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       レプリカ・零式艦上戦闘機展示


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三沢市にある県立航空科学館には、今まで三回ほど見学に行っています。昨年の事でしたが、映画の撮影に使用された零戦艦上戦闘機(レプリカ)の展示があり、土・日にはエンジンを始動させていることを知りました。早速ですが、八戸市に住む孫の運動会を応援しながら出かけました。

しかし残念ながら訪れた日は、太平洋横断で知られる「ミス・ビードル号(レプリカ)」の引き渡しの日にあたり、零戦の公開は中止になっていました。残念ですが仕方ありません。

晴天に恵まれた五月二十七日、孫の運動会を応援してから息子と二人で三沢まで足を伸ばしました。八戸からは四十分ほどかかります。2010年3月から行なわれている企画展「零戦がやってきた」は好評になり、平成24年6月24日まで延長されています。本来は二機の零戦展示であったのですが、プロペラ回転が終了した5月20日以後は一機になっています。係の方のお話ですと、ロケに使用するために移動したとのことでした。


青森県立三沢航空科学館・・・

青森県立三沢航空科学館は、青森県が航空史に果たしてきた役割を広く全国に情報発信し、「大空」と「飛翔」をテーマに、未来を担う子どもたちが楽しみながら、科学する心、感動する心、挑戦する心を育む施設として青森県により建設されました。場所は、航空のまちとして発展し、大空のまちづくりを進めている三沢市が整備する「三沢大空ひろば」の一角であり、平成15年8月8日に開館しました。(※航空科学館HPより)


零戦とは・・・

零式(れいしき)艦上戦闘機は、第二次世界大戦期における大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている。海軍の艦上戦闘機としては実質的に最終型式で、日中戦争の半ばから太平洋戦争の終戦まで前線で運用された。

零戦は、大戦初期において、その長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めた。このため、零戦は当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし後継機の開発の遅れにより前線で運用され続けた結果、大戦中期以降には、大量投入された連合国側新鋭機に対する零戦の機体としての優位は失われた。日本側の熟練搭乗員の損失や、物資の不足などの面からも零戦の戦闘力は劣勢に追い込まれた。大戦末期には、他の多くの日本機と同様、特別攻撃機としても使用された。

零戦の開発元は三菱重工業である。生産は、三菱のみならず中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。零戦は、アメリカ陸軍のP-51マスタング、ドイツ空軍のメッサーシュミット Bf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。(※ウイキペディアより)


ここでは、レプリカとは言え原寸大の零戦です。航空科学館続きの格納庫に納められている様子を紹介いたします。



入り口ポスター
入り口ポスター・・・

展示されている格納庫は科学館の端にあり、一般展示会場とは区切られてあります。案内の方から教えられ進んだところにあったポスターです。右端にZERO・・土日祝日はプロペラ回転展示とあります。例え数分間であっても、搭載されているプロペラが回転しますので迫力満点です。

しかし、このプロペラ回転展示は5月20日で終了していました。残念ですが仕方ありません・・・。会場入り口は左側から入ります。

正面から・・・

別室の格納庫に入ると、フェンスの中に被害向きに置かれてある零戦です。フェンスの中には入られませんので、正面から機体の右側、後ろ、左側と移動しながら撮影しました。レプリカとは言え撮影に使用された機体です。ジュラルミン製の機体はリアルで、ネジ止めされている様子がはっきりと分かります。

正面か見る機体は迫力があり、これでプロペラが回転すれば今にも飛びそうな様子でした。


零式艦上戦闘機の諸元・性能・・・

・全幅 12.0m
・全長 9.05m
・全高 3.53m
・自重 1.754kg
・全備重量 2.421kg
・発動機 940hp
・最高速度 533.4km/h

(※展示資料から)

