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      2010えさし藤原の郷・百鹿大群舞


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勢揃いした百頭の鹿達です。リーダーの指示で太鼓を鳴らしながら入場します。

お盆の最終日8月16日午後一時、歴史公園「えさし藤原の郷」平安夏祭の一環として、百鹿大群舞が行われました。 朝から思わしくない空模様でしたが、午後にはからりと晴れ上がり蒸し暑い日です。イベント広場全面を使っての百頭の鹿踊り演舞です。25頭ずつ4列で太鼓を叩いての入場と演舞は、イベント広場で見ている人々の心を大きく揺さぶります。

一年に一回、お盆の行事として行われるえさし藤原の郷・百鹿大群舞ですが、ここに来て来て撮影するのは四年ぶりのことになります。いつもは閑散としている「藤原の郷」ですが、お盆を故郷で過ごした皆さんが大勢お出でになり行列が出来ていました。勇壮で素晴らしい故郷の郷土芸能を目と心に刻み込み、明日からの仕事のエネルギーになったと信じます。また、みちのく盂蘭盆まつりが午後五時から鹿踊り団体総出で行われ、最後の締めは午後八時から「百鹿大群舞」が商店街を演舞しながら流します。

※解説に使用した文章は、会場で放送された内容から作成してあることをお断りいたします。



入り口の様子・・・

失礼な表現ですが、近くに住んでいますので人出の様子は平常日はそれほどではないのです。ただし、春の観光シーズンやお盆の行事、秋の紅葉シーズンになりますと他県ナンバーの大型バスが訪れるようになります。

NHK大河ドラマのロケ地に藤原時代の建物等が使用され、俳優さんが訪れて話題にもなります。

本日は年に一回の百鹿大群舞でもあり、帰省中の皆さんが列を作って入場券を購入されています。私は市民パスポートを使っての入場でしたが、イベント広場は多くの皆さんが場所取りをしていました。
入り口の様子 1・・・各団体のアタが並んでいました。
入り口の様子 2 イベント広場はすでにびっしりと埋まっていました。


会場案内から・・・

本日の流れをご説明いたします。まず、こちらのイベント広場におきまして、オープニングセレモニーが行われます。その後、13:20頃から百鹿大群舞へと移って参ります。およそ百人の大行進は見応えがあるものでございます。その行進の後、二回に分けての大群舞披露となります。

大群舞の後には、鹿踊り踊り手の皆様と記念撮影のお時間を設けてあります。どうぞ最後までお付き合い下さい。それでは、歴史公園えさし藤原の郷・江刺鹿踊り日本一の百鹿大群舞、いよいよスタートです。


オープニングの鹿踊り・・・

オープニングを飾っていただきました踊り組は、奥州市江刺区に15組あるうちの行山流角懸鹿踊りの皆様です。ただ今ご覧頂いた踊りは、通常8人で踊られる鹿踊りの基本とも言うべき演目「礼庭」をご披露いただきました。

さて皆様、ご覧のように鹿踊りは背に白く長い「ささら」をつけております。「ささら」とは、神道の御幣の象徴です。そして頭には立派な鹿角のついた頭をかぶり、前の方には太鼓をつけ、顔から胸にかけて黒の幕だれを下げ、自ら歌うたい、太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが江刺鹿踊りの大きな特徴でございます。郷土芸能の中では非常にハードなものとなっております。また本日の踊り手の皆さんの中には、三名ほど女性の踊り手さんが入っていらっしゃると言うことです。


オープニングで舞われた「礼庭」は、お祭り広場の中央付近で舞われたものでかなり距離がありました。私は前の人が妨げにならないように、脚立を使用し60センチ程高い位置から200mmレンズを使用して撮影しました。鹿の配置の関係から横の拡がりがあり、画面も横長になっています。

時間にしておよそ17分位ありました。「ささら」に太い線が入っている牡鹿の舞を中心にしようかとも思いましたが、八頭の鹿の舞が中心になったことをお断りします。

角懸鹿踊り「礼庭」 1 角懸鹿踊り「礼庭」 2
角懸鹿踊り「礼庭」 3 角懸鹿踊り「礼庭」 4
角懸鹿踊り「礼庭」 5 角懸鹿踊り「礼庭」 6
角懸鹿踊り「礼庭」 7 角懸鹿踊り「礼庭」 8
角懸鹿踊り「礼庭」 9・・・この場面だけ縦位置にし拡大してあります。 角懸鹿踊り「礼庭」 10・・・一人での舞です。
角懸鹿踊り「礼庭」 11 角懸鹿踊り「礼庭」 12


