「平泉−浄土思想に関する文化的景観」・・・ユネスコの世界遺産登録を目前にし、郷土岩手の誇りとして官民一体となって進められている平泉です。その中心景観の一つとして毛越寺があげられます。広い浄土庭園にあって、藤原文化遺跡を目のあたりにし、目をつぶると当時の様子が浮かんできます。私にとって毛越寺は、季節を問わず、いつ訪れても心が安まる場所になっています。
HPを作成するようになって、毛越寺で舞われる延年の舞はあこがれに近いものがありました。常行堂の二十日夜祭りの場では、撮影したくても入場禁止や撮影禁止ということが多く、その場に居合わせても機会がなかったことにもあります。今年になって、春の藤原まつり(5月)、あやめまつり(7月)で舞が披露されることを知り、早速訪れて撮影する機会に恵まれました。
春の藤原まつりの時は舞楽殿の正面から撮影したのですが、舞台にある手すりが妨げになり足下が見えません。おまけに後半は雷雨になり、カメラも私も濡れてしまい良い画像がありません。二度目のあやめまつりの際は、正面右に場所をとり足下が見えるように高い位置から撮影しました。
※テキスト文は、現場で解説された内容を主とし、購入した「毛越寺の延年の舞」「特別史跡・特別名勝 毛越寺」の
冊子を参考にしました。
毛越寺では伝統的な芸能で御座います延年の舞を、これから四番ほど皆様にご披露したいと思います。その前に、延年とはどんなものであるかを簡単にご案内申し上げたいと思います。
延年という言葉は、遐齢延年と言う言葉から出ているわけですけれども、齢遠く年を延べる、いわゆる長寿・長生きの意味で御座います。昔の人々、特に中世の人々は、芸能というのは人の心を穏やかにし慰め、それが長寿に繋がることだと考えておりました。
その後、延年という言葉が法会の後に神仏に奉納する芸能の催しを指すようになります。この延年の催しは、平安から奈良、室町と長く古代中世におきまして行われた行事で御座いますけれども、現在はこのような行事を行うものが大変少なくなりました。
延年の舞というのは、実は神仏に奉納する舞で御座います。これから皆さんの方へ向かって舞手が並んでこの舞台で奉納するわけです。実は皆様方の方が仏様の方で御座いまして、神仏に向かって舞を奉納する事になります。今日は皆様方は神様仏様に成り代わって、舞をご覧頂くという立場で御座いますので宜しくお願い申し上げます。
この延年と言うのは神仏を慰め、そして祈祷の意味を含めて舞うもので御座います。この延年の舞は毛越寺の一山の十七坊、ここは本坊ですが、この他に十七坊の支院が御座いまして、その支院の師弟が代々伝承してきた芸能で御座います。大体六歳ぐらいから稽古を始めまして、十一歳位の声変わりするまで稚児舞を続けます。そのほかは大人の舞をするように稽古していると言うことで御座います。
私は初めてこの舞を見ると共に、解説者の話をお聞きしながらなるほどなと思いました。今から800年ほど前の平安時代から、ここ毛越寺で開山以来連綿と行われている延年の行事、今なお当時の面影そのままに伝えられていると言います。慈覚大師の開山以来の歴史を織り込み、淡々とお話しされている僧の話に引き込まれている私でした。
当時の人々の様々な想いを今に伝えているこの「延年の舞」です。今のあたり前の長寿社会とは違い、当時の世の中でいかに長寿をすることが難しく、そのことを神仏に願い感謝していたのか・・・。そんなことを考えながらお聞きしていると、今の私達の生活について示唆に富んだ法話的なお話であったなと思わされます。
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