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location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>神社仏閣アラカルト>八戸市・櫛引八幡宮>その2 |
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本殿・・・ 「南部一之宮」にふさわしく、当時の規矩にかなった正規の構造手法が認められるものであり、その構えは壮大でかつ優美であり、屋根の流れの曲線の美しさは特筆に値する。江戸時代前期のものであるが、桃山時代の遺風が察しられる名建築である。 御本殿・旧拝殿・正門(平成5年4月国指定重要文化財指定)は、慶安元年(1648年)に盛岡藩主2代南部28代山城守重直公が造営したもので、重厚で精巧を極め、森厳にして優美な江戸時代初期の社殿建築の特色がとどめられ、安土・桃山時代の遺風が察せられます。 新拝殿の後側に位置し、塀が回されていて側には行けないのですが、古色蒼然としたたたずまいを見せています。実を言いますと、最初は案内資料等を頂かないで境内に入り正面の新拝殿(昭和59年竣工)と、その両隣の二つの末社を見ただけでした。参拝を終わり帰りながらひょいと社務所を見たら、由緒のある案内が書かれた看板がありました。改めて社務所にお願いし、「南部一之宮・櫛引八幡宮」の案内しおりを頂きました。 この本殿は、(平成5年4月 国指定重要文化財指定)は慶安元年(1648年)に盛岡藩主2代南部28代山城守重直公が造営したものと言います。回された塀の隙間から可能な限り撮影して見ました。塀の側には小さなな案内板があり、「左甚五郎の彫刻」があると書かれてあります。しかし、かなりの距離があるのと場所が不案内のこともあり見つけることが出来ません。今回は標準ズームしか持って行かなかったので、機会があったら再度訪れて細かい部分等を撮影したいと思います。 |
国指定重要文化財・・・ 長所(旧拝殿)・・・ 舟肘木に一軒の疎垂木という簡素な造りの拝殿ではあったが、本殿に対しても建て揚げが低く落ち着いた感じで、開口部の風土性豊かな構造ともあいまって、実に、好感のもてる建物であった。移築後も旧姿をよくとどめており、本殿と一体のものとしてあった時の形が偲ばれるものである。 境内にある建造物全部が国指定の重要文化財だと言います。あちこちに馬の大きな彫刻が置かれてあります。案内書を見るまで、日本三大駒の存在を知りませんでしたし、ここ「櫛引八幡宮」が発祥地とは初めて知りました。 また、勇壮な絵巻物である「流鏑馬(やぶさめ)」についてですが、八戸根城南部第四代師行(もろゆき)公が、天下泰平・武運長久・領内安穏・子孫繁栄を祈願して奉納したのが始まりであったと言います。私が今まで見てきた盛岡市八幡宮流鏑馬、遠野市八幡宮流鏑馬の源流が、ここ「櫛引八幡宮」であることを知り本家の流鏑馬を是非とも見たいと思います。 |
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末社(春日社)・・・ 本殿に向かって左側、先の神明宮と対称の位置に奉られている小さな社殿である。小規模ながらも正規の一間社春日造の形式である。(※末社(まっしゃ)・・本社に付属した神社) 末社(神明宮)・・・ 本殿に向かって右側に奉られており、小さなものではあるがその形がよく整っており、見た目にも美しい社殿である。ここに勧請されたのが元文4年(1739)と伝えており、先に見た本殿や拝殿などよりも新しい手法が見られるが、今では、八幡宮社殿として一体のものである。 新拝殿と並び、両側に末社となる春日社と神明社がひっそりと鎮座しています。参拝者が居ないのを見て撮影しました。神明社の前には波のような形の灯籠がありましたし、春日社の横には絵馬を飾る所がありました。 |
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春日社の隣はお稲荷さんでした。入り口鳥居の前には、愛嬌のある狛犬ならぬキツネがほっかむりをして座っていました。左側のキツネは巻物をくわえ、右側のキツネは玉をくわえています。この違い等の由緒は分かりませんが、手拭いのほっかむりは見ている私に親近感の様なものを感じさせます。 |
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国宝館 櫛引八幡宮の文化財・・・ そのほか、9面の舞楽面、太刀1振、鰐口2口など中世以来の文化財を伝え、社殿も江戸前期盛岡南部藩主に よるもので、八幡宮全体が文化財である。 |
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明治記念館・・・ 校舎が完成した明治14年8月に明治天皇の東北御巡幸があり、落成したばかりのこの講堂が、行在所として用いられた。昭和4年には「八戸市図書館」として使用され、後の昭和37年に櫛引八幡宮境内に移築され「明治記念館」として現在に至る。 |
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