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    クルージング 1・・・釜石港から御箱崎付近


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あらためまして皆様お早うございます。本日は「観光船はまゆり」にご乗船いただき、とどヶ崎探訪にご参加いただきまして誠に有難う御座いました。この企画は去年から始まりましたが今年は大盛況で、昨日一昨日とキャンセルと言いますか申し込まれる方を断るのに大変でした。

今日はとても素晴らしいお天気になりました。去年見て今年も是非という方も多かったと思います。毎年申し込まれましても、いつも行けるわけではありません。天気が良くても、風があっても波があてもダメなので、この三つの条件が整わなくては行くことが出来ません。

高速双胴船はまゆりは船体が二つついております。普通の船より波の受け方が少なく揺れも少ないということになります。船は二十ノットのスピードで走ることが出来ます。車で言いますと時速37kmぐらいになりますので、船としては速い方になります。

(※クルージングでの解説文は、はまゆりのガイドの方が話された内容を利用させて頂きました。)


私にとって 二度目の「観光船はまゆり」への乗船です。七月の海フェスタの時は、悪天候で海上からは撮影出来なかったのですが、今回は最高のクルージング日和になっています。 観光船に乗船したのは八時四十分頃ですが、ほとんどの方は船室に入りデッキ上にはあまり見えられません。晴れているとは言え、海上を時速40km近くで走ると風が冷たく感じますので当然だと思いました。

予定時刻九時丁度に出航しました。カメラを構えた私は、完全装備をしてデッキに場所を取ったことは言うまでもありません。外洋に出ても、風もそれほど無く寒くはなかったのです。帰りに係の方にお聞きした話では、行くときは南風の追い風なので良かったが、帰りは向かい風になり波に直接ぶつかるので何度か停船させたとのことでした。

クルージングに出る観光船はまゆり双胴艇です。皆さん乗船準備で並んでいました。 双胴艇のはまゆりはスピードが自慢です。湾内ですからまだ半分ぐらいの速さ(20km)でした。
おなじみの金石大観音です。白と青のコントラストがきれいでした。 釜石湾内でも素晴らしい景色が沢山御座います。釜石八景の一つになっている釜石大観音が右手に見えてきました。

海上から見た釜石大観音像です。今まで何回も上まで登りましたが、海上から見るのは今回が初めてです。前回のクルージングで見られなかったので、素晴らしい光景にしばし沈黙です。
北側にある湾口防波堤のいりぐち、赤い標識灯があります。

昭和52年に着工されました湾口防波堤、32年かかりましてやっと完成となりました。北堤が490m、南堤670mで湾の中程が300m程あり総延長1,960mあります。

今、湾口防波堤を越えてちょっと波が出てきました。釜石湾は右手に見えています尾崎半島と湾口防波堤で波を二重に防いでおります。


湾口防波堤北側を通り抜けました。観光船を追いかけてエサをねだってウミネコが沢山飛来しています。

山の頂上尾根部分に白い鉄塔が何基もありますが、風力発電の風車になります。滅多に見られない光景とのことでした。 逆光に輝く水平線と尾崎半島です。ウミネコのシルエットとの対比がきれいでした。


三貫島(さんがんしま)・・・

箱崎半島の南東方沖約1kmにある、周囲約4kmの無人島である。植生は、タブノキを中心とした暖帯林で、オオミズナギドリやヒメクロウミツバメ、ウミネコなどの海鳥の繁殖地、ミサゴやオオワシなどの猛禽類の生息地となっている。そのため、1935年(昭和10年)12月24日に、国指定天然記念物「三貫島オオミズナギドリおよびヒメクロウミツバメ繁殖地」に指定されている。

また、1981年(昭和56年)11月1日には国指定三貫島鳥獣保護区(集団繁殖地)にも指定されている(面積25ha、全域が特別保護地区)。また全域が陸中海岸国立公園に含まれている。釜石港から観光船「はまゆり」で遊覧出来る。
(※ネット資料より)

