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         岩手普代村・鵜鳥神社


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神社入り口大鳥居前で太鼓、笛、鉦をならし増す。この所作の名称が分かりませんが、お清めをしていると思われます。

5月2日のことですが、普代村鵜鳥(うのとり)神社の例大祭が行われました。私が惹かれたのは、この時奉納される鵜鳥(うのとり)神楽の奉納でした。岩手は大変広く、江刺の家から現地までは軽く200kmを超えますし、時間も最短コースでも4時間近くかかります。しかし、いまだ観たことのない鵜鳥神楽の魅力に惹かれ出かけてきました。

早池峰神楽の魅力に惹かれ、宮古の黒森神楽を知りました。昨年は一月の黒森神楽舞い始めから始まり、十二月の舞納めまで宮古まで走った私です。黒森神楽同様に歴史があり、三陸沿岸部を交互に巡行する鵜鳥神楽を知ったのもその頃でした。岩手県沿岸部には「北の鵜鳥」「南の黒森」と呼ばれる神楽があり、隔年交互に北回り、南回りの巡行を行っています。

何とか鵜鳥神楽を観たいなと思っていたところ、鵜鳥神社例大祭で神楽の奉納があることを知り出かけて来ました。ここでは、義経北行伝説に関わる鵜鳥神社と、山頂にある奥宮までの様子を紹介いたします。文中の解説文は、頂いた資料を基に作成しました。

この画像は、鵜鳥神楽衆の皆さんが神社入り口にある大鳥居の前で、ほら貝を鳴らしながら太鼓、笛、鉦を打ち鳴らして参道を登ってくるところです。桜の花が咲き、天候に恵まれた中で行われた厳粛な瞬間でした。



R45号普代村の中心地から卯子酉山に向かうと、広い場所があり祭りの幟が沢山立ち並ぶ場所に出ます。神社前の広場には多くの車が駐まっていて、私もこの場所に車を入れました。

神楽奉納時間にはたっぷり時間がありましたので、鵜鳥神社の前をじっくりと見て歩きました。所願成就の神であると共に、漁の神様、縁結び・安産の神様として広く尊崇されている神社と言われています。

境内前には地元の方による出店が沢山並び、その上にはロープに吊された大漁旗が数多く翻っていました。
道路から見た遥拝殿遠望、大きな幟や大漁旗が目立っています。
地物との方々による出店です。色々なものが販売されていました。 確か焼鳥屋さんですが、良い臭いがしていました。
境内入り口の鳥居と遥拝殿。 左端の鳥居が鵜鳥神社遥拝殿への入り口になります。少し早かったのですが、地元の方々は次々に礼拝に訪れていました。

ここでは、遥拝殿の様子、境内の様子、そして、本殿のある卯子酉山までの様子を紹介いたします。

遥拝殿 1・・・ほぼ全景で、左側が子康神社。 遥拝殿正面入り口の鳥居です。遥拝殿は奥宮(本殿)入り口山門を兼ねた建物です。

卯子酉山麓本参道入り口境内の壮麗な遥拝殿は、県内外から浄財を集め、昭和41年(1966)7月に完成したものです。この遥拝殿は、結婚式や各種祈願祭等が行われ、現在普代村の名所となっています。

下の画像は、左側が山門入り口で鵜鳥神社と書かれた扁額があり、右側が遥拝殿正面の様子で鵜鳥大神と書かれた扁額が飾られてありました。
遥拝殿 2・・・真っ直ぐ進むと奥宮に至ります 遥拝殿 3・・・遥拝殿正面です。
遥拝殿 4・・・奥宮入り口山門です 卯子酉山山頂に鎮座する奥宮(本殿)入り口です。左側にはお守りや各種祈願の受付があり、ここで案内資料を頂きました。

宮古から来られたと言うお二人と色々とお話をしました。初対面の方ですが、黒石寺の蘇民祭に出かけていますよとのことです。神楽の前に奥宮まで行きますとのことでした。私は「神楽を観てから登ります、疲れて参ったら大変なので」と言ったら、「それほど大変ではありませんよ」とのことでした。

境内から遥拝殿を望む。 ここからは遥拝殿境内の様子を撮影してみました。ほとんどの方が参拝する「枝宮子康神社」です。

鵜鳥神社は、古来安産の神・子育ての神としても尊崇され、境内には枝宮子康神社が祀られています。

と言うことで、ご神体が見えるので撮影した不謹慎な私です。何が写っているかは、ご覧になる方のご想像に委ねます。なるほどと納得した私ですから・・。
枝宮子康神社 1 枝宮子康神社 2
枝宮子康神社 3 枝宮子康神社 4・・・ご神体。
鵜鳥神楽殿 県内外450名の方々の協賛を仰ぎ、平成8年8月に落成した神楽殿です。

神楽奉納は10時過ぎからですが、広場にはシートが敷かれ、後ろには立派な椅子が置かれてあります。お聞きしたら、指定席等ではなくお年寄りの方にご利用いただきますとのことでした。

私は神楽の撮影がねらいですから、お年寄り席の後ろ正面に三脚を置き場所をとりました。嬉しかったのは、舞台正面に仕切りが無く、高い位置からですと舞手の足下が見えることでした。
義経北行伝説看板 鵜鳥神社と義経北行伝説の関係です。平泉の高舘で自刃したはずの義経ですが、何故か岩手には義経主従が北に落ち延びたという言い伝えと、それを証明するような遺跡や建物等があります。

ここ卯子酉神社(奥宮)に登る中に神域があり、ここにもなるほどなという説明がある場所があります。私も義経北行伝説に関心があり、平泉から追跡してみたいなという願望があります。何時のことかは未定ですが、これからの課題でもあります。
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