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           2012部分日食撮影


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前日の太陽、これ以上はっきりとはしませんが、中央部右側に二個の黒点らしきものが分かります。

2012部分日食撮影・・・

5月21日は、25年ぶりに日本列島で金環食が見られると言うことでかなり前から注目されていました。日食データ等の資料を見ると、岩手の奥州市では金環食ベルトから外れ部分日食しか見られません。しかし、食分は93%程になる珍しい自然現象です。

昨年は皆既月食の赤い月を撮影しましたが、太陽の撮影となると相応の装置(高価なNDフィルター等々)を整えないと困難になることから断念していました。たまたまですが、月の撮影を楽しんでいる息子がネット販売で「太陽を安全に見る日食観察プレート」を購入したことからその気になった私です。

通販で届いた観察プレートはA5版の簡易減光フィルターで、国内の第三者機関にて透過率測定を行い、紫外線、可視光、赤外線について、欧州規格に準拠した安全な特性を有していることが確認された製品(AstroArts 月刊星ナビ5月号)です。薄いプラスチック板なので、ハサミでフィルター状に切り取りレンズフードの中に入れて使用します。もちろん肉眼で見て確認することも出来ます。

そんなことから、息子と二人で前の日にテストをかねて装置造りをしました。トップの画像は前日の太陽で、35mmカメラ換算で2400mm望遠レンズと同様になります。カメラはNIKONJ1に300ミリレンズと3倍テレコンバーターを装着です。問題なのは、超望遠レンズ相当の画角になることで手持ちはもちろんのこと、頑丈な三脚を使用しないと実用にはなりません。

5月21日6時前、300ミリ望遠レンズに3倍テレコンバーターを装着し、カメラはAPS一眼デジタルカメラを使用しました。かなりの倍率で、1350ミリ(35ミリカメラ換算)超望遠レンズ相当になります。このシステムで月を撮影している息子の目には、簡易減光フィルターで見た赤い太陽は残念ですが認識できませんでした。白っぽい(光量が多い)太陽像なら確認出来るのですが、赤や緑の色光は認知出来ないからです。

最初は3倍テレコンバーターと300ミリレンズをAPS一眼デジタルに装着し撮影しましたが、手動によるピント合わせが困難になり300ミリレンズだけでの撮影になりました。簡易減光フィルターはプラスチック製であり、光学的な性能は明らかに落ちます。今回は月で太陽が覆われていく様子が記録出来れば良いと判断し、簡便法での撮影になりました。贅沢は言えません、何しろたった500円で購入した簡易減光フィルターの板だからです。


2012部分日食 1

6:30・・・

国立天文台の予報によると、一関市では部分食の始まりが6:25、食の最大が7:41で92%位、部分食の終わりが9:10頃でした。

この画像は、300ミリレンズに3倍テレコンバーターを装着して撮影したもので、右上から欠け始めた頃の画像です。

色調がかなり赤っぽいので、画像処理の段階で見やすい色調にしてあります。

2012部分日食 2 6:53・・・
2012部分日食 3 6:59・・・

ここからは300ミリレンズだけでの撮影です。35ミリカメラ換算ですと450ミリ望遠レンズ同等になります。

撮影画像は小さくなりますので、画像処理の段階で切り取って表示しています。かなり鮮明度が落ちますが、簡易減光フィルターのプラスチック板ですので仕方ありません。
2012部分日食 4 7:15・・・
2012部分日食 5 7:28・・・


2012部分日食 6 7:34・・・
2012部分日食 7 7:39・・・



2012部分日食 8 7:43・・・

最大食分の頃です。何となく肌寒くなり、日射しはあるものの薄暗くなりました。

この前後ですが、カラスの鳴き声が目立ちました。
2012部分日食 9 7:46・・・
2012部分日食 10 7:51・・・
2012部分日食 11 7:55・・・
2012部分日食 12 7:59・・・

8時になったので観察は終了です。食分はまだ半分以下ですが、周囲の明るさが戻ってきました。

三日月状の太陽の表面に、黒点らしきものが見られます。画像処理をしながら輝度を落とし、コントラストを大きくするとはっきりと確認できますが、画像としては汚くなるので紹介はしませんでした。

日食観察あれこれ・・・

日食と言うと、小学校六年生当時の礼文島での金環食が記憶に残っています。戦後間もない頃ですが、北海道の離島で世紀の観察が行われた事が子供心の中に残っていたと思われます。資料を見ると、昭和23年(1948)5月9日金環皆既食が観察されました。

昭和38年(1963)7月21日・・・皆既食、日本本土で見られた20世紀最後の皆既日食。早朝、北海道の北東部から知床半島にかけて観測された。網走では29秒間の皆既日食が見られた。

昭和62年(1987)9月23日・・・金環食、沖縄本島を中心食帯が通過。沖縄の本部町では中心食帯の中心線が通過したので、完全な同心円の金環が観測された。

現職当時、理科の教師であった私は子ども達と一緒に日食の観察をしたことを想い出します。現在と違い日食観察用品等の販売はありませんので、黒い下敷き、ローソクの煤を付けたガラス板などがほとんどでした。私は自家現像で残った白黒フィルムの端っこ(感光して黒くなった部分)を大量に造り、子ども達に分けて使用していました。

そんなことを想い出しながら今の日食観察方法を見ると、以前の日食観察はあまりにも危険すぎたと言えます。しかし、誰も日食網膜症になっていませんし、観察後に目の具合がおかしいくなったことも聞いていません。


五月二十二日の新聞記事は金環食の特集で楽しめましたが、目の具合がおかしくなり病院に行ったという記事もありました。昔の人達の目は頑丈で今の人の目は軟弱なのでしょうか、大勢の皆さんが楽しめる金環食ベルトがあまりにも身近にある為への警鐘でしょうか・・・、そんなことを感じます。

さて、次の目標は来月の太陽の前を通過する金星の撮影です。簡易減光フィルターを使用してどこまでやれるか、今から楽しみにしています。