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       奥州市・第26回江刺神楽大会


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原体神楽岩戸開きの一場面、大きな扇を持つのは天照大神です。

10月17日の事でしたが、恒例になっている江刺神楽大会が伊手地区センターで開催されました。今年で26回を迎えると言いますから、伝統と歴史の重みを感じます。3年ほど前になりますが、広瀬地区で行われた神楽大会を見て撮影しましたことを思い出します。

郷土芸能の宝庫と言われる奥州市江刺区です。神楽会場で進行役の方が話されていましたが、江刺神楽大会では山伏系神楽と胆沢系神楽の両方を鑑賞出来ると言います。説明されるまでは気がつかなかったのですが、今まで見てきた神楽大会では系統の違う神楽を同じ舞台で演じることはありませんでした。系統の違いを乗り越え、郷土江刺に伝承される神楽を観られると言うことは
神楽フアンの一人として嬉しいことです。


江刺に伝わる神楽の種類

◆山伏系・・・
  権現様を奉じる修験山伏が組織した神楽を起源とする。山伏神楽は、神の住む険しい山で修行した験力(げんりょ
  く・・超自然的な力)を身につけた山伏たちが、山からおりてきて、村々を回って行う加持祈祷の呪法の舞であった。
  東北の山伏たちは、権現(ごんげん・・山の神霊、獅子頭で山伏神楽の最高神)を担いで神楽を舞ながら、修験道
  を広めたと言われている。(※岩手県の民俗芸能より)

  浅井神楽(藤里)、社風長京神楽(梁川)、大償流佐野向神楽(稲瀬)、学間沢神楽(米里)、栗生沢神楽(梁川)、
  北野神楽(米里)、大償斎部流野口家伝軽石神楽(広瀬)、下川辺神楽(米里)、大償斎部流野口家伝鴨沢神楽
  (広瀬)青篠神楽(玉里)、岳流歌書神楽(広瀬)

◆胆沢系・・・
  いわゆる南部神楽と称される系統。藩政時代の東北地方の神楽は、山伏や社家に寄って演じられてきたが、明治
  維新後には神道色を強め、近代的に脚色した創作劇を加え、衣装を華やかにし、演者が直接セリフを語るなど様
  々な工夫が見られる。

  演ずるのはもっぱら農民であるところに大きな特徴があり、神楽を総合舞台芸術として庶民生活の中に自らの手で
  取り込んだところに独自性がある。(胆江地方の神楽より)

  川内神楽(田原)、戸隠神楽(伊手)、小田代神楽(田原)、玉ノ木神楽(玉里)原体神楽(田原)、小川原流和田神
  楽(玉里)
  (※会場で頂いた資料から)


神楽とは・・・

「かぐら」の語源は、「神座」(かむくら・かみくら)が転じたものとする説が一般的である。神座とは、「神の宿るところ」 「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が集まった人々の穢れを祓ったり、神懸かりとなって神の意志を伝えたり、また人の側からは願望が伝えられるなど、神人一体の宴を催す場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったと考えられている。

古事記および日本書紀においては、岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞ったという神話が神楽の起源であるとされる。アメノウズメの子孫とされる猿女君は宮中において鎮魂の儀に携わっており、このことから神楽の元々の形は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びであったとも考えられる。       (
※ウイキペディアより)



開会式の中での挨拶から・・・

主催者挨拶・・・

本日は大変好天気の中、大勢の方にご臨席いただき、また来賓の方には多忙の所をご臨席頂きまして誠に有り難うございます。本来ですと実行委員長の伊藤先生が参って御挨拶申し上げる所でしたが、今日は時間がとれないと言うことで、私、長京神楽の上尾で御座います。

何せ各地区の神楽で御座いますので、その中で活動しているのが10ぐらいでございます。なかなか後継者とか様々な角度から活動できないと言うこと形でございます。今日は、山伏神楽と胆沢神楽とがありますが、山伏神楽が三団体、胆沢系の神楽がご披露するわけでございます。頑張って発表すると言うことでごじます。最後までご鑑賞を御願い致します。


