義経ゆかりの鵜鳥神社・・・
鵜鳥神社は、およそ千年の昔から下閉伊郡普代村にある卯子酉山山頂に鎮座する古社で、「うねどり様」の呼び名で知られています。明治以前は、卯子酉大明神あるいは卯子酉神社と呼ばれていました。明治維新以後、神社とゆかりのある鵜鳥の文字を用い鵜鳥神社と称され今日に及んでおりますが、諸願成就特に漁の神、縁結びの神、安産の神として沿岸部はもとより内陸部に至るまで広く尊崇されております。
うねどり様は平安の初めの延暦23年(804)卯子酉山薬師寺として開眼されたのがはじまりともまた、大同二年(807)卯子酉大明神として建立されたのが起源とも言われています。文治5年(1189)、源義経が蝦夷地へ渡る途中、卯子酉山で金色の鵜が子育てをしているのを見て神鳥ならんと、この地で七日七夜渡海の安全を祈願したら、三柱の神があらわれ「汝の願いを聞きとどけよう」と言って姿を消されました。それにより義経は鵜鳥大明神として山頂に祀り、翌年の建久元年(1190)から四月八日を祭典としたと言う言い伝えもあります。(※頂いた資料から)
地元で「うねどり様」と呼ばれるこの奥宮(本殿)は、大漁満作、海上安全、縁結び、安産の神様として古くから信仰を集め、遠方からも多くの参詣客が訪れると言います。遥拝殿山門から山頂の本殿まで、撮影しながら一時間ほどかかりました。距離にして800mほど、標高差で200mぐらいあったと思います。
一番心を打たれたのは、私の前を歩いていた女性の方でした。参道脇にある小さな「おんこの木」に水をかけていました。何気なく声をかけてお聞きしたことに感動し、子どもを思おう母親としての願いが卯子酉大明神に通じてほしいと思ったからです。
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