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        世界文化遺産・宮島厳島神社


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シンメトリックな廻廊と釣灯籠、満潮時には海水が池のようになります。
日本三景の一つであり、世界文化遺産として日本を代表する史跡「厳島神社」(広島県、1996年12月登録) を訪れたのは2007年九月のことでした。あれから二年以上の時間が経過していますが、当時のことを思い出しながらまとめてみました。


厳島(宮島)・・・

厳島(宮島)は周囲30km、全島花こう岩からできている。島の最高峰弥山は530m、頂上からの内海の眺めはすばらしい。これを中心にいくたの峯・渓谷を生じ、海岸線は変化に富んでいる。弥山山頂を含む地域は原始林として天然記念物に指定されており、樹種がはなはだ多いので、ここを住みかとしている鳥獣の種類も少なくない。

「いつくしま」の呼び名は、神をいつきまつる島、に由来するといわれており、古くは、島そのものが神として崇拝されたもので、厳島神社に対する、平清盛一門の信仰は名高く、海に浮かぶ社殿の構想もこの時にはじまる。

「ひはだぶき」、朱塗りの社殿が緑の山を背負い、おだやかな海にのぞむ景色は自然と人工のすぐれた調和美をなし日本三景の一つと賞せられてきた。大鳥居・社殿・平家納経などをはじめ国宝・重要文化財が少なくない。また付近には、毛利元就と陶晴賢の古戦場など史跡に富んでいる。(※現地にある案内板より)

解説文は、現場にある案内板の記載と、宮島観光協会のHPの記事を参考にさせていただきました。



連絡船・・・

グループの旅行で仙台空港から空路で広島県入りをした私達は、戦艦大和の巨大な模型のある「大和ミュージアム」や原子爆弾の爆心地に残る「原爆ドーム」を見学し、バスで宮島へ渡る連絡船乗り場に着いたのは夕方近くでした。

ここでの画像は、宮島からの帰りに撮影したものです。宮島に渡るときは夕方近くでよく分からなかったのですが、連絡船もかなり運航されていました。船着き場も神社の形と色で、さすがは世界文化遺産観光地入り口だなあと思いました。
連絡船から見た様子 1
連絡船から見た様子 2・・・別の乗り場です。神社造りの乗船場です。 連絡船から見た様子 3・・・他の連絡船。
宮島側の連絡船乗り場正面 宮島側の連絡船乗り場正面の様子で、「宮島桟橋」と大きな文字が分かります。この場所に来たのが9時少し前でした。


神社参道・・・

厳島神社への参拝は早朝の6時過ぎから動きました。もちろんですが、帰ってからの朝食になります。

早朝でしたが、私達以外にもかなりの人達(グループ)が参拝に訪れていました。入り口のゲートが閉じていて、側にある通用路から境内に入ります。

遠くには朱色の大鳥居が見えています。



神社参道 1・・・遠くに大鳥居が見えていて、のどかな風景です。
神社参道 2・・・早朝なので通用門は閉まっていました。 神社参道 3
干潟の上に見える厳島神社 始めて見る私には干潮時と言うこともあり、干潟の上に立つ神社が異様な光景として映ります。海水はほとんどなく、山の方から流れてくる水でしょうか、水面に建物が映っていました。
シンボルである大鳥居

厳島神社のシンボルとも言える海中にある大鳥居です。よく見ると、鳥居の根元と上の方の太さが違っています。解説記事を見てなるほどとなりました。


大鳥居・・・

厳島神社の大鳥居は、木造で鳥居の種類としては両部鳥居(四脚鳥居)です。高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、木部は丹塗り(光明丹)、主柱は楠の自然木を、袖柱は杉の自然木を使っています。

現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、明治8年(1875)に再建されました。笠木は箱になっており、拳大の石が約7t詰められています。根元は海中に置かれているだけで、自重で立っています。

主柱の基礎は、千本杭の工法が用いられ、45cmから60cmの松杭がそれぞれの柱に約30本から100本打ち込まれています。楠は、比重が重いことと、腐りにくく、虫に強いからです。

棟の西側には三日月が、東側には太陽の印があり、陰陽道の影響がみられます。沖側の扁額には厳嶋神社、御本社側は伊都岐島神社と筆書きされていて、現在の額は、明治8年の再建時のもので有栖川宮熾仁親王の染筆です。

厳島神社参拝入り口 厳島神社参拝入り口です。両側には「世界文化遺産」、
「国宝厳島神社」と書かれ看板札があります。

ここからは一方通行になり、戻って参拝することが出来なくなります。建物全体が国宝や重要文化財ですから、本来ですと神社の中を歩くなんて出来ないことです。

私達が歩けるのは、廻廊となっている板の間の廊下だけでした。


厳島神社・・・

厳島神社は霊峰弥山を背景に、前面を海に望む入り江に建つ神社で弥山などを御神体として祀り、遙拝所をその麓に配置した日本における社殿建築発展の形式の一つです。

社殿構成は十二世紀に平清盛の造営により、当時の寝殿造りの様式を取り入れて整備されましたが、その後消失し鎌倉時代に再建されました。海に建つ木像建物として過酷な環境下にありながら、大内氏や毛利氏、豊臣氏などの庇護に支えられて、古い様式を今日に伝えています。

