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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト>江刺金札米88年記念・稲瀬収穫感謝祭 >米寿の皆さんとの田植え作業>スナップ写真と閉会式 |
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田植え終了後の閉会式で・・・
この際一言申し上げたいことがございます。実はこの江刺金札米の主体が稲瀬で御座います。稲瀬のお父さんお母さん、あるいはお祖父さんお祖母さんと言う方々がこの稲瀬でその時代に一生懸命育ててくれたので御座います。それが江刺金札米という成果を生み出してくれました。今のヒトメボレでも、陸羽132号からヒトメボレとなりましても日本一の米だと評価されておりまして、東京の米屋さんも大変ほめておられます。この米がいつまで続くか、皆さんの覚悟一つにかかっておるので御座います。 お父さんお母さんがやってきました。お祖父さんお祖母さん、おひっこさんもやってきました。その後を次ぐのが皆さんで御座います。中には会社員になったり公務員になったりすると思いますが、稲瀬に残って百姓を続けたいという人が必ず皆さんの中に居ると思います。その際は頑張っていただきたいなと言う感じを持ちました。 生まれてから八十八年になりますが、私が二十歳だった頃米が足りなかったわけです。国民の食う米が足りなかったわけです。それで割り当てをして、米をどんどん出してくださいと言うことで、供米制度と言って米は食糧管理法という大きな法律の下に皆さんが作ったものをどんどん買います。それにつけても米が足りないので割り当てをやって国民の皆 さんの食を守ってきたのです。 それが昭和30年から40年の始めにかけて、農業やる以上は米が一番有利だと言うこと で開田ブーム、開田する人が多く出ました。そして足りなかった米も満たされ、40年の半ば頃から米が余り過剰米と言う事態が生じました。今皆さんの家でも、大豆をやる麦をやる転作をやっている方、あるいは果樹園をやりリンゴやナシを作っている方が沢山あります。そう言う稲瀬で御座いますが、非常に苦しいように思いますが、今の農業は非常に 近代化され機械化で楽に農業が出来ます。いずれそう言う時期が皆さんにも来ますので、稲瀬の農業を守る意味でも江刺の農業を守る意味でも、農業にも従事していただきたいと思います。そんなことを田植えしながら思って、皆さんから元気をもらってありがとう御座います。 植えられた陸羽132号の苗は、これからたくましく成長し秋の収穫の時期を迎えます。稲刈りの様子や、10月の収穫感謝祭の様子は後日まとめてみたいと思います。 |
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