祝辞 奥州市長小沢さん(代読)・・・

第26回の江刺神楽大会が多くの皆様のご参加の下、このように盛会りに開催されましたことを心からお喜び申し上げます。保存会の皆様方には、神楽の保存伝承と地域文化の振興に大きく貢献され、活発な活動をされておりますことに衷心より感謝申し上げますと共に、今後ますますのご活躍をご期待申し上げます。

神楽は、神への祀りごとや庶民の心のより所として伝承されてきた貴重な文化財であり、郷土の歴史を理解し、また、これからの地域の文化の向上発展を目指す上でかけがえのない財産であります。江刺藤原の郷では、恒例となりました定期公演を実現され、4月から9月までの第四土曜日に各団体がご出演されており、訪れたお客様方からは大変好評であるとお聞きしております。これもひとえに皆様方の日頃よりのご精進、ご尽力によるものと存じ上げます。

昨今は指導者の高齢化や後継者の育成など様々な問題も御座いますが、このような厳しい状況の中神楽の伝承に一丸となって力を注いで居られる関係各位に対して心から敬意を表するものであります。

(※会場での記録からテキスト文を作成しましたが、聞き取れないところ等があったことをおわびいたします)


下の画像は、開会に先立って演じられた寄せ太鼓(聞き違いでなければ)の演奏です。舞台中央で、笛・太鼓・手平鉦の方により3分ほど軽やかな音色が会場に響き渡りました。

※トップの画像は原体神楽・岩戸開きの中の一コマです。天照大神の持つ大きな日の丸の扇が印象的でした。

寄せ太鼓 1 寄せ太鼓 2


今回演じられた団体は8団体ありました。10:20〜14:30までほとんど休み無く舞われ、会場に詰めかけた見学者の皆さんは昼食をとりなながらゆっくりと鑑賞していました。地域女性部の皆さんが売店を開設していましたので、私もお昼をとりながらの撮影になりました。

今日の演目・・・

玉ノ木神楽・・・御神楽、小川原流和田神楽・・・三番舞、大償流佐野向神楽・・・世剣舞、岳流歌書神楽・・・風将神舞、原体神楽・・・岩戸開き、小田代神楽・・・三番叟、八幡舞、川内神楽・・・本岩戸舞、社風長京神楽・・・下舞、権現舞

この中から5団体、5演目の様子を編集してみました。順次ページを作成し、その様子を紹介していきます。画像をクリックするか、タイトルをクリックしてお進み下さい。

玉ノ木神楽(玉里)・・・御神楽
玉ノ木神楽(玉里)・・・御神楽

明治中期(22年頃)悪病、悪疫や盗人がはびこり、住民の難儀この上もなかったことから、当時の区長菊池幸四郎、菊池利喜蔵等が相談し、和歌山熊野から修験者を招き、権現を彫刻し、各戸門打ちし悪病退散し平穏に戻ったので、菊池利喜蔵宅を座元として神楽を創設したと伝えられています。
小田代神楽(田原)・・・三番叟
小田代神楽(田原)・・・三番叟

伝承の由来は定かではないが、口伝によると胆沢下幅よりと羽田鶯沢よりとの二説あり、今後考証すべき課題である。創始は明治28年頃とされ、以来地元五十瀬神社の奉納神楽として台を重ね現在六代目である。
大償流佐野向神楽(稲瀬)・・・世剣舞
大償流佐野向神楽(稲瀬)・・・世剣舞

伝承由来は嘉永6年正月、支障は和賀郡十二鏑村(現花巻市東和町)土沢山伏神楽。現在11代目。最近集落内女性たちの協力も目立っている。今回は子どもたちによる初出演である。
岳流歌神楽(広瀬)・・・風将神舞
岳流歌神楽(広瀬)・・・風将神舞


歌書神楽の発祥は、南部国土沢村より伝授を受け、嘉永5年(1852)1月、歌書村に巻物が伝授されております。現在は8代目が精進中です。
原体神楽(田原)・・・岩戸開き
原体神楽(田原)・・・岩戸開き

原体神楽は大正4〜5年にわたり修行し、完成は大正5年の旧正月である。江刺川内神楽の先生を招き、神楽道場を座元菊池伊勢吉宅で開設し、原体神楽と命名し創始されたものです。