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        探訪の道 2・・・とどヶ崎灯台


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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト本州最東端探訪の道>探訪の道3 とどヶ崎灯台

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白亜の灯台と本州最東端地の碑・・・思いっきり接近し撮影したものです。

とどヶ崎・・・
本来の表記は「とどヶ崎」です。この記事に付けられた題名は、記事名の制約から不正確なものとなっています。とどヶ崎は、岩手県宮古市にある本州最東端の岬である。岬にはとどヶ埼灯台があり、西には465mの山がある。この地域を含む岩手県の海岸線一帯は、陸中海岸国立公園に指定されている。

「とどが崎」の「崎」について、地元では昔から土偏の「埼」を使っているとの訴えがあり、国道45号にある案内標識などは設置当初「崎」だったものが「埼」に直されている。しかし国土地理院の地図上ではまだ直されておらず、一般の地図上での表記が直されるのは当分先のことになると予想される。

宮古市では、地名は国土地理院に従って「とどヶ崎」、灯台の名前は海上保安庁に従って「とどヶ埼灯台」で統一しているようである。灯台の名前は、「観音埼灯台(神奈川県)」「尻屋埼灯台(青森県)」「大王埼灯台(三重県)」など、土偏の「埼」のものがほとんど。

漢字の意味としては「崎」は「地形」を表すため、その周辺地域の「地名」として住所などに使用される事が多く、一方の「埼」は「地点」を表すため、岬やそこに立つ灯台などの「名前」として使用される事が多い。従って、「とどがさき」を地名と見るのか、岬の名前と見るのかが争点であると思われる。     (※ウィキペディアより)



とどヶ崎灯台というと、灯台での暮らしぶりの手記から映画化された「喜びも悲しみも幾歳月(昭和32年)」の感動を想い出します。灯台官舎で職員が家族と共に生活したのはかなり前のことですが、ここまで来る道のりを実際に毎日歩いて学校に通ったのですから、子ども達は大変だったと思われます。

ここでは最初に灯台そのものの様子を紹介し、次のページでは灯台の上(33m)から見たとどヶ崎の様子、そして、宮古市のシンボルでもある本州最東端地の碑を紹介します。


※お断りですが、本来使われている「とど」の漢字は部首の魚と毛の作りを一字にしたものです。このページで表記す
  ることは可能なのですが、他の文字や数字が化け文字になり意図的に使用しませんでした。したがって本来的には
  「とど」を獣の名の漢字に置き換えてお読み下さい。



とどヶ埼灯台 〜遠くて近い灯台〜

この灯台は、本州最東端の地とどヶ埼に1902年(明治35年)に点灯して以来、太平洋を航行する船舶の安全に重要な役割を果たしています。太平洋戦争により初代の灯台は焼失しましたが、1950年(昭和25年)に再建され、1990年(平成8年)機器の完全自動化に伴い無人となり、職員が定期的に巡回管理しています。

1966年(昭和41年)までは職員が家族と共に生活をしていましたが、とどヶ埼灯台を含め、全国各地の灯台での暮らしぶりを描いた灯台長婦人の手記が、木下恵介監督の目に留まり、映画「喜びも悲しみも幾歳月(1957年)」として発表され、素晴らしい感動を呼び起こし、その内容は今も「本州最東端の碑」と同じ岩に刻まれ、宮古市の景観のシンボルに欠かせないものとなっています。(※灯台入り口案内板より)


やっとの思いで灯台までたどり着きました。石塀の区画に入り口があり、とどヶ崎灯台の説明が書かれてあります。長年にわたり太平洋の風雨にさらされたせいでしょうか、文字の色やコーティングが剥がれかけています。早速中に入り灯台真下の草原にごろんと寝転がりました。「やっと来たな・・」と一息つきながら、目の前にそそり立つ34mの先端部を見ていたら嬉しくなりました。

側に寝ころんでいた同年代の男性が、空を見上げながらぶつぶつ言っています。あれれと思って耳を澄ますと、何と何と「般若心経」の一節でした。でもその気持ち分かりますね。立ち上がったとき帽子を取ったら、坊主頭が見えましたので住職さんかもしれません。

