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      奥州市水沢区日高神社・どんどん祭


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お札を火にくべる女性の様子を拝借しました。かなり大量の燃えがらを氏子の方々がスコップで片づけています。
水沢区日高神社・・・

一月十五日午後のことでしたが、社会福祉協議会での用事があり水沢区まで出かけてきました。会議終了後、思いついて寄り道したのが日高小路の奥に鎮座する日高神社です。神社周辺は車の交通量が多く、交通整理の男性も出ていました。境内入り口からは煙が立ち登っているのが見えますし、紙袋を持った人達が訪れていました。

そうかあ、今日は「どんと焼きの日」だあ・・・、そんな気持ちが高ぶってきたことは否定できません。しかし時間的に終わり頃ですから、境内の様子を見ない内は何とも言えません。十日ほど前のことになりますが、息子と二人で日高神社の初詣でに出かけています。初詣でを終えてから境内をぐるりと巡り、神社の様子を撮影しました。曇り空でもあり、うっそうとした境内の中は光線状態が良くなく撮影には不向きでした。


日高神社・・・

日高神社(ひだかじんじゃ)は、岩手県奥州市水沢区に鎮座する神社。重要文化財の本殿や、日高火防祭りで知られる。名称には諸説あり、この地が古来より日高見国と呼ばれ、日高見国勢力の中心地であったことや、前九年合戦の折に源頼義が祈祷したところ、雨が急に止み日が高く昇り、未の刻(午後2時ごろ)に安倍貞任を討ったことに因むとされる。妙見菩薩を祀る宮として「日高妙見」や「日高妙見神社」とも呼ばれている。

日高神社の創建は、弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。

                                                         (※ウイキペディアより)


トップの画像は、お札を火にくべる女性の様子を拝借しました。かなり大量の燃えがらを氏子の方々がスコップで片づけています。初詣で大量に結わえられたおみくじ等も撤去して火にくべられていました。

十五日にふらりと訪れましたが、間もなく終了という時刻でしたのでどんどん祭の盛り上がりがなく、ちょっぴり残念でしたが仕方ありません。どんと焼きとタイトルを付けながら、日高神社の紹介が中心になったことをお詫びします。改めて思うに、雪が溶け暖かくなった頃訪れがっちりと撮影しなくてはと思います。特にも日高神社のシンボルとも言える「二本の姥杉」の様子についてです。

                                                       (2014年1月18日 作成)

日高神社参道入り口です。 神社入り口

東向きに「日高神社」と刻まれた石柱と灯ろうがあり、その奥に鳥居が見えています。

今朝からの雪降りで、参道も周囲の木々も大量の雪に覆われていました。
水沢市の天然記念物に指定されている姥杉、樹齢550年とも言われています。 姥杉・・・

前回から気になっていた境内の巨木「二本の姥杉」です。

樹高24メートル、目通り幹囲5.8メートル、推定樹齢は約550年以上(文化財指定当時)。

昭和32年に市の天然記念物に指定され、もう1本も同47年に市の天然記念物に指定されている。


根元が冬越し対策のため竹等が巻かれてありますが、春になればすっきりすると思います。
山門から本殿を望む。 境内入り口

巨大な姥杉を撮影しながら参道を歩くと、本殿正面に「日高神社」と記された扁額のかかった山門がありました。

山門入り口に「どんどん祭」の案内が書かれてありますが、間もなく終わる時間帯でした。

正面に本殿が見えています。
日高神社本殿、人通りが切れた所で撮影です。 本殿・・・

本殿は三間社流造銅板葺(もと茅葺)。寛永9年(1632)の留守宗利による改築と伝え、蟇股や台輪、向拝の頭貫等に特色ある形式が見られるとともに岩手県下では江戸時代前期に遡る数少ない神社である。

また、独特の虹梁と蟇股等には室町時代の手法もうかがわれる事から、県下における神社建築の歴史を知る上でも貴重とされる。

平成2年(1990年)に国の重要文化財に指定された。