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本丸跡・・・

ほぼ100m四方の方形の曲輪で西南、東南、西北の隅に櫓が築かれており、東北櫓は一段低い特別の区画となっています。南側と東側は土塁の築かれ、土塁の両面は石積、あるいは石垣が築かれています。また各土塁の一部には枡形と呼ばれるクランク状の屈曲が見られ、本丸と二ノ丸を結ぶ虎口を形成しています。

この他、西南隅にも三ノ丸方面に降りる虎口があったと思われます。二ノ丸、松ノ丸とともに直線的な造りであり、石垣と共に近世的な特色が強く現れています。

城の出入口を、虎口(こぐち)という。大抵は曲げられて造られることが多く、城門や虎口の正面に土塁を設けてまっすぐ進めなくすることもある。城の正面(近世城郭では通常は南)の虎口には大手門・追手門、裏の虎口には搦手門が構えられた。

虎口は城兵の出入り口であるとともに、敵の侵入口にもなるため特に厳重に防備が固められた。虎口に塁壁で四角形の空間を形成して門を二重に構えたものを桝形虎口という。


二ノ丸と本丸の敷地は、南側と東側が空堀で仕切られています。本丸敷地の北側と西側は、自然の要害とも言える急斜面の崖になっています。本丸敷地に入るには南側にある虎口か、北側にある追手門から入ることになります。

復元絵図を見ると、本丸敷地の南側東西端には一段と高い場所があり、ここには隅櫓が建てられています。ここは見晴らしの良い場所であり、城下の様子や不意の敵襲などの監視の場所であったと思われます。
本丸虎口跡・・・

本丸と二ノ丸を結ぶ虎口はここと、裏側にある追手門の二カ所があります。

追手門同様に枡形になっていますが、こちらは堀が切れる場所にあり木橋はなく、二ノ丸と直接出入りできるように形になっており、門などの堅固な建造物があったと思われます。


この場所を訪れたとき見学会があり、説明を受けながら散策していました。ここを通り抜けると本丸に入ります。入り口脇のそばのの土塁には巨大な石組みがあり、この上に門構えが造られていたはずです。

本丸虎口跡 1・・・突き当たって右に曲がると本丸になります。
本丸虎口跡 2 本丸虎口跡 3・・・本丸南側西端から見た様子。中央突き当たりになります。

本丸敷地跡に入ると井戸跡があります。井戸の前から虎口入り口方面を見た様子です。復元絵図面から見ると、入り口正面の突き当たりは空堀になり、両側の土塁には門構えがありました。

本丸への入り口ですから、クランク状になっており警備も厳重だったと思われます。

それにしても古城跡と井戸の組み合わせは、当時の生活の様子を偲ばせてくれます。

井戸の跡には鉄筋が組み込まれ、多分ですが、その下は深い井戸が現存すると思います。
本丸井戸跡から虎口方向を見た様子。当時はここに門構えがあったはずです。
本丸跡 1 本丸跡 2
本丸跡 3 本丸敷地の周辺にある土塁には、当時からの巨大な石がごろごろ積まれてあります。石の表面に小さな穴が開いているものがかなり目につきます。

どうやらこれは人工的な穴であり、落城時の激戦の跡と思いました。城攻めに鉄砲も使われていますので、銃弾による穴だと思われます。

下の画像は、本丸南側東端にある一段と高い場所の様子です。遠くから見ると凹んでいるようなので、側まで登ってみました。確かに凹んでおり、何かの跡でしょうか・・。
本丸跡 4 本丸跡 5
本丸跡 6・・・追手門から出る橋とからぼり。

本丸敷地北側から見た空堀です。遠くに見える橋は、本丸追手門から二ノ丸に移動するための堀に架かった橋です。非常には橋を撤去すると、敵の侵入から本丸を守ることが出来ます。

下の左画像は本丸敷地の崖にある柵ですがこれは後から設けられたものです。右側の崖の高さは、図面から判断すると21m程あります。簡単には登っては来られない構造です。

本丸跡 7 本丸跡 8・・・西側は急斜面になっています。

隅櫓跡・・・

隅櫓とは、今で言う望楼みたいなものでしょうか・・。復元絵図を見ると、隅櫓は二カ所にありました。この場所は展望が良かったと思われますので、見張り場に使用されていたと思います。

