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         一関市・千厩地名発祥の地


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二基の石碑が祀られた千厩地名発祥の地です。

10月7日のことでしたが、千厩町で行われた「みちのくせんまや赤ちゃん相撲大会」の見学に出かけた時のことです。受付で頂いた「せんまや観光マップ」を見ていたら、千厩地名発祥の地の案内が目に入りました。千厩町については子どもの頃から知っていましたが、地名の由来となると分かりませんでした。そうなると、無性に知りたくなり帰りに寄ってみました。

奥州藤原氏全盛の頃、この地に千の馬を畜養したことからも、「千馬屋(せんまや)」と呼ばれ、後に「千厩」と名付けられたとも伝えられています。 (※せんまや観光マップより)

案内地図を見たら、一関市から気仙沼市に向かうR284旧道脇にあり、今はバイパス道路が造られ、その下の崖下に整備された場所がありました。案内板に書かれている文字は旧書体でもあり、漢字変換が出来ないことと、案内文が薄れて判読できない部分があります。


千厩地名発祥の地・・・

奥州平泉が栄える以前の天喜五年(1057)源頼義・義家父子が安倍貞任を討つため奥州に出向き、黄海に地で決戦に及んだ。世に言う前九年の役である。

その数年後川崎の柵に立て籠もる安倍軍の将金為行を攻撃するため、義家軍がこの地に陣を敷き、雨露凌ぐこの岩窟に千頭の軍馬を繋いだといわれている。近年まで岩肌に残っていた馬の蹄の跡は義家の愛馬のものと語り伝えられている。

この岩肌の蹄の跡は、厩として使用された岩窟とともに新道開??工事のため取り壊されたが、千頭の軍馬を繋いだ跡として千厩地名発祥の地となっている。       千厩地名発祥の地保存会 千厩町観光協会                           
(※現場の案内板より)


千厩地名発祥の地全体。 全体の様子

南向きの崖(花崗岩と見ました)下に台地を整備し、赤い柵の中に石碑が二基建っています。

左側には案内板が二基あり、地名の由来の詳細と義経愛馬に関しての説明があります。

平泉藤原氏 この地に馬千頭を飼育せるにより 千厩と称す

源義経 名乗馬 黒太夫は当地立として有名なり(※小さい案内板)
左側の石碑、湯殿山大神、金毘羅大神と読めそうです。 左側の石碑

中央の文字が湯殿山大神、左側は金毘羅大神と読めますが、正確には不明です。

建立年月は不明です。
右側の石碑、馬は分かりますが角字が読めません。 右側の石碑

馬?神、読めません。

建立は明治廿七?・・、判明できません。

何となく馬を繋いだ柵、そんな意味に理解できますが定かではありません。
石碑と後の崖の様子。 左側後が洞窟があったと思われますが、土砂で埋まり斜面になっています。

柵の周囲は整備され、きれいな花が咲いていました。

下の道路は旧R284で、そのまま進むとバイパスに合流します。