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ここからは、田植えをしている様子をスナップ的に集めてみました。最初は順序よく苗を植えていましたが、10m植え終わると次の場所に移動します。

最後は全員で植え残りの場所に移動して植えました。子ども達が転んだのは見ていませんが、お年寄りの方の足が抜けなくなり尻もちをつきました。側にいた方がよっこいしょと抱えていたのが印象的でした。
先に植え始めた地域の皆さんです。
後ろに見えるのが種子センターです。子ども達や米寿の方の植え残しを地域の方が植えています。 四名の米寿の皆さん、植える手つきは慣れたものでした。
最後はみんなで全体を植えました。 長靴が抜けなくなり尻もちをつきました。
植えているのではなく、転びそうになり手をついた瞬間でした。 雫石出身の純情むすめさんです。苗を持って畦道を歩いています。
ご苦労様でした。若いときとは違うよね・・、そんな会話が聞こえそうです。 上の画像の左側は、田植えをしているのではなく危なく転びそうになった瞬間です。泥の中に手をついて体を支えています。

左側は雫石出身の純情むすめの方で、苗を手に畦道を歩いている様子です。

米寿の女性二名の方が田んぼに入りましたが、正直の所大変だったようです。田んぼの脇に腰を下ろしておられますが、長靴を見れば田んぼに入られた方の様子が伺われると思います。本当にご苦労さまでした。


田植え終了後の閉会式で・・・

頂いた資料によると、今日の記念田植えには稲瀬小学校5・6年生児童を含め総勢七十名ほどの地域の皆さんが参加しております。かなり風の強い日でしたが、二十分ほどで田植えが終了しました。その後の閉会式で、子ども達の代表、二人のいわて純情むすめの方々、米寿代表の方、そして東京ごはん専門店の方から田植えの感想が述べられました。

印象に残ったのは、米寿代表 I さんの挨拶でした。若い頃から苦労して米作りに取り組んできたことや、これからの米作りのあり方を小学生に期待するお話があり、聞いていてなるほどなと納得しました。お聞きしていた子ども達や、現在米作りに取り組んでいる現役の方へ、これからの期待をかけるお話は夢がありなるほどなあと思いました。これから郷土稲瀬を担って育っていく子ども達、地域に逞しく生きていく子どもに育ってほしいと思うからです。


5年生のKさん・・・
始めて田植えをして難しくて転びそうになったけど、うまく植えれて良かったです。大人の人たちは私達よりもとても早く植えれて凄いなと思いました。収穫祭が楽しみです。


純情むすめのお二人・・・
小学生の方々が寒さにも負けずに田植えをする姿を見ることが出来て、こちらも元気を頂きました。実りある秋になるよう願っています。ありがとう御座いました。

私の家でも田んぼをやっておりまして、ちょうど皆さんぐらいの小学生の頃、私も祖父と祖母の田んぼを手伝っていたので、今日の田植えを経験してその時のことを懐かしく想い出すことが出来ました。ぜひ収穫祭の時も参加させていただきたいと思います。今日は本当にお疲れ様でした。


米寿の方代表Iさん・・・
皆さん大変ご苦労さまでございました。今日、米寿の方々にお手伝いをと言われましたが、なにせ年をとって来ますと筋肉が弱くなり、泥に足をつっこんで上げることがなかなか難しくなります。特に乾いたところが大変で、途中で止められた米寿の方も有りました。いずれ皆さんの元気な田植えに感動しました。皆さんからは本当に元気をもらったと言う感じでございます。ありがとう御座いました。

この際一言申し上げたいことがございます。実はこの江刺金札米の主体が稲瀬で御座います。稲瀬のお父さんお母さん、あるいはお祖父さんお祖母さんと言う方々がこの稲瀬でその時代に一生懸命育ててくれたので御座います。それが江刺金札米という成果を生み出してくれました。今のヒトメボレでも、陸羽132号からヒトメボレとなりましても日本一の米だと評価されておりまして、東京の米屋さんも大変ほめておられます。この米がいつまで続くか、皆さんの覚悟一つにかかっておるので御座います。

お父さんお母さんがやってきました。お祖父さんお祖母さん、おひっこさんもやってきました。その後を次ぐのが皆さんで御座います。中には会社員になったり公務員になったりすると思いますが、稲瀬に残って百姓を続けたいという人が必ず皆さんの中に居ると思います。その際は頑張っていただきたいなと言う感じを持ちました。

生まれてから八十八年になりますが、私が二十歳だった頃米が足りなかったわけです。国民の食う米が足りなかったわけです。それで割り当てをして、米をどんどん出してくださいと言うことで、供米制度と言って米は食糧管理法という大きな法律の下に皆さんが作ったものをどんどん買います。それにつけても米が足りないので割り当てをやって国民の皆 さんの食を守ってきたのです。

それが昭和30年から40年の始めにかけて、農業やる以上は米が一番有利だと言うこと で開田ブーム、開田する人が多く出ました。そして足りなかった米も満たされ、40年の半ば頃から米が余り過剰米と言う事態が生じました。今皆さんの家でも、大豆をやる麦をやる転作をやっている方、あるいは果樹園をやりリンゴやナシを作っている方が沢山あります。そう言う稲瀬で御座いますが、非常に苦しいように思いますが、今の農業は非常に 近代化され機械化で楽に農業が出来ます。いずれそう言う時期が皆さんにも来ますので、稲瀬の農業を守る意味でも江刺の農業を守る意味でも、農業にも従事していただきたいと思います。そんなことを田植えしながら思って、皆さんから元気をもらってありがとう御座います。

植えられた陸羽132号の苗は、これからたくましく成長し秋の収穫の時期を迎えます。稲刈りの様子や、10月の収穫感謝祭の様子は後日まとめてみたいと思います。
5年生代表のkさんです。 米寿代表の I さんです。今までの苦労話とこれからへの期待をお話しされています。
北海道出身の純情むすめKさん。 雫石出身の純情むすめNさん。
ご飯専門店のOさん。 ご飯の専門店おにぎりを販売しているOさん・・・
岩手で始めて田植えをやりました。自分は東京で、小さなプランターで10個ぐらいの田んぼをやっております。新潟にも自分の田んぼを持ってますので、そこでスタッフと田植えをやっています。

本当に金札米は美味しいので、皆さん自信を持って米を作って頂いて、小学生の皆さんも、自分たちの育っているところの米は美味しいんだという自信を持って、これからも沢山食べて、お友達に紹介して金札米を広めてください。
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