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旅人にとって、今も昔も楽しみはご当地のお土産ですし、名物の美味いものと言えましょう。家々の軒先には色々なお土産品が並んでいます。一つ一つ見ていると時間の経過を忘れてしまいそうです。ていねいな手作りの木工製品や竹細工、布製品、他の観光地では見たことがないものまで売っています。 男性の方に人気があったのは帽子代わりの菅笠で、女性の方々は手造りの製品を求めていました。

ここ大内宿では、観光地にありがちな客引きや売らんかなの姿が一切なかったことでした。ですから、本当にゆっくりとお気に入りを探すことが出来ると思いました。食堂は「そば」がほとんどであり、中には箸の代わりに一本ネギを使って食べるユニークなお店もありました。

町の街道に入ったのが午前10時頃で、その時店開きしているのが道路の右側の家がほとんどでした。もしかして、日差しが強いので日陰になる右側の家が午前中営業し、午後からは反対側の左側の店が開店する・・、なんてことを考えながら歩いていました。真偽の程は分かりませんが・・。
軒下の食堂とお土産販売 1・・家の前が休憩所です。「みなとや」さん、そばとうどん、カレーもあります。 軒下の食堂とお土産販売 2・・「山形屋」さん、十一そばの手打ち実演があります。
軒下の食堂とお土産販売 3・・「えびす屋」さん、地酒の看板がありましたし、焼きたて栗っこ小僧の看板がありました。 軒下の食堂とお土産販売 4・・本陣に次いで格式のあった「脇本陣・富屋」さん、格式のある武士階級の宿とのことです。オオテマリの花がきれいでした。


手作りの木工製品(おなじみの七福神)と竹細工です。ススでいぶしたような魚の飾り物、桑の木から造った湯飲みや急須など色々あります。分からなかったのが、柳の小枝で造った「しばみ」です。説明には、飾りやお菓子入れに使ってくださいとのことでした。
手作り民芸品 1・・木彫りの七福神です。木目がきれいでした。 手作り民芸品 1・・「ぼけ防止・ちゅうき予防」によくきき、長生きするという桑の木で作られた湯飲み。 手作り民芸品 3・・いぶしたような感じの魚の彫り物
手作り民芸品 4・・おなじみのフクロウです。 手作り民芸品 5・・「しばみ」と言うのが分かりませんでした。 手作り民芸品 6・・時代劇で見かけるカゴですね。


色々な布で造った大根を干しているもの、実にリアルに造られています。魚やほおずき、干し柿、赤なんばん、ブドウ、カボチャ等々色々ありました。
布で造られたお土産 1・・大根を干している造り、これは今まで見たことがありません。 布で造られたお土産 2・・縫いぐるみの魚が色々あります。 布で造られたお土産 3・・中央はホオヅキでしょうか、なんばんやブドウも見えています。
布で造られたお土産 4・・トウガラシ、干し柿ですね。 布で造られたお土産 5・・ちりめん南瓜、柿があります。へたの部分に工夫がありフクロウですよ。 布で造られたお土産 6・・大きな南瓜、このへたは実際の姿と同じです。


時代劇で見かけるおもちゃと言いますと、子ども達が手にして遊ぶ風車があります。ていねいに造られていました。 昔のおもちゃの定番・風車です。 風車を拡大してみました。


何気なく歩いていて、あれれなんだろうと気がついたのがこのお宅でした。名主「阿部家」とあり屋号が「美濃屋となっています。資料「宿場大内のしおり」によると、戊辰戦争でこの村が焼き払われそうになったとき、名主「阿部大五郎」の必死の抵抗で村を守ったとあります。

また、この家の軒先に葦で造った長さ30センチほどの束が数多く吊されてあります。その下には次のような説明がありました。受粉蜂「マメコバチ」の巣と言うことです。お店の方にお聞きしたら、何軒か飼育していますよ・・とのことです。
下でよく見ていると、多くはないのですがハチの出入りがありました。

