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参道入り口の案内・・・お山に登りましょうと書かれてあります。

遥拝殿山門をくぐると、目の前に参道入り口の階段があります。その右側に、「神神乃山 卯子酉(うねとり)山、お山に登りましょう」と記された木柱があります。

階段を登ったところには注連縄が張られ、ここからは神聖な奥宮入り口と言うことになります。参道を登っていって、神聖な場所だと言うことを納得した私でした。

私が奥宮を目指したのは神楽が終わってからです。カメラ一つだけを持ち軽装で歩きましたが、途中で何回も息切れをし休みながら登りました。

参道入り口階段です。  参道の様子 1・・・狭い通路と杉の根がむき出しです。
参道の様子 2 どのくらいの距離があるのかは定かではないのですが、参道とは言っても杉の根と石だらけの通路であり、気楽には登れない所もありました。

奥の方に注連縄が見えていますが、ここからは義経北行伝説に関わった場所だなあと思いました。

湧き出る清水が多くある神域がこの橋から先にあります。 注連縄の先に見えるのが神道橋です。ここからの通路はじとっと沢水で湿っていて、それぞれの場所にかなり古い案内板が立っています。

最初の清水が「うがい場」で、口をすすぎ、身を清め、お山に御参拝と書かれてあります。
神域の入り口にある神道橋です。 最初の清水・・・うがい場です。
参道の様子ですが、石がごろごろしており、大きな杉の根も両側から迫ってきますので気をつけないと転びそうになります。

下の画像は「お縒場(およりば)」と書かれてあり、義経渡海の際、航海の安全を祈り祈願を紙縒にて占いの場となっています。

紙縒(かみこより)を作り池に投じ沈めば願い事が叶い、水面に浮かべば願い事叶わずと言われます。
石が多くなり登りにくくなってきた山道。
二番目の清水・お縒場・・・紙こよりを浮かべて占う場所で、水のたまったところが池になります。 お縒場にある小さな祠、義経が航海の安全を祈ったと書かれてあります。
どんな眼病にも効果があるというお薬師様の清水。 お薬師様・・・
昔から目の神様として、杉の根元から湧き出る清水を溜める中央の凹んだ置き石があり、この水で目を洗うと眼病が治ると伝えられています。
本当は汲んで帰るつもりでしたが・・・。

どんな眼病でも治ると言われる、杉の根元から湧き出すお薬師様の清水です。最初は汲んで持ち帰るかなとさえ思いましたが、貯まった沢水ですからかなり汚くて諦めました。でもせっかく来たのですから、疲れた目を洗った私です。

今も昔も目の病気は治らないことが多く、昔の人が言い伝えを信じここまで来たのかなと思うと、医学が進歩している現在でも、信じたくなる気持ちが分かります。


夫婦杉 1・・・小さな神社がありました。 夫婦杉・・・
普代沖からも見えるという夫婦杉、樹齢は500年以上といわれます。杉の根本には夫婦杉神社が鎮座し、義経おこもり満願の朝、神眼を覚り、祈念植える(縁結びの神)、と書かれてありました。

夫婦杉と言うにからには二本あるはずなのですが、近くを探しても一本だけです。普代村指定文化財、天然記念物鵜鳥神社夫婦杉、推定樹齢が776年以上と書かれてあります。何時の時代か分かりませんが、一本が枯れたのかと思います。
夫婦杉 2・・・普代村指定天然記念物で、樹齢800年以上と言われます。 夫婦杉 3・・・杉の根元には網が積まれてあります。
奉納された定置網の漁網です。 夫婦杉の根元に奉納されている定置網の漁網です。奉納されているのは、「あんも浦定置」と書かれた三つ編みにされたロープです。

画像を拡大して見ると、使われた漁網を太く束ね、それを三つ編みにして一本のロープにしてあります。

夫婦杉を過ぎると最後の登りになります。

夫婦杉を過ぎると、周辺の様相が変わり松と落葉樹の林になりました。しかし、私にとってはつらい登り道です。通路にはコンクリート製の升や、杭が打ち込まれています。足場がますます険しくなり、岩場状の所もありました。

やっとの思いで登り切ったところに鳥居があり、その手前に卯子酉山展望台の標識がありました。ここからまた登りになるのかとがっかりしましたが、思い切って進みました。



通路が石だらけで気をつけないとつまづきます。ここまで来ると脚が上がらなくなるのです。 卯子酉山展望台入り口です。
嘉永2年(およそ160年前)に造られたという133段の石段。 ここはかなりの急坂ですが、嘉永2年(1849)建設の133段の石段があります。よっこらしょと登りましたら探訪台がありました。

