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          高田松原・奇跡の一本松


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県立高田松原野外活動センター艇庫後から見た奇跡の一本松周辺。
高田松原・奇跡の一本松・・・

2011年(平成23年)3月11日発生した東日本大震災では、この地震によって引き起こされた高さ10m以上の大津波に呑み込まれ、数万本あった全ての松がなぎ倒されてしまいました。

奇跡的に倒れずに残った1本、 高さ30mのこの松は震災直後から「復興のシンボル」とされ、「希望の松」、「希望の一本松」、「ど根性松」などと言われるようになっていました。残念なことですが、生き延びさせようと懸命の処理等が行われましたが、現在では完全に枯れ死しています。

画像は県立高田松原野外活動センター艇庫跡から見た様子です。左からしおさい橋、奇跡の一本松、陸前高田ユースホステル、右端が古河沼と海面との水位調整ゲートになります。今までこの場所までは入ることが出来ませんので、私にとって貴重な画像になりました。

今回はほっづぎある記の内容になりますので、四コマだけの画像提示になります。後日になりますが、他の部分の画像とも含めてまとめてみたいと思います。

                                                       (作成 2012年8月22日)


開放さている奇跡の一本松への入り口です。 開放された通路

8月20日でしたが、南三陸町歌津地区のヒマワリを見た帰りに一本松を見ながら走っていたら、何と、立ち入り禁止が解除されていました。

昨年6月にこの場所に来ましたが、ロープが張られ車は入ることができません。

しかし、徒歩での通行は制限されていませんので、画面中央付近までは進めたのですが、それより先は瓦礫等の集積場になっていて進めませんでした。
土台だけ残る建物の跡や瓦礫処理で造られた砂利山が見えています。

砂利道を歩く

駐車スペースから往復で2km近くあります。念願の根元の部分まで行けますので、炎天下の砂利道を歩き、がっちりと周辺の様子を撮影しました。

右端の建物は、津波で破壊されたままになっている陸前高田ユースホステルです。

気になったのが左端の水路です。古河沼に流出する浄化センターの水ですが、流れることがないためか赤さび状態です。

しおさい橋から見た一本松、欄干はほとんど無事でした。 しおさい橋から

古河沼調整池に架かる「しおさい橋」手前から見た様子です。

右端に見えるのが池の水位調整門であり、正面がユースホステルです。

欄干には、・・国営メモリアル公園を高田松原へ・・と書かれた横断幕が張られています。
痛々しい姿になっている奇跡の一本松です。 囲いの中の松

30m程の高さになると、側で撮影すると全体が画像には収まりません。標準ズームレンズ利用で、全体が入る位置からの画像です。

松の周囲は土留めをする鋼板で仕切られ、塩分除去の土壌入れ替え改良がなされています。

10m四方位あった様に思えますが、掘り込んだ周囲は砂山でぐるりと回ることができました。

土留め鋼板の根元には側溝が掘られ、水がかなりありましたが真水なのか海水混じりなのかは不明です。

鋼板の周辺にはミニヒマワリが生えており、枯れた松の木との対比が心にしみます。

現在、奇跡の一本松を永久保存する計画があります。このままでは危険であることから、一旦切り倒し幹の部分を補強して、現地に保存する話が出ています。

幹の太い部分は良いとして、先端部の細かな枝先等はどうするのか関心があります。

はっきりとは分かりませんが、秋口には立ち入ることができなくなりますので、機会があったら是非ご覧下さい。