方式からフートロープに立つ方式に変えたそうです。


登檣礼の実施法・・・
登檣礼は英語で「Man the yards」といい、各ヤード(帆桁)に人員を配して行う帆船で最高の礼です。当所では、バウスプリット、各マストのヤード及びジガーマストのトップ台に実習生を配し、職員は登舷礼の配置に立ち、笛の合図でヤード上の実習生は岸壁側に注目、士官は敬礼をします。

敬礼が終わると、バウスプリットの先端に立つ実習生が後ろを向き、「脱帽」、「ごきげんよう」の号令に合わせ、全員で「ごきげんよう」と発声しながら帽子を振り、これを3回繰り返し、「着帽」してマストから降りてきます。外国の海軍所属の帆船では、ヤードの上に立つ昔からの方式をとっているところがほとんどです。日本の練習帆船では、安全を考えてフートロープに立つ方式をとっています。                (※独立行政法人航海訓練所HPより)

※ここで使用する画像は、船舶の長さや高さを表現する意味で、原寸画像の比率をそのまま利用しました。特にも縦画像は、いつもよりかなり長くなっています。

13:58・・フォアマストの前で片手を揚げている方が目に入りました。この合図の後、実習生が両側のハシゴを一斉に登り始めました。

セイルドリルでは風を背にしてハシゴを登りましたが、今回は両側から一斉に登り、一番上のロイヤルヤードまで登るのに3分ほどでした。
マストに登れの合図が出たようです。
両側からハシゴを登る実習生の皆さん 1 両側からハシゴを登る実習生の皆さん 2・・・垂直にマストのハシゴを登ります。
両側からハシゴを登る実習生の皆さん 3・・・ほぼ登り切ったようです。 船首にあるバウスプリット、それぞれのマストのヤードの両側に同じ人数が配置されていきます。まだ完全に所定の位置には着いていません。

画像を拡大してみると、それぞれのマストにある帆げたには、下からマストを中心にして片側に4名、3名、2名、3名、2名、そして一番上のロイヤルヤードには1名が配置されています。両側になると二倍になり、一本のマストに30名が登っています。

したがって、3本のマスト全体では90名の実習生が登っていることになります。船首のバウスプリットの4名を加えると、総勢94名の皆さんが居ることになります。

高いところで緊張している思われますが、下からはその様子は分かりません。両足を帆綱上に踏ん張り、両手はヤードに触れています。

バウスプリットの先端にいる方が、全体の指揮者だと言います。ここではまだ前方を見て直立しています。

タグボートに引かれた日本丸は、どんどん岸壁から離れて行きます。
挨拶をする前の待機状態、一斉に直立です。 全体で94名の実習生の皆さんがマスト上に登っています。

大声でごきげんよーと叫んでいる実習生 1・・・バウスプリット先端のリーダーだが後ろ向きで叫んでいます。

14:05になりました。解説にもありましたが、バウスプリットの全体指揮者が後ろを向き、「脱帽」、「ごきげんよう」の号令に合わせ、全員で「ごきげんよう」と大声で言いながら帽子を振り、これを3回繰り返すと言います。

画像をよく見ると、帽子を胸に当てていますので敬礼だと思います。岸壁からどんどん離れていきますので、その辺はよく聞こえませんでした。

前の部分の拡大です。実習生の皆さんは左手でヤードをつかみ、右手に帽子を持って大きく振っています。この場面は登檣礼の最高の見せ場でもあり、夢中になってシャッターを切っていた私です。

澄み切った青空だと白い制服が冴えて最高なのですが、どんよりしていますので色調の再現には不満が残りました。でも雨と風がなかったので良しとしておきます。

大声でごきげんよーと叫んでいる実習生 2・・。最高の見せ場です。

14:10過ぎ、どんどん離れていく日本丸に向けて、手にした黄色のハンカチを振って「さよーならー」の呼びかけがありました。

式台の上で音頭を取って居るのは大船渡市長さんでしょうが、最後にみんなで万歳をしようとなりました。ちょっぴり白けた雰囲気にもなりましたが、万歳三唱でお開きになりました。
最後の見送りでさよならーをみんなで叫んでいました。
タグボートに引かれ離岸する日本丸 1 タグボートに引かれ離岸する日本丸 2
タグボートから離れ静かに自走する日本丸。 14:20頃ですが、タグボートから離れ自力で航海が始まりました。日本丸には補助エンジンがあり、最高で13ノット(時速24キロ)で走れます。

マストから降りた実習生の皆さんは、陸側のデッキに一列になり帽子を振って別れを告げています。日本丸は静かに静かに湾内を走り、やがて私達の視界から消えていきました。
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