九戸城址・・・
九戸城の歴史・・・
九戸城を九戸氏が居城としたことが文献に最初に現れるのが、九戸政実より4年前の九戸光政の頃(明応年間・15世紀)です。天正9(1591)年、城主九戸正実は南部26代当主の座を弟に擁し、田子信直と奥州南部を二分して争いました。信直が天下人秀吉の領地安堵をとりつけたことから、天下の謀反人として秀吉の奥州仕置軍6万余を敵に回しこの城にたてこもり戦う事となりましたが、仕置軍の策謀により落城しました。
その後、秀吉の命で仕置軍の軍鑑であった蒲生氏郷がこの城を普請し南部信直に渡し、信直は三戸城より移り福岡城と命名、盛岡城の築城が成るまで南部氏の本城として機能しました。
九戸城の特色・・・
城の形式としては規模雄大な平山城であり、占地縄張りには中世南部地方の城の特色が濃く見られますが、石垣を築き、虎口(こぐち)桝形の形態をとるなど近世的な特色も強く、中世から近世への過渡期の城であると言えます。特に石垣は東日本でも最古級であり、古式穴太積みの石垣としては最北のものです。城郭史の上では三戸城と盛岡城の間の時間に位置する南部本城であるとも言えます。(※現地にある石碑より)
広い城跡地域ですが、二戸市として保存している史跡九戸城跡の二の丸跡と本丸跡の様子を紹介します。最初に訪れたのは4月上旬のことでした。雨上がりでしたし、公園内は緑が全然ない荒涼とした様子です。城跡ですからその方が雰囲気的に良いのですが、雨模様になりレンズに雨粒が一つ付いたのを知らないで撮影していました。家に帰り画像を見てがっかりです。周辺についた雨粒ならば切り取り操作で削除できますが、なんと画面中央が白っぽくなっていて使用出来ません。
二回目は一カ月後の5月上旬、ちょうどお花見のシーズンでした。公園内サクラが咲き土塁に緑色が見えています。ここではその時の様子を紹介したいと思います。前回訪れたとき気がついていましたが、散策順路や見所には看板石碑があり、石碑には陶器造りの地図と説明が刻まれています。本気になって見学すると一日かかりそうですが、二ノ丸跡と本丸跡を画像にしてみました。
なお、現地にある説明以外は私が見た感じを文章化したものです。専門的な知識等がありませんので間違い等があると思われますがご容赦願います。 |