別名、姥舞とも言います。長命をした女性が長命を神仏に感謝をし、その神前におきまして舞を舞うわけで御座いますが、若いときに舞ったような力は体力的に御座いません。気力を振り絞って神前に感謝の舞を舞うことになります。長命をすると言うことは大変めでたいことで御座いますが、それは単純にその方が丈夫だったという事だけではなく、戦乱がなかったり、疫病がなかったりしたことの一つの結果として、その方が長命をした。自分の力だけではないことに感謝をしているわけです。
逆に考えますと、大きな災いが無く世の中が平和であった形でもあります。従いまして、この舞を舞うと言うことは、世の中が平和であることを願う祈願の舞だと言われております。腰をかがめて舞う大変難しい舞で御座いまして、「よろばいながら舞っている」と言われる苦労の多い舞で御座います。(※現場での解説から)
近年、型付けと老僧の記憶により復活されました。白髪かつらに老女面、水干に下袴をつけ、扇と鈴を持ち、摩多羅神をを三拝し、神前に蹲って白髪を梳(くしけず)る真似をし、なお、鈴をとって舞います。百歳の老女の矍鑠(かくしゃく)たるところをみせようとする、珍しい舞です。(※毛越寺の延年の舞・冊子から)
先ほどの若女と同様に、あまりにも有名な老女の舞です。このページの構成は、五月の藤原まつり、7月のあやめまつり両方の画像から構成しました。私にとっては初めての撮影でしたが、ポスターやしおり等で見る雰囲気とは違うことに気がついています。ポスターやしおり等で紹介される「若女」「老女」の画像は、画像を見る人々を幽玄の世界へと引き込みます。日中に撮影した画像は舞としては良いのですが、暗がりで舞う幽玄の世界とは違った雰囲気にしかなりません。
これは贅沢な悩みなのかも知れませんが、ページの構成を終わっての偽らざる気持ちです。出来ることならば常行堂の二十日夜祭の中で撮影したいのですが、これは叶わぬ願いのようです。今年の常行堂二十日夜祭りの時も、撮影は報道関係のみ、しかも、照明使用は不可とのことでした。神聖な祈りの中での事ですから納得できます。
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