皆様大変お待たせいたしました。平成22年歴史公園・えさし藤原の郷「平安の夏祭り」日本一の百鹿大群舞、百鹿達の登場でございます。百鹿は皆様の左手上から政庁第二大路へと進んで参ります。勇壮な太鼓の音がこの歴史公園藤原の郷に響き渡り、刻一刻と百鹿大群舞の行列が近づいて参ります。間もなく百鹿大群舞の披露でございます。

ここで中立ちのご紹介をさせて戴きます。「中立ち」とは鹿踊りの重鎮となる役どころで、踊りの中でも重要な役割を担っております。今年の江刺鹿踊り百鹿大群舞の中立ちを務めますのは、奥山行山流清衡鹿踊りのK様でございます。


開会のセレモニー・・・

皆様、お暑い中をお集まりいただきまして有難うございます。ただ今紹介いただきました江刺鹿踊保存会の親玉をやっていますKと申します。15の団体があり、そして七つの流派があるこの江刺の獅子踊りが、***を異にして***の踊り百鹿群舞を作りました。それを今日皆様方にご披露するわけですが、これを作るまでは非常に時間と忍耐があったということを皆様にお知らせしておきたいと思います。

昔は、各流派ごとに縄張り争いのような格好で、自分の踊りは絶対に人には教えないと言うのが元々の踊りの始まりであります。ですからそのわだかまりを捨てて一つの踊りをやるというのは、非常に困難だったと言うのが実際にありました。この踊りを作るには約2年ぐらいかかってやっておりまして、現在出来ましてから約25年たちました。

と言うことで、流派を越えて皆様の所に同じ踊りを踊ります。ですから、皆同じだと思わないで、衣装の紋様や後ろの絵、袴の模様と言うのを見ていただきたいと思います。色々あります。矢車の袴をもありますし、荷車の袴もあります。そしてチョウチョの様に見えるのはエビですのでアゲハチョウとは間違わないでください。そう言う様な紋様もありますし、下の線が白い線とか、黄色と赤、赤と黄色とか、上と下とか違うとか色々あります。

それから前に幕がありますが、皆さんの方からは中で踊っている人の顔は見えません。しかし、中からはしっかり見えます。これは蚊帳の中にいる人が外を見ているのと同じでございます。

江刺の踊りは全部宮城の方から入っておりまして、宮城の殿様「伊達藩の紋所」を全員使っております。これらも良く探して頂けると良いのかな・・。一番見やすいのは上の所に九曜が両側に着いておりますし、真ん中には頭の中に九曜が入っております。後ろの方に行きますと、竹に雀とか、そう言う紋様が入っております。

後ろの絵でございますが、勇ましい絵が描いてあります。源平合戦の一ノ谷の戦いとか、伝説的な神宮皇后の絵が描いてあります。字を書いている団体もございます。流派によって色々違います。

ただし、踊っている連中は全部20k強の重さを全部身につけております。この中には30kと言う重いものを背負っている方もあります。ですから15〜30kの物を体に着けて跳ねたり飛んだり謡ったりと言うことをやります。



親玉と名乗られたKさんの説明は懇切丁寧で、今回改めてお聞きして衣装の紋様やその違い等が理解できました。かかなりの長文になりますが、お読みになって江刺鹿踊りの事がいくらかでもお分かりになれば幸いです。

東側の斜面から下りてくる百鹿の皆さん。 東側の斜面(見返り坂?)の通路を二列になって下ってくる鹿達です。かなりの距離がありますが、「ささら」の様子からお分かりでしょう。
挨拶tp説明をする保存会会長のKさん。

奥州市江刺鹿踊保存会会長のKさんの挨拶と、江刺鹿踊りについてのお話がありました。四年前にお聞きした内容よりもより具体的にお聞きし、私を含めて会場の皆さんもいっそう百鹿大群舞が好きになったと思われます。

広場東側に整列し入場する百頭の鹿達。

画面中央で九曜紋の半纏を着て、両手に長い棒を持ち百人の鹿達に指示を与えて誘導します。前回見た時は、誘導の合図はホイッスルであったと思います。

百の太鼓が鳴り響きますので、見ていて空港でのジェット機の誘導に似ていました。両脇に江刺鹿踊と書かれた大きな幟がひらめいています。中央には平安貴族の装束で奥州市長(左側)と市議会議長(?)が先導します。

どんどん迫ってきます。緑色の装束を着た方はは奥州市長の小沢さん。

入場隊形は五列になります。左右二列に25頭ずつの鹿達、中央には仲立とその補佐が位置していました。

市長さんと議会議長さんは途中から離れます。

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