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      江刺藤里・横瀬愛宕山自然公園


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拝殿上り口になる石造りの鳥居とその下に連なる階段です。

江刺藤里・横瀬愛宕山自然公園・・・

藤里愛宕山自然公園には何度か訪れていますが、改めてふるさと紹介に因んで紹介するため訪れた時撮影したものです。社殿入り口になる神楽殿広場、この場所が小高い所にあることから、雨上がりの時や積雪時には車で上ることは大変であると思います。

神楽殿広場から真っ直ぐ西に延びる石造りの階段があり、拝殿まで一気に上るのは体力の落ちつつある私には大変でした。拝殿の脇から奥の院まで進みますが、この道はかなり急な下り道でした。下るのは良いのですが、戻る時は大変です。今回は何としても奥の院まで行きたいねらいがありました。

それは、岩手県指定の天然記念物「藤里の硅化木」を何としても見て撮影することが最高のねらいでもありました。

トップの画像は、拝殿上り口になる石造りの鳥居とその下に連なる階段です。ここまでは車で楽をしてきたので、息切れを気にしながら一気に階段を上りました。


藤里愛宕神社(字石名田)・・・

延暦年中、坂上田村麻呂の本願により創建されたと伝えられる。山は峻厳なる断崖、絶壁で、山裾を伊手川(隅川)の清流が洗う。四季を通じて絶好の景勝地であり、昭和30年以来愛宕山自然公園として整備している。

山中には、愛宕神社本殿、奥の院。藤里の硅化木 昭和38年岩手県天然記念物指定。蔵王権現社。毘沙門岩窟、先住民の住居ともいわれている。沼尻城跡、城主 及川弥兵衛。妙法院勝軍寺跡等あり、さらに南部スズ等重要な植物がある。                                        (※藤里振興会から頂いた資料より)

                                                       2018.08.17 作成



ユネスコ江刺大会での郷土紹介DVD作成のため、10名のグループで訪れた時の画像から切り出して見ました。

駐車場になる神楽殿広場、花崗岩で作られた鳥居、拝殿、奥の院、藤里硅化木の順序で紹介しました。表示のサムネール画像をクリックすると、かなり大きな画像になりますので愛宕神社の由緒はテキスト化しませんでした。そのままご覧になれると思います。

神楽殿広場入り口の鳥居

神楽殿広場入り口の鳥居・・・

ここまでがかなりきつい坂道です。今回は車の通り道が除草されていましたので楽に上れました。

下の画像左側は、案内板とその延長に見える藤里硅化木の石碑、そして、村民の寄進による花崗岩造りの大鳥居、その奥が拝殿までの石段です。

画像右側は、横瀬愛宕山自然公園遊歩道案内図と書かれた大きな看板です。平成27年に作られた新しい案内看板です。

横瀬愛宕山自然公園遊歩道案内図 1 横瀬愛宕山自然公園遊歩道案内図 2
花崗岩の鳥居 1 花崗岩の鳥居・・・

村民の寄進による花崗岩造りの大鳥居、その前にでーんと座っている狛犬、鳥居をくぐると拝殿までの一直線の石段が迫ってきます。
鳥居の由緒 鳥居の由緒・・・

この石の鳥居は文政の始め(今から百五十年程前)、花崗岩の材を求めるため旧横瀬村共有地の深山寺の皿洞(徒歩二時間余の地点)から、氏子総出で、全村殆ど家を空にして、連続数日間の奉仕により、石材を運搬し、多額の工賃を寄進して、氏子一同の信心の結晶として、此処に奉納されたものである。

昭和四十八年二月十七日 愛宕神社

※鳥居の間に記されている板の碑文より
花崗岩の鳥居 2

石段全景になります。画像にすると奥の方がつまって高さが出ないのですが、実際は手すりに掴まって荒い息づかいで登った私です。

左の狛犬の後ろには、藤里硅化木入り口らしき石碑が建っていました。通路がどうなっているのか不明ですが・・。

藤里の硅化木 岩手県指定 天然記念物 昭和三十八年十二月

藤里の硅化木

昭和四十五年三月 建之


下の画像左は、あえぎながら石段を登る様子です。右の画像は、登りきってやれやれと言う思いで下を見た様子になります。
拝殿への石段 1 拝殿への石段 2
愛宕神社拝殿 1 愛宕神社拝殿ですが、良く見て撮影していなかったので不十分な画像になりました。
愛宕神社由緒説明板 愛宕神社由緒説明板・・・

テキスト化をするのは止めました。漢字書体が難解で記述出来ないからです。
愛宕神社拝殿 2 愛宕神社拝殿 3
奥の院 1 奥の院・・・

拝殿脇から尾根伝いに坂道を下り、やっと奥の院までたどり着きました。しかしこの先にある藤里硅化木までは、もう少し坂道の遊歩道を下らなくてはなりません。
奥の院 2 何となく古くなっている雰囲気であり、ぎっちり側までは近寄れませんでした。壊れそうで怖いからです。良く見ると、尾根伝いの先端に建立されており怖さを感じました。
旧愛宕山自然公園案内絵図 旧愛宕山自然公園案内絵図・・・

上り口の神楽殿側に残されていた以前に描かれた「愛宕山自然公園案内図」です。建物等の違いが分かるように絵になっており、これは価値があるので残されていると思いました。

私が歩いたのは硅化木の場所までです。一緒に来られた皆さんの中には、一番下の毘沙門岩窟まで歩いた方も居られました。本当は行きたかったのですが、戻ってくることを思ったら足が動きませんでした。
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