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政庁エリア・・・

ここでは、規模が大きくメインの会場にもなる政庁の様子を紹介致します。入場ゲートから入ると、政庁北部分と南部分に分かれて構成してあります。

政庁北側 1 政庁北門・・・

入場ゲートを通りイベント広場を通過すると、正面に政庁北門が見えてきます。ここはそのまま通過し中に入ると政庁北側に出ます。

正面に政庁北側、その後ろには板塀でぐるりと囲まれています。
政庁北側 2 政庁北側・・・

政治や重要の儀式が行われていた場所です。北側に古い時代のもの、南側に平泉藤原時代のの二つ様式で再現しています。

この古い政庁は、8〜9世紀頃のまだ東北地方の全土が掌握されていない時代を想定しています。

正殿を囲んでの板葺きの脇殿、北門と門番が積めていた衛舎を再現し、板塀を施しています。
政庁北側 3 政庁北側 4
政庁北側 5 政庁北側の長い建物には「弓矢体験」の表示があり、この場所で弓矢の体験が出来そうです。

周囲一面は朱色の格調の高い塗装で囲まれています。
政庁北側 6 政庁北側 7
政庁北側 8 緑色の窓に見えるのは回廊の部分になります。

ここは時代劇の撮影現場によく使われる場所でもあり、シーンとした雰囲気の中に一人いるとタイムスリップしてしまいます。
政庁北側 9 政庁北側 10
政庁北側 11 中央の通路通りに歩くと、政庁南側を正面に見る広場につながります。

この場所は今、遊技場の宣伝コマーシャルの場面で利用されるロケ現場でもあります。


政庁南側 1 政庁(南側)・・・

政庁北側を通過し南門を見ながら広場に出ます。奥まった建物を囲むように左右の建物が拡がります。

平安時代後期の政庁は12世紀頃のもので、唐(中国)の影響を受けて正殿を中心に左右対称に建物が配置され、太い朱塗りの丸柱は格の高い事を示しています。

檜皮葺き入母屋造りの正殿と脇殿は回廊で(廊下)で結ばれ、高床式の倉を築地塀と揚土塀で囲んでいます。中央政権の権威を表した華麗な造りになっています。

政庁南側 2 政庁南側 3
政庁南側 4 正面の建物とつながる左右の回廊通路は奥行きがあり、朱色の通路は格調が高い構造になります。
政庁南側 5 政庁南側に入ってみました。ここには、源頼義の陸奥守着任場面が設定され、その時のろう人形が置かれています。

誰もいない場所でじっくりと見ているとタイムスリップした感じになります。夜などは怖いくらいだと思いました。
政庁南側 6

源頼義の陸奥守着任・・・

1051年(永承6年)の鬼切部合戦で安倍軍に大敗した朝廷側は、安倍の力に脅威を覚え、それを抑えるために武将・源頼義を陸奥守に任じました。翌年5月、頼義は、3000もの武装兵を従えて国府多賀城に到着しました。

戦を避け、和議に持ち込みたいと考えていた藤原経Cは、頼義の着任を緊張をもって迎えます。頼義は、息子の義家を伴って下向していました。この時14歳だった義家は、後々まで陸奥と深く関わっていきます。

政庁南側 7 正面から撮影してみました。座っているのが頼義で、右側に立つのが息子の義家になります。

下の画像はアングルを変え、人物の配置と名札を分かるように配置してみました。
政庁南側 8 政庁南側 9
政庁南側 10

義経と清盛・・・

義経にとって清盛は、父、源義朝を平治の乱で破った陛下の棟梁で義経にとっては父の敵にあたりますが、戦いの相手の一族はことごとく誅殺する当時の風習から考えると、義朝の遺児である義経を助命した清盛は、義経にとって命の恩人ともいえる関係です。

・・・以下の本文は拡大画像でどうぞ。

政庁南側 11
義経と静・・・

源義経とともに悲劇的な生涯を送った愛妾・静御前の物語は人々に愛され、謡曲や歌舞伎、文学の格好の題材として、いまなおその人気は衰えることがありません。

・・・以下の本文は拡大画像でどうぞ。
政庁南側 12

弁慶となぎなた・・・

実物大のなぎなたがあり、重さを確かめられるようになっていました。実際に持ってみませんが、かなり重そうでした。

政庁南側 13

弁慶・・・

義経に生涯献身的に仕えた忠臣中の忠臣。

武蔵坊弁慶は、紀州出生説・出雲出生説があり現在もはっきりしていません。伝説では母親の胎内に18ヶ月もいたため、生まれた時には2〜3歳児の体格で、髪は肩まで伸び、歯も生えそろっていたと言われています。幼名は「鬼若」。


・・・少し字が小さいのですが、以下の本文は拡大画像でどうぞ。

政庁南側 14

静御前・・・

石見国磯野禅尼の娘で、京の白拍子(歌舞を生業とする遊女のこと)。

雨乞いをしている時に源義経の目にとまり、やがて愛妾となります。


・・・以下の本文は拡大画像でどうぞ。

政庁南側 15

貴族の娯楽・・・

平安時代の貴族の娯楽には教養としての詩歌、管弦をはじめ、室内娯楽の囲碁・双六・貝合、室外で楽しんだ蹴鞠などがありました。

・・・以下の本文は拡大画像でどうぞ。


政庁南側 16

平安時代の軍装と武具・・・

平安時代の戦は騎射戦(馬上から弓を引く戦法)が」主流であり、武具も騎射戦を想定して矢に対する防御を第一として発達しました。・・・・以下の本文は拡大画像でどうぞ。


政庁南側 17 政庁南門を出た所で振り返った様子です。正面門の中に正当南側が見えています。

ここからガイドに従い経C館に出かけて見ました。経C館は小高い丘の上にあり、ちょっぴり距離もあります。あちこち観ながらの散策になります。
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