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       2008宮古市・黒森神楽舞立ち


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笛・太鼓・鉦を鳴らしながら参道を登ってくる神楽衆。

この画像は、神楽衆が笛を吹き、太鼓・鉦を打ち鳴らしながら参道を登ってくる様子です。時刻は午後2時ですが、杉の木が立ち並ぶ参道で暗い場面でした。軽やかな笛の音と、軽快なリズムの太鼓と鉦の音が、心にしみこんでくる雰囲気でした。

私が黒森神楽に出会ったのは今回で二回目になります。2007年6月のことでしたが、「黒森神楽・神人和楽の舞」と題して県立博物館で公演があり、その様子を紹介しました。黒森神楽は基本的に沿岸部を中心に公演が行われますので、距離と時間的な理由から訪れる機会がありませんでした。

今回、はからずも1月3日に宮古市で二つのイベントがありました。旧知の友人からも誘いがあり、一日かがりで二つのイベントに参加してきました。一つは、ほっづぎある記で紹介した「宮古鮭まつり」です。

昨年からですが、宮古市にある黒森神社を訪れたいと思っていましたので、神社本殿前で行われた権現様の魂入れになる「舞立ち・神事」、そして、地元山口地区公民館で行われる「シットギ舞込み」「舞始め」を鑑賞してきました。ここでは、由緒ある黒森神社本殿前での神事「舞立ち」を紹介してみたいと思います。



黒森神社の様子です。宮古市山口地区から登った場所に鎮座する黒森神社は、標高330mほどの黒森山にあります。友人の案内で訪れてみました。

黒森神社・・・
かつて黒森山は、巨木に覆われ鬱蒼として昼なお暗い山であったと言われる。山頂に大きな杉があり、宮古湾を航海する漁業者などの目印でもあった。黒森山麓の発掘調査により、奈良時代のものとされる密教法具が出土し、古代から地域信仰の拠点であったことが伺われる。黒森神社は「黒森観音」とか「黒森大権現社」などと呼ばれ、神仏習合の霊山であった。

棟札は、応安3年(1370)をはじめ、応永11年(1404)など17点が現存し、南部家歴代によって造営されたことがうかがえる。また、現在の社殿は嘉永3年(1850)に造営されたものである。
(※頂いた国重要無形民俗文化財指定記念公演資料から)

黒森神社 1・・・参道入り口から見た石段です。 黒森神社 2・・・左がカヤの木で右がモミの木です。
黒森神社 3・・・正面が本殿です。一段下の境内から見た様子。古い灯籠が沢山たっていました。 黒森神社 4・・・本殿を左から見た様子。


六人の神楽衆が麓から、笛を吹き、太鼓・鉦を鳴らしながら参道を静かに登って来ます。神社の本殿入り口前には、樹齢1300年ほどと推定されるモミの木・カヤの木の巨木があり、身が引き締まるような荘厳な雰囲気を醸し出してくれています。

神楽後援会の方々、神社の氏子の方々、私も含めて30人ほどの方がその様子をじーっと見つめていました。
六人の神楽衆 1 六人の神楽衆 2・・・笛と太鼓のリズムがぴったりと決まっていました。若い方達でした。
六人の神楽衆 3・・・長老格の方々の鉦打ちです。 六人の神楽衆 4・・・若い方の鉦打ちです。


権現様の保管されている扉が開けられ、普段は見ることが出来ない御居様と呼ばれる権現様がありました。「撮影しても良いですか・・」とおたずねしたら、「沢山撮ってください・・」と言われ嬉しくなりました。

権現様・・・黒森神社に現存する権現様は24頭である。現役を退いた権現様は「御隠居様」と言って、18頭が保存されている。(内16頭が岩手県指定有形文化財)。

年号銘のあるもので、最も古いものは文明17年(1485)のもので、さらに100年ほどさかのぼって南北朝初期(14世紀)と推定されているものがある。北廻りの地域から奉納された権現様は北廻りで、南廻りの地域から奉納されたものは南廻りで使用されていた。      

左側の画像は御隠居様で、右側がこれから神事を行い黒森神社の神霊を受け入れる権現様です。

倉庫に収まっている御隠居権現様。 これから黒森神社の魂が入る巡業で使う権現様。上にも見えています。


神官様がお出でになり、権現様への神入れと巡業中の安全祈願が祈願されました。祝詞奏上時以外は、妙なる笛の音と軽快な太鼓・鉦のリズムがものすごく印象的でした。     

舞立ちでの祝詞奏上から
・・・掛けまくも畏き黒森神社の大前に 恐み恐み白さく。千早降る神代の昔、雨の岩戸に御扉開きの御神楽伝え祀りし・・・社に伝え奉る御神楽人らが舞うや手振りのたえなる御神楽を・・・笛の音さやけく鼓の響き勇ましく舞奏で・・・舞立ちの御祭り伝え奉つらすを・・・新玉の年の初めに・・・御神楽人らを世の守り火の守りに守りさきわえ 導き給いて赤き心のただ一筋に 伝え奉らしめ給い・・・常に大神の大御恵みを仰ぎ奉りあがめ奉る・・・おちこちの崇敬者諸々にいたるまで・・・里々村々をあまねく 舞巡りしして目出度く帰り・・・恐み恐み白す。(※神官様の祝詞奏上から)

祝詞の内容は聞き取れないところや、私の能力では文章化できないところがあります。しかし、神代の昔からの神楽人の祈りや、巡業への願いが込められているのだなあと思いました。祝詞を文章化することは不謹慎かと思いましたが、舞立ちの神事の由来理解には必要であると判断し掲載しました。
神事 1・・・後援会長とと神官様。 神事 2・・・神事が始まります。 神事 3・・・神楽衆と後ろの舞手の方々。
神事 4・・・神楽衆と舞手へのお払い。 神事 5・・・後援会の皆さんへのお祓い。 神事 6・・・祝詞奏上をする神官様。
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