前方に三貫島が近づいて来ました。見ても見飽きぬ三貫島は、古い釜石甚句にも歌われております。岩手県には沢山の島がありますが、人が住んでいる島は一つもありません。みんな無人島です。その中でも一番大きな島が三貫島です。標高101m周囲4kmで、島の全体は釜石の木にもなっているタブの木の原生林でおおわれています。昭和10年三貫島はオオミズナギドリ、ヒメクロウミツバメの集団繁殖地として国の天然記念物に指定されております。

この三貫島は遠くなら眺めますと大変なだらかな優しそうな島に見えますが、こうして近づくにれて大変荒々しい岩礁の島だと言うことがお分かりかと思います。この三貫島を、南部藩時代に流人の島にしようと調査したことがあったようですが、あまり真水が出ていなかったり、人が住むにはかなり無理があるようで、流人の島にはならなかったようです。

大きな岩が並んで見えてきました。大きな岩が二つ仲良く並んで見えるところが御座います。これを夫婦岩とも呼んでいます。頂上にはみさごの巣がございます。


初めて間近に見る三貫島ですが、行くときは光線の関係で近い場所での様子がはっきりとは見えませんでした。帰りのクルージングでは、ごく間近まで接近し撮影することが出来たので詳細は別の所で説明いたします。

三貫島 1・・・全容です 三貫島 2・・・左側の様子ですが、切り立った島が並びます。
三貫島 3・・・二つ仲良く寄り添うようなへ音岩。 三貫島 4・・・側で見ると地層の走りがわかります。この場所では右下に沈んでいることになりますか。
三貫島 5・・・夫婦岩も離れたり場所が違うと物になります。 三貫島 6・・・逆光線でくっきりとしきれいな三貫島です。


御箱崎付近・・・

御箱崎に向かう途中の海岸に義経北行き伝説を発見しました。近くに行くまでは小さな白い島なのですが、通り過ぎてみたらあっと驚く自然の造形美でした。

こちら岩手県では、源義経が兄源頼朝に追われまして北へ北へと逃れていったという伝説が根強く残っております。陸上の方には沢山の伝説がありますが、海の方にもいくつかございます。このうちの一つであります「いろは島」が見えて参りました。

白い岩肌の島が見えています。こちらが「いろは島」です。何で「いろは島」かと言いますと、弁慶が、なぎなたで「いろは」を刻んだんだそうです。そして一番最後に平仮名の「ん」の文字を残していきました。今、真横ですので、少しすぎたところが一番良いと思われます。本当に弁慶って力が強かったんですね、なぎなたをふるってこんな岩に字を書いていきました。


説明を聞いてまさかなのですが、それにしても大きな達筆である「ん」の仮名文字でした。弁慶さんやりますね・・。

いろは島 1・・・白い石灰岩の小さな島です。 いろは島 2・・・岩肌にかな文字の「ん」が掘られたように見えています。弁慶が長刀で刻んだと言いますが・・。
御箱崎 1・・・大槌湾を外洋の荒波から守ると言います。 「いろは島」を過ぎると荒々しい岩石の半島が見え、岬の先端には灯台があります。ここにも、千畳敷と言われる広い岩場がありました。

御箱崎半島が前方に見えてきました。花崗岩で出来ております御箱崎でございます。ごつごつとした岩肌が見えてきました。あんまり広くないようですが、登ってみるとかなり広い所でございます。

御箱崎 2・・・船からははっきりとは見えないのですが、かなり広い岩場で「千畳敷」と言います。 御箱崎 3・・・奥の方には船越から吉里吉里(きりきり)までの海岸線が見えます。
御箱崎 4・・・御箱崎に別れを告げて船越方面に進みます。バックの島は三貫島でしょうか。 ここら辺は、波がないときでも四方八方から波がぶつかり合って、三角波がたっていると言われています。今日は波がない方なので近場を通っておりますが、波が高いとこんなに近くは通れません。

三角波というと、大きな船でも持ち上げられ操舵出来なくなり、転覆の恐れがあると聞いたことがあります。

どんどん遠ざかっていく御箱崎、背景には通り過ぎてきた三貫島が見えていました。
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