神社仏閣アラカルトに戻る
八戸市・櫛引八幡宮
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
---|---|---|---|
![]() |
![]() |
![]() |
location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>神社仏閣アラカルト>八戸市・櫛引八幡宮 |
サイトマップ |
![]() |
櫛引八幡宮は、南部家初代光行公の草創と伝えられる。平泉合戦に戦功をたてた光行公は、源頼朝から糠部群(ぬかぶのこおり、青森・岩手良く部の広大な領域)を拝領し、建久二年(1191)に入部したという。その後、父信濃守遠光公が甲斐国南部郷に仁安元年(1166)に祀っていた八幡大明神を勧請し、六戸の瀧の沢村に仮宮を営ませ、更に霊地を求めさせた。神託によって四戸の櫛引村を社地に定めて、貞応元年(1222)社殿を造営し、遷宮鎮座した。これより櫛引八幡宮と称し、南部領総鎮守として尊崇されることになった。
|
正門・・・ 四脚門は、平屋の門のなかで最も格式の高い形式であり、「南部一之宮」の正門として、相応しい構造形式を取っているものである。正門は、切石の礎石を置き、木製の礎盤と唐居敷の上に建っている。 正面の赤鳥居をくぐると国の重要文化財である「正門」があります。正面の通路はコンクリート製の太鼓橋で、両側に普通の道路があります。太鼓橋は気をつけないと滑り気味になります。この橋の両側下にはお堀のような池があり、大きな鯉がゆうゆうと泳いでいました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
拝殿の様子・・・ 「正門」をくぐり抜けると拝殿にたどり着きます。現在の拝殿は昭和59年に竣工されたものです。拝殿の後ろには、慶安元年(1648)に盛岡藩主二代・南部二十八代山城守重直公が造営した御本殿、末社神明宮、末社春日社が鎮座しています。 「南部一之宮」にふさわしく、当時の規矩にかなった正規の構造手法が認められるものであり、その構えは壮大でかつ優美であり、屋根の流れの曲線の美しさは特筆に値する。江戸時代前期のものであるが、桃山時代の遺風が察しられる名建築である。 |
![]() |
![]() |
![]() |
櫛引八幡宮と書かれた扁額が見えています。中の拝殿では祈祷が行われていて、多くの人出で賑わっていました。私は中には入りませんので、お賽銭を上げて息子と二人で拝礼をしてきました。 |
![]() |
![]() |
拝殿の日陰部分には雪が残っており、日差しは暖かいものの春にはちょっぴり遠いなと思いました。拝殿の軒下になる場所には、絵馬ならぬ干支の大きな額が飾られてあります。 | ![]() |
次のページへ → |