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     2010平泉毛越寺浄土庭園・曲水の宴


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遣水の流れに乗った羽觴をそっと持ち上げる童子。

五年ぶりのことでしたが、5月23日に開催された平泉毛越寺「曲水の宴」に出かけてきました。過去何回かは雨降りで本堂の中で歌を詠んだこともありましたが、今年は晴天ではないものの新緑の木々がまぶしいくらいの日になりました。いつものことですが、気に入った場所から撮影するために3時間ほど前に境内に入り、アングルやレイアウトを考えた末「遣水」上流の近くに陣取りをしました。

平泉はご存知のように、平成23年度の世界遺産再登録に向けて町ぐるみで整備作業に取り組んでおります。今までは見られなかったのですが、復元された池に当時を偲ぶことが出来るように水が張られています。何もなかった野原の窪地に満々と水が張られると、趣ががらりと違ってきます。私を迎えてくれた大泉が池は新緑であふれ、ここに流れ込む遣水のせせらぎもきれいでした。


曲水の宴・・・

曲水の宴は、「きょくすいのえん」「めぐりみずのとよのあかり」あるいは「流觴曲水(るしょうごくすい)」ともいわれ、奈良・平安時代に盛んに行われた歌遊びです。毛越寺では古い文献に沿って「ごくすいのえん」と呼んでいます。

山水を池に取り入れるために造られた曲がりくねった水路(曲水)のことを遣水(やりみず)といいます。この水路については、平安中期の作庭方法論「作庭記」には「東より南に迎えて西に流すのを願流とす」とあり、毛越寺の遣水も当に作庭記に沿ったものです。

この遣水は、昭和58年度毛越寺庭園発掘調査事業の成果として発見されたもので、60年度に遺跡整備復元が完了、「流し初め」が催されました。続く61年度、水源となる「滝つ瀬」が発見されその価値評価ともいよいよ高いものとなりました。遣水の流れには「底石」「水切りの石」「つめ石」「横石」「水越し石」などが作庭記に忠実な形で発掘され、全長80mと全国最大きぼで完全な遣水の姿を優美に見せています。

毛越寺の曲水の宴は、この水辺で毎年5月の第4日曜日に行われ、男性は衣冠や狩衣、女性は袿(うちぎ)、十二単など平安貴族さながらの装束を身にまとって参宴します。

歌題披露のあと雅楽『催馬楽(さいばら)』に合わせ重要民族文化財の毛越寺延年の舞「若女」が奉納されます。そして杯を乗せた羽觴(うしょう)が遣水に流されると、水辺の歌人がそれぞれに歌題に従って和歌を詠み流れてくる杯を傾けます。最後に講師(こうじ)が歌を披露し、宴が終了します。(※頂いた資料から)


撮影は二回目になりますが、前回撮影できなかった「十二単の女性」「延年の舞・若女」等についても紹介してみたいと思います。曇天になり色調変化があり、微妙に色合いが違う部分もありますがご容赦下さい。頂いた資料から次のように内容を構成してあります。

◎会場の様子
◎水辺着座
◎開宴の辞
◎歌題披露
◎若女の舞
流觴曲水、一觴一詠、御酒拝戴
◎被講
◎退座



毛越寺山門から会場へ・・・

毛越寺は私の好きな寺院でもあり、一年に何回も訪れる場所になっています。厳冬の1月20日、常行堂二十日夜祭では平泉駅前からの献膳行列、そして男達の活気溢れる蘇民祭から毛越寺詣でが始まります。

開宴3時間前ですから混雑する人出はありませんが、みなさんは最短距離の池・東側を歩いていました。私も本堂や南大門跡を通らないで東側を歩きました。

曇っていましたがほとんど風がありません。池の水面は水鏡状態で、出島石組みや池中立石、州浜がきれいでした。

毛越寺山門です。曲水の宴の看板が出ていました。
おなじみ大泉が池の出島石組みと池中立石。 曲線たっぷりの州浜、対岸が会場になります。
遣水にかかる橋と通路、この場所が一番のポイントなのですが・・。 遣水の流れが池に注ぐ手前にある通路と橋です。この場所が撮影に一番良いポイントなのですが、例年報道席に指定され一般は立ち入り禁止になっています。

すでに、毛越寺の腕章を着けた方が二人陣取っていました。川の流れと全体の様子を撮影しながら、色々なお話をお聞きしました。

遣水の周辺には、何カ所かに脚立使用を禁止しますと書かれた立て札がありました。以前は良かったのですが、心ないアマチュアの方が場所を独占し、他の方の撮影の妨げになることから禁止になりました・・、と話してくれました。撮影はお互い様なのですが、人より良い場所で撮影したいという思いが過度になると問題が生じます。私も一番気をつけることなのですが・・。
見学場所の遠望です。左側のパイプ椅子が招待席で、右側の席(椅子・ベンチ・シート)が一般席になります。最初は一般席のベンチに場所をとりましたが、以前見たときとは違い遣水の流れから遠くなり、肝心の杯を乗せた羽觴が見えません。

アングルやレイアウト考えた末、今回は招待席の左端に場所をとりました。ここからは、延年の舞や十二単の女性がはっきりと見えます。もちろんですが、童子が流す羽觴もはっきりと見えます。

下の画像の左は、遣水が流れ落ちる場所と延年の舞を舞う中央の台の部分で、右側の画像は橋の上から水路上流を眺めたものです。流れの水面に映る日傘がきれいでした。
見学場所の遠望、左側が招待席で右側が一般席になります。
遣水が流れ落ちる場所と舞台。 橋の上から水路上流を眺めた様子。
会場ではどんどんセッティングが進みますが、中央の舞台で何かをしている男性(僧侶)が目に入りました。もしかしてと思ったら、これから舞う「若女」のリハーサルと言いますか、動きの確認をしていました。

今までこのような光景は見たことがありませんので、失礼でしたが何コマか撮影し紹介します。延年の舞「若女」はおよそ7分間の舞でしたが、後半の方で紹介します。
若女リハーサル中の僧侶 1
若女リハーサル中の僧侶 2 若女リハーサル中の僧侶 3
杯の乗った羽觴が並べられています。 目の前に大きな机が置かれてありました。水の流れと重なりますのであれれと思いましたが、あとから杯の乗った羽觴と酒を注ぐ木の器と桶が置かれました。後ろから見た羽觴ですので、正面の鳥の頭がわかりません。色違いになっていました。


大泉が池を渡る・・・

資料によると、正午から毛越寺本堂で参加者が参拝するとありました。その後、四名の童子・十二単の女性、主催者の僧侶と披講する方が二隻の龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船に乗って、南大門跡から対岸に渡ってきます。二回目の船で歌人が移動してきました。
龍頭鷁首(げきしゅ)の船。
最初に4名の童子が乗ります。 最初に4名の童子が乗ります。小学校の子ども達です。
童子のあとに十二単の女性が乗ります。 四名の童子が乗ると、その前の方に十二単を着た平安姿の女性が乗ります。重さが20kgにもなるという十二単です。一人では歩くのがやっとですから、船に乗るために板の渡しを歩くのは大変です。介添えと言いますか、着付け担当の方が付ききりで世話をしていました。

平安女性を見るために見学者がぎっしりでした。手に手にカメラの放列です。
披講役の方と主催者である高僧が乗る船。

もう一艘の船には、披講役の宮中歌会始披講会のお二人と、最高責任者の高僧の方が乗っています。平安女性とは対照的に見学者がほとんど居りませんでした。

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