ステンレスの手すりが造られており、喘ぎながら登る私には助かりました。

卯子酉山展望台・・・かすんでいて遠くが見えませんでした。 京都からお出でになったと言う若い男性が一人、下界を眺めて休んでいました。連休を使い東北を見て歩いているとのことでした。「高速道を使ってですか・・」とお尋ねしたら、東北を見たくて電車とバスで来たと言います。

晴れてはいるのですが、かすんで遠方がはっきりと見えなかったのでちょっぴり残念でした。
このとりいをくぐると程なく奥宮になります。 この鳥居をくぐり坂道を降りたところに奥宮(本殿)があります。ちょっと大変でしたが、せっかっここまで来たので本殿まであと一息です。


義経ゆかりの鵜鳥神社・・・
鵜鳥神社は、およそ千年の昔から下閉伊郡普代村にある卯子酉山山頂に鎮座する古社で、「うねどり様」の呼び名で知られています。明治以前は、卯子酉大明神あるいは卯子酉神社と呼ばれていました。明治維新以後、神社とゆかりのある鵜鳥の文字を用い鵜鳥神社と称され今日に及んでおりますが、諸願成就特に漁の神、縁結びの神、安産の神として沿岸部はもとより内陸部に至るまで広く尊崇されております。

うねどり様は平安の初めの延暦23年(804)卯子酉山薬師寺として開眼されたのがはじまりともまた、大同二年(807)卯子酉大明神として建立されたのが起源とも言われています。文治5年(1189)、源義経が蝦夷地へ渡る途中、卯子酉山で金色の鵜が子育てをしているのを見て神鳥ならんと、この地で七日七夜渡海の安全を祈願したら、三柱の神があらわれ「汝の願いを聞きとどけよう」と言って姿を消されました。それにより義経は鵜鳥大明神として山頂に祀り、翌年の建久元年(1190)から四月八日を祭典としたと言う言い伝えもあります。(※頂いた資料から)


地元で「うねどり様」と呼ばれるこの奥宮(本殿)は、大漁満作、海上安全、縁結び、安産の神様として古くから信仰を集め、遠方からも多くの参詣客が訪れると言います。遥拝殿山門から山頂の本殿まで、撮影しながら一時間ほどかかりました。距離にして800mほど、標高差で200mぐらいあったと思います。

一番心を打たれたのは、私の前を歩いていた女性の方でした。参道脇にある小さな「おんこの木」に水をかけていました。何気なく声をかけてお聞きしたことに感動し、子どもを思おう母親としての願いが卯子酉大明神に通じてほしいと思ったからです。

木立の中に歩いている方が見えますが、私とお話した女性です。 奥宮(本殿)
本殿前の礼拝場所、神殿の中が何とか見えています。壁の落書きをご覧ください。 本殿前の礼拝場所です。例大祭と言うことで、中には正装した宮司さんや氏子の方々が座っておられました。拝みながら気がついたのですが、本殿の板壁に落書とは思えない願い事や、船の名前が沢山書かれたあったことでした。

板張りの廊下には、消防団の法被を着た方が数多くつめていたようです。正面に掲げられた彫刻が見事なので、見とれながら撮影しました。
欄間の見事な龍の彫り物。

この本殿は、寛政4年(1792)と明治35年(1902)の二度火災にあい消失し、神殿は明治45年(1912)拝殿は昭和8年(1933)に新築されたと言います。

正面欄間にある見事な龍の彫刻で、下の画像は入り口柱の上に飾られている{阿吽」獅子と象の彫刻です。

阿形の彫り物 吽形の彫り物
昔の本殿跡にある神社、ここから100m程先に展望台があるとのことでした。 昔の本殿跡にある小さな祠で、左側から100m程歩くとお岬様という石の祠があると言います。残念ですが足を伸ばしてはいません。天気がいいと展望が素晴らしく太平洋と野田村が望めると言います。
東京にいる娘さんの安全・健康祈願に植えられた木、枯れないように年間を通して登っていると言います。 道路脇に植えられていた「おんこの木」です。願い事が書かれたおみくじが沢山結ばれてあり、五十代ぐらいの女性が一心に水をかけています。

その姿に惹かれた私は、思わず「曰わくのある木なのですか・・」とお尋ねしたら、「東京にいる娘の健康を願って一年に何回か来ています」とのことでした。「昨年は少し枯れてきたので心配しましたが、今年は良いようです」と笑顔で答えてくれました。思わず「枯らしてはいけませんね」と答えていた私です。

遠くにいる娘さんの安全と健康を願う母親の気持ちに、思わず頭が下がった私でした。
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