土塁の基礎は古式穴太積みですから、巨大な石がごろごろしていました。


隅櫓跡 1・・・一番高いところになります。
隅櫓跡から見た二戸市の町並み。 隅櫓跡から見た現在の二戸市です。中央に調査中と思われる発掘跡と水溜まりがあります。

畑状に見える場所は当時の堀の部分です。車で側を通りながら城跡まで来ますが、湿地と言いますか谷地状になっていました。

下の左画像は隅櫓の建っている土塁ですし、右画像は土塁から二ノ丸方向を見下ろした様子です。かなり高いところにあることがお分かりかと思います。
隅櫓跡の土塁 隅櫓跡から見た二ノ丸跡。

本丸追手門跡・・・

二ノ丸から本丸へ入る虎口の一つで、追手門跡と呼ばれています。南北双方から伸びる土塁がここでクランク状に屈曲しており、桝形となっています。この桝形は戦国時代末期(16世紀後半)に特色的に見られる虎口の形態で、敵の軍勢が一挙に攻め込みにくい形の防御施設です。

現在二ノ丸とは土橋で繋がっていますが、当時石垣の築かれていたこの空堀には土橋はなく、木橋が架かっていたと思われます。

ここにも門構えがあったようで、土塁の石が目立っていました。

本丸追手門 1・・・裏口とも言えます。
本丸追手門の土塁と基礎の石 1 本丸追手門の土塁と基礎の石 2
追手門から橋を通り二ノ丸に向かう通路 追手門から橋を通り二ノ丸に向かう通路です。

橋の架かっている空堀の深さは、図面から判断すると二ノ丸敷地から3〜4m程あったようですし、石垣の高さは空堀底から9m程ありました。

下の左画像は橋から見た北側の空堀で、右画像は南側に延びる空堀になります。幅は16m程でしょうか。
橋の上から見た北側に延びる空堀 橋の上から見た南側に延びる空堀



二の丸発掘現場にて・・・

最初の所で九戸城跡を訪れたのは2007年の春と書きましたが、2009年10月に一戸町にある浪打峠の交叉層を撮影したとき、すぐ近くにある九戸城址を訪れました。予定外のことでしたので、公園駐車場でお昼にしました。一休みしながら周囲を見ていたら、九戸城址発掘現場と書かれた看板が目に入りました。

二年前の時は荒れ地同様の野原でしたが、駐車場東側(二ノ丸)一帯が発掘中でした。たまたまお昼時でもあり、現場には誰も見えません。作業の邪魔をしなければいいなと判断し、現場通路沿いに歩き撮影してみました。途中で発掘作業をしている女性と出会いましたのでお聞きしたら、「二ノ丸跡の発掘です」と教えてくれました。私なりにまとめてみましたが全くの素人判断です。そのことを念頭にご覧下さい。

最初の二コマは地表からきれいに掘られた部分であり、その下の二コマはよく見ると土の中に板か杭のようなものが見えています。
二ノ丸発掘現場 1 二ノ丸発掘現場 2
二ノ丸発掘現場 3・・・板切れが見えます。 二ノ丸発掘現場 4・・・杭の跡でしょうか。
発掘現場でよく見る様子です。表土を取り去った当時の地面に丸く表示が描かれ、その部分を注意深く掘っていきます。柱を打ち込んだ跡や、当時の建物の一部が残っていると思います。

一際大きな穴がありました。撮影したときははっきりとしませんが、画像処理をして気がついたことは穴の壁部分の黒さが違うことでした。

私の勝手な判断ですと、焼け落ちた黒こげの一部にも見えてきます。もしかして、落城時の火災の跡かなあと思ったくらいです。
二ノ丸発掘現場 5
二ノ丸発掘現場 6 二ノ丸発掘現場 7・・・黒い色に違いがありそうです。

赤い土は粘土かなと思われます。もし粘土だとすると、この場所は土間とか三和土(たたき)、あるいは厩の跡かなとも思われます。

我が家の母家の土間も、がっちりと粘土を固めたものですし、馬屋の作業場の土間も粘土を固めて造られていました。

本当のことは分かりませんが、赤い土を見ていると色々な可能性が浮かんできます。

二ノ丸発掘現場 8
二ノ丸発掘現場 9 二ノ丸発掘現場 10


今まで封印していた九戸城跡です。今回は二ノ丸跡と本丸跡のみ紹介しましたが、この場所に来る途中にも色々な遺構跡がありました。撮影はしたのですが画像化はしていません。後日ですが、追加の形で残りを紹介したいと思います。盛岡城址の石垣遺構にも興味がありますし、地元の古城探索もいつかは撮影したいなと思います。
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