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      江刺区愛宕・北上夜曲発祥の地


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北上夜曲発祥の地とその周辺河川敷・・・

・・匂い優しい白百合の 濡れているよなあの瞳・・・で始まる甘いメロディーは、私年代の若かりし頃の想い出に残る歌声でした。その当時は、それ程関心は無かったのですが、大ヒットした曲と共にストーリーが映画化され見に行った記憶があります。

奥州市西端に当たる愛宕地区、この地に北上夜曲発祥の地があるのは知ってはいましたが、通過するだけの場所になっていました。この場所は水沢区との境界に当たる桜木橋のたもとにあり、ちょっとした公園地になっています。案内看板を撮影するためには、車道ぎりぎりの場所まで下がらなければ全体像が記録出来ません。そんなこともあり、知ってはいたものの、ユネスコ県大会でふるさと紹介をするまで立ち入ったことがありませんでした。

撮影したのは真夏の8月26日の事であり、現在は雪に埋もれた場所になっています。

トップの画像は、北上夜曲発祥の地の立て看板と詳細が記録された説明看板を取り込んでみました。

                                                       2018.02.19 作成



北上夜曲発祥の地・・・

夏の暑い日でしたが、この場所に始めて立ち入り看板等を撮影し、改めてじっくりと眺めてみました。正面から撮影するには車道になり、車の往来も多く車道立ち入りは危険ですし迷惑行為になります。路側帯ぎりぎりの位置でワイドレンズを使用しての撮影でした。

北上夜曲発祥の地 1 水沢区にいたる桜木橋のたもと、道路ぎりぎりの場所に公園的な存在として設置されています。本当は反対車線側からか、二車線中央ゾーン当たりからの撮影が最適なのですが、無理なのでこの角度になりました。
北上夜曲発祥の地 2 路側帯ぎりぎりの位置で、ワイドレンズを使用しての撮影です。この場所を中心にし、左右に位置を移動しての撮影でした。ひっきりなしに通過する車両が、私の存在に警戒し大きく迂回して走られていました。

やはりこの位置での撮影は無理というものでした。可能であれば反対側の歩道に出て、そこから望遠レンズでの撮影が最適でしょう。しかし、この位置での横断は禁止されていますし無理な話でした。

かなり向こうには交差点がありますが、そこまで歩く気力はありませんでした。
北上夜曲発祥の地 3 北上夜曲発祥の地 4


北上夜曲発祥の地・・・

案内看板から記事を拾ってみました。北上夜曲発祥の地とネットで掲げると、江刺の他の近隣にも似通った表示の場所があります。ここでは取り立てて記述はしませんが、作詞者の菊地氏と作曲者の安藤氏のふれ合いから、作詞と作曲にいたるまでの経緯が記されてあります。


匂い優しい白百合の
濡れているよなあの瞳
想い出すのは想い出すのは
北上河原の月の夜

昭和三十年代の中頃、作者不明の『北上夜曲』が、若者達を中心に全国の歌声喫茶歌われる様になった。昭和三十六(一九六一)年に作者が名乗り出る。作詞者は江刺田原の菊地規(のりみ)で、作曲は、県北沿岸種市の安藤睦夫であった。作者が判明したことで各音楽会社が競ってこれをレコード化し、いずれも大ヒットした。

菊地は学生時代、愛宕下川原に下宿してそこから水沢農学校に通っている。その下宿に安藤の叔父も泊まっており、やはり水沢農学校に配属将校として勤務していた。ある日八戸中学校の安藤が下川原の下宿先に叔父を訪ねた。その時偶然菊地も叔父の部屋にきており、安藤と菊地はそこで出会うのである。色々話し合っている中に菊地が詞を書き、それに安藤が曲を作る約束が交わされた。

やがて歌詞が出来上がった。題名は「北上夜曲」。菊地が通学しながら眺めた北上河原が舞台で、忘れ得ぬ青春の慕情が切なく漂っている。この歌詞を受け取った安藤が、それに良く似合う美しいメロディーを付けた。

昭和十六(一九四一)年二月、こうして一世を風靡した名曲「北上夜曲」が誕生したのである。菊地規十八歳、安藤睦夫十七歳の時であった。

郷土文化顕彰委員会 平成二十五年三月
                                                           ※案内看板より

北上夜曲発祥の地看板 1 北上夜曲発祥の地看板・・・

匂い優しい白百合の
濡れているよなあの瞳
想い出すのは想い出すのは
北上河原の月の夜

じっくりと眺めることの出来ない場所です。
北上夜曲発祥の地看板 2 作詞者 菊池規氏、作曲者 安藤睦夫氏、お二人とも十七歳・十八歳の若い頃のお姿です。看板から切り出して見ました。
公園的な場所 1 道路脇にはちょっとした広場があり、公園的な場所になっています。広場地面には、白黒石をびっしりと敷き詰めてモザイク画が描かれています。

下の画像の模様から判断すると、左側が鹿踊り(撮影位置が適切ではありませんが)、右側が神楽と思いました。

公園的な場所 2 公園的な場所 3
公園的な場所 4 藤棚があり木製のベンチとテーブルがありました。
公園的な場所 5 広場の右端には、建て替えられた当時の桜木橋の礎石と街灯柱が保存されてあり、さらに、桜木橋建設の歴史が刻まれた石碑が置かれてありました。

由緒が書かれた石碑
桜木橋の由緒が書かれた石碑がありましたが、撮影したの斜め方向からでありはっきりしません。この画像は平成30年2月13日に改めて撮影しましたが、かなりの大雪であり下の方が隠れていますのでご容赦下さい。このままでも読める様に画像処理をしてあります。
現在の桜木橋
2017.10.01に撮影した桜木橋の様子です。甘い歌声の夢を壊しそうですが、現在の愛宕地区からの様子では堤防からの北上川の様子は望めません。次のページで現在の河川敷の様子を探訪してみました。
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