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          玉ノ木神楽・御神楽


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玉ノ木神楽(玉里)・・・

明治中期(22年頃)悪病、悪疫や盗人がはびこり、住民の難儀この上もなかったことから、当時の区長菊池幸四郎、菊池利喜蔵等が相談し、和歌山熊野から修験者を招き、権現を彫刻し、各戸門打ちし悪病退散し平穏に戻ったので菊池利喜蔵宅を座元として神楽を創設したと伝えられています。.


御神楽について・・・


御神楽は新改築の場合の神のお宮入り、祭典及び神楽の最初に舞うことを常とされています。天照大神が高天ケ原岩にお隠れになった時、八百万の神々が集まって種々の計り事をしました。最初に鶏をたくさん集めて鳴かせたり、踊らせたのを型とりて鳥舞とも言い、鳥甲の装いもこの意と言うことです。通常4人舞とし、仮面は付けずに扇と鈴木を持って、細やかな足取りで連舞と崩舞とを組み合わせ、手さばき足並みの揃いが見どころとされています。

(※会場で頂いた資料から)

会場での説明から・・・

玉ノ木神楽については、岩戸開きに由来するもので御座います。天照大神がお隠れになったとき、光が無くなって寒くなって何もできなくなり困ったと言うことで、岩戸の前で相談をします。そのとき天の岩戸の前に鶏をまとめて鳴かせてあめのうずめのみことが舞を披露します。

天照大神は女の神様で御座いますから、「私が居ないのに何で外はこんなに賑やかなのか」と岩戸を開けた所を、力自慢の命が岩戸を取ってぶん投げて世の中に光が戻ったという故事に習ったものでございます。

かぶり物あるいは装束から見まして、鶏の雰囲気とかを表現したものであります。今日は一番に披露されるのは胆沢系の神楽でございますので「御神楽(みかぐら)」と言います。早池峰系ですと第一番は鶏舞でございますが、胆沢系は御神楽と言います。

これは神楽をやるものには一番最初に入ったときに必ず習わないといけないし、神楽の様子が出来ないと言います。

15分ほどの御神楽の舞でしたが、舞の流れを追ってまとめてみました。最初は二人の舞手が出て舞いますが、程なくして四人の舞になります。今まで私が見てきた神楽は早池峰系神楽と大乗系神楽がほとんどでした。今回初めて胆沢系神楽(南部神楽)を観て撮影しましたが、背景となる神楽幕の彩りの違いに気がつきました。

私の思いが違っているかも知れませんが、幕の彩りが明るい感じです。しかも衣装の色も同系統の色合いですから、ストロボ使用で撮影すると舞手の衣装が幕に埋もれてしまいます。



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