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location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>遺跡・史跡アラカルト>会津西街道・大内宿>その2 |
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旅人にとって、今も昔も楽しみはご当地のお土産ですし、名物の美味いものと言えましょう。家々の軒先には色々なお土産品が並んでいます。一つ一つ見ていると時間の経過を忘れてしまいそうです。ていねいな手作りの木工製品や竹細工、布製品、他の観光地では見たことがないものまで売っています。
男性の方に人気があったのは帽子代わりの菅笠で、女性の方々は手造りの製品を求めていました。 ここ大内宿では、観光地にありがちな客引きや売らんかなの姿が一切なかったことでした。ですから、本当にゆっくりとお気に入りを探すことが出来ると思いました。食堂は「そば」がほとんどであり、中には箸の代わりに一本ネギを使って食べるユニークなお店もありました。 町の街道に入ったのが午前10時頃で、その時店開きしているのが道路の右側の家がほとんどでした。もしかして、日差しが強いので日陰になる右側の家が午前中営業し、午後からは反対側の左側の店が開店する・・、なんてことを考えながら歩いていました。真偽の程は分かりませんが・・。 |
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手作りの木工製品(おなじみの七福神)と竹細工です。ススでいぶしたような魚の飾り物、桑の木から造った湯飲みや急須など色々あります。分からなかったのが、柳の小枝で造った「しばみ」です。説明には、飾りやお菓子入れに使ってくださいとのことでした。 |
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色々な布で造った大根を干しているもの、実にリアルに造られています。魚やほおずき、干し柿、赤なんばん、ブドウ、カボチャ等々色々ありました。 |
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時代劇で見かけるおもちゃと言いますと、子ども達が手にして遊ぶ風車があります。ていねいに造られていました。 | ![]() |
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何気なく歩いていて、あれれなんだろうと気がついたのがこのお宅でした。名主「阿部家」とあり屋号が「美濃屋となっています。資料「宿場大内のしおり」によると、戊辰戦争でこの村が焼き払われそうになったとき、名主「阿部大五郎」の必死の抵抗で村を守ったとあります。 |
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大内宿は明治17年の街道切り替えで一般道路から遠く離れたため、現在まで昔の宿場の面影を残すことができたと言います。昔の家の屋根は茅葺きが一般的です。しかし茅葺きは、火災にほとんど無防備でもあります。資料によりますと、村人の努力によって火災を起こさないようにしてきたと言います。 昔は堀が街道の中央を流れていましたが、明治17年に両側に移し現在に至っています。家並みや家屋の構造は一部の改造があっても、大部分が昔のままです。新しいものを求める現代、一方では古いものに対する郷愁をかりたてられますが、この大内宿の面影をいつまでも残しておきたいのは、多くの人々の望みでありましょう。 宿場の家々の屋根は茅葺きが基本ですから、屋根の維持管理は計画的に共同で葺き替え作業をしなくてはなりません。たまたまでしたが、茅葺き屋根の葺き替え作業に遭遇し撮影することができました。共同作業をする皆さんを見ていて、その苦労がよく分かります。 ※我が家の母屋も築百年を経過した茅葺き屋根です。この葺き替えは作業的にも費用的にも大変で、現在の屋根は 茅葺きの上にトタンをはっています。 |
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大内宿・・・正式には、会津藩政時代の会津城下町より江戸へ通じる裏街道、南山通りの旧宿場・大内の集落である。戸数54、人口291名、正しい呼称は福島県南会津郡下郷町大字大内である。平成12年発行の「大内の宿」より。 |
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