名主「阿部家」 1・・郵便の扱いもしていて、家の側には昔の郵便箱がありました。 名主「阿部家」の正面、軒下に葦の束が数多く吊されてあります。 葦の束の拡大です。葦の切り口が斜めになっていて、ここから受粉バチ「マメコバチ」が出入りします。ミツバチの何倍も働きます。ここ、大内宿は数少ないマメコバチの生息地とのこと・・。


大内宿は明治17年の街道切り替えで一般道路から遠く離れたため、現在まで昔の宿場の面影を残すことができたと言います。昔の家の屋根は茅葺きが一般的です。しかし茅葺きは、火災にほとんど無防備でもあります。資料によりますと、村人の努力によって火災を起こさないようにしてきたと言います。

昔は堀が街道の中央を流れていましたが、明治17年に両側に移し現在に至っています。家並みや家屋の構造は一部の改造があっても、大部分が昔のままです。新しいものを求める現代、一方では古いものに対する郷愁をかりたてられますが、この大内宿の面影をいつまでも残しておきたいのは、多くの人々の望みでありましょう。

宿場の家々の屋根は茅葺きが基本ですから、屋根の維持管理は計画的に共同で葺き替え作業をしなくてはなりません。たまたまでしたが、茅葺き屋根の葺き替え作業に遭遇し撮影することができました。共同作業をする皆さんを見ていて、その苦労がよく分かります。

※我が家の母屋も築百年を経過した茅葺き屋根です。この葺き替えは作業的にも費用的にも大変で、現在の屋根は
  茅葺きの上にトタンをはっています。
屋根の葺き替え 1・・これから使用する茅(ススキ)の束が大量に立てられています。 屋根の葺き替え 2・・上で茅の束を受け取る人は防塵マスクをしています。 屋根の葺き替え 3・・この画像からは部分葺き替えのような気もします。
屋根の葺き替え 4・・家の反対側に回ってみました。鋼管で足場を組んでいました。 屋根の葺き替え 5・・左側に長い笹竹が見えていますが、これを並べた茅の上に置いて、上と下から茅を縄で押さえて固定していくのです。 屋根の葺き替え 6・・並べた茅は滑りますので、足場の確保のために長い横木を並べています。


大内宿・・・正式には、会津藩政時代の会津城下町より江戸へ通じる裏街道、南山通りの旧宿場・大内の集落である。戸数54、人口291名、正しい呼称は福島県南会津郡下郷町大字大内である。平成12年発行の「大内の宿」より。

現在の旧街道筋には電柱は一本もなく、当時の面影を残しています。しかし、平成12年発行の「大内の宿」の表紙には、道路の両側に電柱と電話線が無数に見えています。昔の面影を残しつつ、大内宿を保存したいと言う住民の相互理解があったからこそ、今の姿があると思います。

街道の入り口に「大内宿を守る住民憲章」の看板がありました。その憲章の中で感銘した部分を紹介します。
2.保存優先の原則
   ・保存をすべてに優先させるため、大内宿と旧街道沿いの観光資源について、「売らない」「貸さない」「壊さない」
   の三原則を貫く。
4.外部資本から大内宿を守る
   ・大内宿と旧街道沿いは、地域住民の大切な財産である。
   ・外部資本が入れば、文化財の観光利用による収益の大半が還元されることなく、外部に流失してしまう。
5.自分の生活を守るために・・・
   ・大内宿の保存を決定するまでには、十余年の歳月を必要とした。この経験を忘れることなく保存を継続するため
   に、次に掲げる事項に該当する場合は、保存会に申し出なければならない。


新しい生活様式に関わる家造りは、そこで生活する人々の切実な願いでもあります。古い時代の財産を保存しつつ、新しい時代にどのように対応していくか・・、この住民憲章に答えがあるのだなと思いました。機会があったら、秋の紅葉、冬の時期に訪れてみたいものです。

最初の白黒画像を元に戻してみました。
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