会場での案内から・・・
馬場では、二日目の最初を飾って長い歴史を誇る遠野南部流鏑馬が披露されます。それでは保存会の解説の下、流鏑馬の妙技をお楽しみ下さい。
本日この八幡宮において、由緒深き流鏑馬を挙行できますことを、会員一同心から厚く御礼申し上げます。ここで遠野南部流鏑馬の由来、並びに概要をご説明申し上げます。遠野南部流鏑馬は、元和元年八月十五日、遠野南部第四代の祖「師行」が、青森県三戸町櫛引八幡に奉納したのを創始とします。
この由来は、元寇の乱で、南部総本家の盛岡南部茂時が北条高時の滅亡に連座して鎌倉で討ち死にしたので、盛岡南部氏は一時失権し、新田義貞と共に鎌倉責めに功あった南部師行は、八戸に下向し南部領を統治しましたが、南部氏の氏神石引八幡宮は、盛岡南部氏の没落のため祭典等を緊縮していたのですが、南部師行はこれを復活し、鶴ヶ丘八幡宮の流鏑馬に習って施工したので、これが縁になったわけです。
さて、寛永四年遠野南部は八戸から遠野に移封を命じられましたが、その後もわざわざ三戸に出張して奉納してまいりました。南部直義は遠野に移転しましたが、当時、松崎町の八幡宮は後継者前領主の滅亡のため荒廃しておりました。直義は寛文二年これを現在の地に移して再建しました。その再建に櫛引八幡宮と同様に流鏑馬を奉納しました。この八月十五日には櫛引八幡宮、九月十五日には遠野八幡宮と明治にいたるまで年々施行していました。
こうした由緒ある流鏑馬も、解藩とともに廃れましたが、昭和二十八年保存会が発足し復活再興され、現在に至っております。
※テキスト文は、現場にて放送された内容をテープに録音し文章化しました。聞き取りにくかった箇所や、私の理解力
の不足等から間違いがあると思われます。間違い等をお知らせ下されば幸いです。
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