正面から 1
正面から 2

右側から・・・

正面斜め横から見ると、零戦の構造が見えてきます。翼の前中央部には20ミリ機関砲の銃口があります。また機体の下には補助タンクがあり、離陸後に折りたたまれる脚部の引き込み部分が見えています。チェーンで仕切られ中に入ることが出来ませんが、二機常駐の時は操縦席をのぞくための梯子が設置されていたようです。

レプリカとは言え、撮影に使用されたものですから丁寧に再現されています。

説明ポスターより・・・

1970〜80年代、我が国と海外版を合わせて、300万部もうれた零戦パイロットの手記「大空のサムライ」・・坂井三郎空戦記録・・がある。彼は撃墜機数64機抜群の技量を有する零戦パイロットだった。その坂井三郎が最も零戦らしい零戦は、と聞かれてそくざに21型(対戦初期に活躍した)だと答えている。

このゼロ戦21型の特徴は何といっても、空戦性能の良さと3,000km〜3,500kmといわれているその航続距離にある。その航続距離にまつわる話しとしてこんな実話がある。

昭和17年8月7日のガダルカナル攻防戦の折、ラバウルから遙々1,000kmを飛び空中戦を行った帰りに、米軍SBD編隊の反撃により、坂井三郎とその搭乗機(V-128号機)は大きなダメージを受ける。特に自身の頭部に被弾した傷は極めて重く、出血多量により航空図の判読は勿論、貧血状態で前方すらまともに見られない状況での飛行であったという。

そんな最悪の状態の中で、ガダルカナルからラバウルへの帰投1,000kmの引こうに
時間半を費やし、必死の思いで帰投するのである。その不撓不屈の精神こそが、撃墜王坂井三郎の真骨頂なのだ。

ここに展示の零戦21型は、昨年封切られた東宝映画聯合艦隊司令長官「山本五十六」で使用された実寸大機です。今回展示の零戦21型には、その機体番号を使用している。(※会場にある説明より)

機体右側から 1
機体右側から 2
機体右側から 3
機体右側から 4
機体右側から 5

後ろから・・・

後ろから見た様子、特にも真後ろから見ると、前翼・後翼があたかも二枚の羽根をひろげたトンボそっくりでした。

嬉しかったのは、後部の壁際に台状の脚立(高さ60センチほど)が三個置かれてあり、「この上から眺めると良いアングルで見られます」とありました。真後ろの脚立から撮影したら、トンボのように見えたことが新しい発見です。

垂直尾翼にはV-128と記号が書かれていますが、坂井三郎氏の愛機である零戦21型とのことでした。また、尾翼下の胴体からフック状のものが見えていますが、航空母艦に着陸する際に必要な機体止めのフックになります。

後ろから 1
後ろから 2
後ろから 3


左側から・・・・

この場所からは暗い上に逆光線でしたのでストロボを使用しています。映画「山本五十六」のポスターがありました。

左翼先端には、かなり長い「ピトー管」が見られます。気圧差を利用した速度計です。
機体左側から 1
左翼の下から見る。爆弾のように見えるのは補助タンク(増槽)になります

引き上げられた零戦のプロペラと脚部・・・

部屋の入り口付近に、小川原湖に沈んだ零戦実機のプロペラと脚部の実物が展示されています。

1998年に小川原湖から引き揚げられた零戦実機のプロペラ、左主脚部がありました。引き上げ当時の詳細を知りたくてネット検索しましたが、詳細については書かれてありません。何か事情等がありそうなので、これ以上の検索は中止しました。

半世紀以上水中にあった機体の一部ですから、腐食したりして当然なのですが淡水の湖底と言うこともあり錆びている程度です。三枚プロペラはねじ曲がっていますが、着水するときのショックで変形したものでしょう。胴体や翼があるのか無いのか興もが湧いてきます。
折れ曲がっているプロペラ
プロペラシャフト部分の拡大です。シャフトの周りにバランサーが二個ついています。
脚部の様子、錆びてはいませんし、機体の一部の色が判別できます。