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location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>遺跡・史跡アラカルト>二戸市・九戸城址を訪ねて>その2 |
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本丸跡・・・ ほぼ100m四方の方形の曲輪で西南、東南、西北の隅に櫓が築かれており、東北櫓は一段低い特別の区画となっています。南側と東側は土塁の築かれ、土塁の両面は石積、あるいは石垣が築かれています。また各土塁の一部には枡形と呼ばれるクランク状の屈曲が見られ、本丸と二ノ丸を結ぶ虎口を形成しています。 この他、西南隅にも三ノ丸方面に降りる虎口があったと思われます。二ノ丸、松ノ丸とともに直線的な造りであり、石垣と共に近世的な特色が強く現れています。 城の出入口を、虎口(こぐち)という。大抵は曲げられて造られることが多く、城門や虎口の正面に土塁を設けてまっすぐ進めなくすることもある。城の正面(近世城郭では通常は南)の虎口には大手門・追手門、裏の虎口には搦手門が構えられた。虎口は城兵の出入り口であるとともに、敵の侵入口にもなるため特に厳重に防備が固められた。虎口に塁壁で四角形の空間を形成して門を二重に構えたものを桝形虎口という。 二ノ丸と本丸の敷地は、南側と東側が空堀で仕切られています。本丸敷地の北側と西側は、自然の要害とも言える急斜面の崖になっています。本丸敷地に入るには南側にある虎口か、北側にある追手門から入ることになります。 復元絵図を見ると、本丸敷地の南側東西端には一段と高い場所があり、ここには隅櫓が建てられています。ここは見晴らしの良い場所であり、城下の様子や不意の敵襲などの監視の場所であったと思われます。 |
二の丸発掘現場にて・・・ 最初の所で九戸城跡を訪れたのは2007年の春と書きましたが、2009年10月に一戸町にある浪打峠の交叉層を撮影したとき、すぐ近くにある九戸城址を訪れました。予定外のことでしたので、公園駐車場でお昼にしました。一休みしながら周囲を見ていたら、九戸城址発掘現場と書かれた看板が目に入りました。 二年前の時は荒れ地同様の野原でしたが、駐車場東側(二ノ丸)一帯が発掘中でした。たまたまお昼時でもあり、現場には誰も見えません。作業の邪魔をしなければいいなと判断し、現場通路沿いに歩き撮影してみました。途中で発掘作業をしている女性と出会いましたのでお聞きしたら、「二ノ丸跡の発掘です」と教えてくれました。私なりにまとめてみましたが全くの素人判断です。そのことを念頭にご覧下さい。 最初の二コマは地表からきれいに掘られた部分であり、その下の二コマはよく見ると土の中に板か杭のようなものが見えています。 |
今まで封印していた九戸城跡です。今回は二ノ丸跡と本丸跡のみ紹介しましたが、この場所に来る途中にも色々な遺構跡がありました。撮影はしたのですが画像化はしていません。後日ですが、追加の形で残りを紹介したいと思います。盛岡城址の石垣遺構にも興味がありますし、地元の古城探索もいつかは撮影したいなと思います。 |
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