また、寝殿建築に加えて五重塔・多宝塔などの寺院建築も加えられ、新道と仏教の混交を示す文化遺産として、世界に類を見ない景観を造りだしています。世界遺産の範囲は、厳島神社境内地と弥山北斜面の431.2ヘクタールが登録され、それ以外の島内が緩衝保護区域として設定されています。

平成八年(1996)十二月登録      (※現地の案内板より)

回廊・・・


国宝。東側廻廊は47間[ま](柱と柱の間で、1間は約2.4m)、入口は切妻造りで、屋根は檜皮葺で、棟には棟瓦が載せてあります。

西廻廊は、61間あり、西の端(出口)は、唐破風造りになっています。昔は西側が入口であったことがうかがえます。東西併せて108間約262mあり、1間・1間に釣灯籠が下げられています。

床板は、1間に8枚敷いてあり釘は使っていません。板と板の間は少し開いており、潮が高い時や台風時に波のエネルギ−を減免・消波する構造になっていて建物を守る工夫が行われています。

この床板には釘が使われていません。また、床は二枚重になっていて、本来の床板は下にあるほうで、上に敷いてあるのは養生板といい、参拝者が土足で歩いても良いようになっています。これは近年になって施工されたもので、昔は履物を脱いで昇殿していました。

廻廊の釣灯籠は、毛利氏が鋳鉄製のものを寄進したのが始まりといわれています。現在のものは、大正時代に奉納されたもので青銅製 です。



入り口からは全て廻廊が通路になり、案内標識通りにしか歩かれません。解説にもありますが、本来は履き物を脱いで歩くののですが、土足で歩けるように近年になって二重構造の廻廊になったと言います。それにしても見事と言いますか、言葉では表現できない美しさとシンメトリックな造りに心を奪われました。カメラのレンズを広角気味にし、遠近感を強調して撮影したところもあります。

廻廊 1 廻廊 2
廻廊 3 廻廊 4
廻廊 5 左右対称、遠近感を強調して廻廊を撮影してみました。
廻廊 6 最初に干潮時と書きましたが、すっかり干上がって海底の砂が乾いています。満潮時になり海水が入り込むと、水面にきれいな廻廊が姿を見せます。いつの日にか見ることが出来たら最高です。

左奥に反り橋の入り口が少し見えています。
鏡の池・・・地下水が湧き出して居ると言います。

鏡の池・・・

厳島八景の一、絶えず清水が湧いていて、ご創建時一夜にしてこの池ができたのは、この造営がご神慮にかなったためであると人々がたいそう喜んだといわれています。社殿東廻廊の海中にあります。(その他2カ所)潮が引くと丸い池が現れます。

最初は何だろうと思いましたが、丸い部分から清水が湧いていると言います。弥山に降った雨水が湧き出すのでしょう。ここからの水が流れとなって、乾いた海底に水路状になって見えています。


御本社、拝殿・・・

御本社は、それぞれ国宝に指定されていて、ご祭神は、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の宗像三女神です。ご本殿は、三女神のほかに30柱の神様が相殿されています。

広さは、正面8間・背面9間・梁間4間で、出雲大社の2倍の大きさといわれ日本一大きな本殿です。御祭神の三女神は、海の神・交通運輸神・財福の神・技芸の神として信仰されています。平清盛は、瀬戸内の海賊を平定し、海運業者を支配し、日宋貿易によって莫大な財を築き、急速に昇進しました。瀬戸内や宋との交易船の航海安全を祈るため、また瀬戸内海航路の要衝であった厳島を篤く信仰いたしました。

拝殿は、参拝者がご祭神と向き合い、お祓い・参拝する施設です。拝殿の下から見上げると棟が2つ見えます。その上を一つの棟で覆っています。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式といわれています。

入り口からの通路は廻廊がほとんどで、御本社を外から眺める場所はありません。左側の部分だけですが、巨大な柱と狛犬から御本社と判断しました。

青銅製の尾の先が多数に分岐した狛犬です。

御本社左側と狛犬
右側の狛犬で阿形の表情です。 こちらは右側にある狛犬で、阿形の様相です。各所の神社で見ている狛犬ですが、厳島神社の狛犬は唐風と言いますか気品ある姿です。
御本社脇の通路と遠くに見える左楽房。 高舞台の後ろにある御本社の通路と、柱の間から板の間が見えています。

左奥に見えているのが左楽房です。
御本社内の板の間。 立ち入り禁止ですが、きれいに磨かれている御本社内の板の間です。


下の画像は拝殿でしょうか、一般の方はこれより中には入られません。大きな賽銭箱があり、この奥は心が引き締まる雰囲気を感じます。

廻廊各所に神社の造りがありますが、この場所が一番大きく厳粛な場所でした。
拝殿 1 拝殿 2
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