11月1日は灯台記念日とのことで一般公開されています。今日のクルージングに合わせて、特別に一般公開してくれるという配慮があり嬉しくなりました。私より先に到着した方々は、休憩が終わり灯台に登って上から眺めています。昨日の一般公開では、灯台を訪れたという証明書を発行していたようですが、今日は無かったようで皆さん残念がっていました。係の方のお話ですと、今日はあまりにも多くの方(クルージングメンバーだけで百名)が来られたので、用意した証明書が品切れになったとのことでした。出来ることなら私も欲しかったのです・・・。

灯台入り口の様子。石の塀で仕切られています。 入り口にあった看板・・・古くなったのか読みにくいのです。
灯台根元にある管理室、」ここに色々な展示物があり資料等も頂きました。一般公開の看板がありました。 寝転がって撮影した白亜の灯台です。広角レンズ使用ですので短く写っています。

疲れが取れたので、灯台の周りをぐるりと歩いてみました。展望台から二本のロープが下がり、賑やかな万国旗が翻っています。灯台の北側に回ると、丁度太陽の光が遮られる場所がありました。青い空と白い雲、そして目の前にそそり立つ黒い灯台、うーん・・、これも良いなあと気に入りました。

灯台先端部の皆さん、万国旗がきれいでした。 光りと影・・・、お気に入りの一コマです。


灯台記念日公開の日でもあり、二名の職員の方が入り口にいて説明をされていました。使用した電球の色々や、初期点灯時の記念プレート、実際に使用している電球機器(灯台の上にあるもの)の見学が出来ました。レンズ部分は立ち入り禁止であり、目の細かい金網で遮断されていましたので撮影できませんでした。

意外だなと思ったのが、電球そのものがあまりにも小さいものだったと言うことです。現用電球でたったの400Wと言います。舞台照明灯で使用するKW級の電球に比べたら、あまりにも小さいと思ったからです。しかし、動作規格を見ていたら納得でした。今のとどヶ崎灯台の場合は15秒ごとに白光を1閃光するとありました。近接する灯台も閃光時間とサイクルが灯台特有のものであり、遠くから見ても識別できると言います。

位置       北緯 39度32分48秒
          東経142度04分16秒
   
光り方      15秒ごとに白光を1閃光
光りの強さ    53万カンデラ
光りの届く距離 20.5海里(約38キロメートル)
高さ        地上から灯台頂部 34メートル
           水面から灯火   58メートル
レンズ      大型3等 単閃フレネルレンズ
電球       メタルハライドランプ 400W
設置年月日   明治35年3月1日

(※灯台ランプの規格から)

展示品の色々・・・使われた電球、大きいのから小さいのまであります。 明治の初期点灯時の記念プレートと言います。
現用中の電球と同じものなのでしょうか。 現用中のランプ制御機器でこの上に大きなレンズがありました。


とどヶ埼船舶気象通報所・・・
この施設は、とどヶ埼船舶気象通報の送信(観測)所です。船舶向けに、本施設で観測した風向・風速・気圧を電波で通報しています。周波数・・・1670.5KHZ・・・毎時の28分10秒から1分20秒間。

また、北にある尻屋崎灯台及び龍飛崎灯台、南にある金華山灯台では同様の通報の他に、テレホンサービスによる通報も行っておりますので、お気軽にご利用下さい。(※送信所前の看板より)


各局、各局、こちらは○○、○○、○○。海上保安庁が○○灯台の気象情報をお知らせします。このアナウンスで始まるリアルタイムの気象情報は、磯漁等に出る小型船舶にとって貴重なデーターになると思われます。我が家から一番近いのが宮古のとどヶ崎灯台の情報です。中波放送帯の上の方で聞くことが出来ますので、興味のある方はお試し下さい。残念ですが昼間は聞くことが出来ませんが・・。

とどヶ埼船舶気象通報所案内図 とどヶ埼船舶気象通報所のアンテナ部分
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